7
「グルアアアアアアアアアア!」
咆哮した男は足から着地せず、あろうことか地面を殴った。その場の人間は全てを理解する。先ほどの土を舞い上げた轟音をこれだったのだと。
衝撃波が辺り一帯を襲い、傭兵たちを吹き飛ばした。ミデンは空中で体勢を立て直して地面を滑るように着地する。
そして、すぐさま大剣を構えて男を見る。男は殴った衝撃で生じたクレーターの中心に立っていた。そのすぐ足元には運悪く――、いや、狙ったのだろう。クレーターを作るほどの衝撃をまともに受けて潰れてしまった人の形だったものの血溜まりがあった。
「も、もしかして、こいつが赤の怪物か……!」
ミデンの隣で呟いたのは顔が強張ったディグリスであった。その声は恐怖で震えている。
「こいつが……?」
確かに怪物と呼ばれるに相応しい存在だ。他の人間と住む世界が違うといった肉体を持ち、その力を存分に見せつけられた。
だが、〝赤〟ではない。
その髪は茶色で、肌も人間のそれだ。身に着けているもののどれにも赤色はない。
しかし、それはあくまでもそれはその男に、だ。
「うーん、こいつかしら。一杯のバケツに塩を一粒混ぜたようなテオスの力をこの黒い子から感じるわ」
男の肩に乗っている女の子は言った。髪も瞳も意匠を凝らしたドレスも真紅の色だ。まるで人形のよう。そう、その大きさも子供が遊ぶ人形ほどの身長であった。巨体の男と相まってかなり小さく見えるが、その目測は正しい。さらに、その女の子の背には四枚の薄羽が生えていた。まるで絵本に出てくる妖精だ。
「つーことは、こいつがミデンか? 本当にガキなんだな。だが良い面構えをしてやがる。ミザル、まずは俺だけで戦わせろ」
「わかっているわよ。まあ、今の子の力なら私なしでもトゥリスだけでも余裕だろうけど」
ミザルと呼ばれた女の子は巨体の男をトゥリスと呼んだ。
二人はミデンのことを知っている様子だ。それもテオスの力を所持していることも。
「かっかっか、汝よ、運が良いのう! 長年の宿敵、復讐相手が目の前に現れたぞ!」
愉快愉快とアルカは高らかに笑う。絶大な力を持つ怪物を前にし焦りを覚えていたミデンだが、その意味を理解する。
「こいつ……! テオスヘキサか!」
首を大きく頷かせることができる。この人間離れした力はまさしく〝神の力を得た英雄〟と呼ばれるに相応しい。その事実を知れば、正常な神経を持ち合わせている者なら生きることを求めて逃げ出すだろう。現に、周りにいた傭兵たちは一目散に目の前の脅威から逃げ出した。生き残るのが仕事である彼らを責める人間はどこにもいない。
だが、ミデンは違った。十年という歳月を要して、復讐心という一途な思いで己を鍛え続けた。そして、アルカと出会い自らも神の力を得て反英雄となったのだ。
逃げ出す理由なんてどこにもなかった。
一歩一歩とトゥリスが近づいてくる。ミデンは敵のあらゆる動きを何十通りも予測し、それに対処できるよう大剣を持つ手に力を込める。
しかし、そのあらゆる予測はどれもハズレに終わる。
「いやあ、やっと会えたな! お前の噂話だけで飯が何十杯と食えるほどずっと血が昂っていたんだよ!」
両腕を広げて憧れの人物を前にしたように、テオスヘキサである男は声を弾ませた。その顔も満面の笑みで心の底から喜んでいるようであった。
予想外の気安い態度を見せられたぐらいで毒気を抜かれるミデンではないが、今すぐに襲ってくることはない相手に言葉を投げかける。
「どういうことだ?」
「どういうこともあるかよ。お前はここ数年で数々の実績を上げて名声を得た。そんな奴に今まで会えなかった俺の気持ちを考えてもみろ!」
確かに、この男とは初対面だ。外見だけでもこんなに特徴のある奴を忘れるわけがない。
「俺は己の闘争心を満たすために数多の戦場で暴れ回った。いや、今も暴れているが。まあそんなことはどうだっていい! 要するに、お前もいくつもの戦争に首を突っ込んできたわけだろ? それなのに俺たちはここで初めて出会ったんだ」
ミデン自身、赤の怪物と呼ばれているトゥリスの噂話はよく耳にした。しかし、戦場で出会わなかったのはたまたまだと思っていた。もしくは、仕事を持ってくるビリロが赤の怪物が現れた時期と場所を考えて、遭遇しないよう変な気を遣っていたのかと。
しかし、一流剣士の傭兵として名を馳せるミデンに直接この赤の怪物を討伐してくれという依頼が入らなかったのもおかしな話だ。各国はこいつのせいでまともな戦争ができる機会を減らされているのだから。
「つまり、何が言いたい……?」
やっと核心の話ができる、とトゥリスは握り拳をミデンに向けて歓喜の声を上げる。
「ついに〝お前と戦って良い〟という許可が出たということだ! 俺は何十何百とこの時の夢を見たか……!」
感動の対面だと言わんばかりに身を震わせる大男に、その相手である少年は眉をひそめる。
許可が出た……?
他を圧倒する神の力を得た英雄――、テオスヘキサであるこの男が何者かの指示で自分と遭遇しないようにしていたと言うのか。
そんなもの、違和感しか覚えない。
テオスヘキサではないのか? という疑問すら湧いてくる。しかし、アルカが嘘を吐いているはずもない。何よりも戦場で暴れ回るトゥリスの力が脳裏を過った疑問を否定する。
では、自分が知らないところで一体何が起こっているんだ。
「……許可ってどういうことだ?」
「ああ、あの仮面野郎の――」
「トゥリス、その発言は認められていないわ」
「そうだったか? 全く、めんどくせえ」
ミデンの問いを素直に答えようとしたトゥリスに、妖精のような見た目をした女の子ミザルがその口を止めた。
おそらく、あの妖精がこの男のテオスなのだろう。アルカが自分を反英雄の力を与えたように、ミザルがトゥリスに英雄の力を与えた。テオスの存在を知らない一般人にはたどり着かない答えだ。
それにしても、この男は見た目通り剛胆であまり後先を考えていないように見える。勝機があるとするならそこか。助言者も兼ねている妖精が口を出す暇を与えない勢いで押すしかない。
そう判断してからのミデンの動きは早かった。地を蹴り大剣を後ろに構え駆け出す。渾身の力を込められた一撃でトゥリスの横腹を狙う。
「おっと!」
しかし、それは防がれる。しかも素手で。さらに易々と受け止められたときたものだ。
「いいね! いいねえ! 真正面から俺に向かってくる奴なんざそうはいないぞ!」
トゥリスは掴んだ大剣を少年ごと投げ飛ばす。勢いよく飛ばされ、着地した際に慣性でアルカの手錠の鎖がミデンの首を絞めた。あらかじめ想定していた事態が起こり、すぐに背中の少女を元の位置に背負い直す。
「ぐっ……!」
ミデンは歯を噛み締める。首を絞められた苦しさから来るものではなく、自身と敵との力量差が明らかになったからだ。
「おうおう、我を落とすでないぞ。あと、あやつの攻撃を背後から受けるのも禁止じゃ。我が痛いからのう」
焦燥感に駆られる契約者の気持ちなぞ気にも留めず、アルカは呑気に注文だけをつける。
そんな言葉は耳に届いていないのかのように、ミデンは緊迫した声で言う。
「アルカ、テオスの真の力とやらの使い方は?」
共に過ごし始めて一ヶ月と三日。そんな重要なことを反英雄はやっと訊ねた。手錠で力を封じられている、という理由でミデン自身にテオスの力を得た実感が湧かなかったせいもある。
久々の戦場ではテオスと契約したオマケらしい力で敵兵士たちを圧倒した。真の力とやらを使わなくとも、これまで自分が積み重ねてきた鍛錬とそのオマケとやらで、長年恨み続けたテオスヘキサと渡り合えると考えてしまった。
しかし、現実は違った。
目の前の巨体の男の力は想像を絶している。
使えるものは何でも使わないと倒すことは不可能だろう。
自分が反英雄として自覚し、打ち倒すべき存在であるテオスヘキサの一人が目の前にいる。
そういう意味では、訊ねるのに絶好のタイミングなのかもしれない。
「なあに、簡単じゃ。我と〝同化〟するのじゃ」
「同化?」
「ああ、同化することにより〝神の力を得た英雄〟となる。まだ同化しとらん汝もあの大男も所詮はただの人間なのじゃ」
自分だけでなくトゥリスすらただの人間扱いなのか。大剣のひと振りを片手で受け止めたあの男がただの人間。常軌を逸しているなんて言葉で済まされる話じゃない。
「同化の方法は?」
「それも簡単な話じゃ。我と汝が同化することを承認する意思を持てば良い。ただそれだけじゃ。本に出てくる勇者のようにそれっぽいことを叫んでから同化しても良いが、汝のキャラでは無理じゃのう」
すっかり人間社会の娯楽にも通じてしまったアルカは快活に笑う。
そんな少女の冗談を右から左にミデンはさらに訊く。
「同化にかかる時間は?」
「まあ一瞬で事済むじゃろうなあ」
ならば。
ミデンは瞬時に戦略を立てた。
「アルカ、同化の承認とやらをしておいてくれ」
「あいわかった。あとは汝の意思でいつでもテオスの力を楽しむが良い。しかしまあ、この手錠があるからお試し版じゃがの」
そう言い見せつけるように手錠を両側に何度か引っ張り繋がった鎖を鳴らす。
同化することによってどこまでの力を出せるのかは未知数だ。それにアルカの言うように手錠もある。テオスの力をほぼ無にしているというこの手錠が。
だが、しかし。
力の源となるアルカの声に不安の色は一切ない。まるで親しい友人に渡した贈り物が、絶対に気に入ってもらえるという自信を持っているかのように。
あとは自分が箱を開けるタイミング次第。
大剣を二本の片手剣に分離させる。すぐさま地を蹴り駆け出した。
地を這うような姿勢で俊足を飛ばすミデンに、トゥリスはにたりと笑うだけで構えることはしない。戦えることを待ち焦がれ、ついにやって来たこの瞬間をただ楽しんでいるという表情。
先ほどの大剣による一撃は軽く受け止めはしたが、噂に違わぬ強さだとトゥリスは感じ取った。そんな少年が次にどんな攻撃を仕掛けてくるのか楽しみで心が躍る。
「うおおおおおおおおお!」
ミデンが叫んだ。冷静沈着に敵を葬ってきた少年が感情を剥き出しに気合いを入れた。
そして、飛び上がり勢いよく右手の剣を振り下ろす。
すると、まるで金属同士がぶつかり合ったかのような音が響く。だが、ミデンが斬ろうとしたのは武器はおろか上半身に何も身に着けていないトゥリスだ。
テオスヘキサであるこの男は己の腕で鋭く振られた剣を受け止めた。当たり前のようにしたその行為は最善の防御であり、現に皮膚すら切れていない。
――やはりな。
人間離れした大男を最も間近で見た少年の感想はそれであった。
数多の戦場で暴れ回る赤の怪物。防具を身に着けていないにも関わらず見た目には古傷ひとつとない。何百何千という武器を持った人間を相手にし、その全てを受け止め、あるいはかわすのは現実的ではない。
この男に普通の刃は通らないのだ。
またそれも現実的ではないと言えるが真実である。
こうして一流剣士であるミデンのひと振りを片腕で防いだのだから、一般の兵士や傭兵の攻撃が効くはずもない。おそらく、ミデン同様テオスの力のオマケがトゥリスを怪物に至らしめているのだろう。
オマケでこれか。
思わず苦笑してしまいそうだ。
だから、ミデンは止まらなかった。
両手の剣を自在に操り次々とトゥリスに攻撃する。
「正々堂々真っ向勝負! いいね! いいねえ!」
常人なら目にも止まらぬ連撃を防ぎながらトゥリスは上機嫌に笑う。時折、腕だけでは防ぎきれず身体に剣撃を当てられ、さらに気持ちが昂る。
これこそ待ち望んだ戦いだ。
逃げ惑う兵士を殺すだけなんて論外。
勇敢にも立ち向かってきた相手もいるが、所詮は弱者だ。向かってきてくれた喜びが一瞬芽生えるもそれはそれ。わざと攻撃を受けてやることもあるが、それは一瞬の後に死ぬ勇者への手向けだ。
だが、この少年の攻撃はそんな命を投げ出してくるだけの勇者とは次元が違う。
こいつは俺に勝つつもりだ。
その技量がミデンには備わっているし、なんならまさに今それを直に味わっている。
テオスヘキサとしての力が無ければ、防具を身に着けた程度なら自分の体はバラバラになっているだろう。
やはり待ち焦がれた相手は想像通りの敵であった。
だが、それゆえ悲しくもある。
反撃することによりこの夢のようなひと時を終わらせることが。
「ウラアアアアアアアアアア!」
そんな未練を断ち切るかのようにトゥリスは咆哮し、ミデンに向かってありったけの力を込めた拳を振り下ろした。
人を殴った感触はない。
その代わりに地面が吹き飛び大きなクレーターができる。
衝撃で後方へ飛ばされたミデンはアルカを背負い直すとすぐに地を蹴った。
そして、三度間合いに入る。
右手の剣が振られたが、トゥリスはそれを受け止めることなくかわした。その巨体に似合わぬ俊敏さだ。
同時に、必殺の拳をミデンに振るう。人を薄い板のように吹き飛ばす拳だ。それが攻撃をかわされ無防備になったミデンを襲う。
確実に仕留めた。そうトゥリスは確信したが――、
『承認』
ミデンの黒髪が一瞬で白に染まり、瞳はアルカと同じ金色と碧色のオッドアイとなる。さらに身体の周囲に薄い白色の空気を纏う。
そして、あろうことかトゥリスと比べると小枝を思わせる細腕で、全てを破壊する拳を受け止めたのだ。赤の怪物と呼ばれる男は思わず目を大きく見開いた。
すかさずミデンは一歩踏み込んで、もう片方の手にある剣でトゥリスの身体を斬った。その刃はあれほど弾かれていたのが嘘であったかのように、大男の胸から腹にかけて長い切り傷を斜めに作る。
「チッ」
舌打ちをしたのは斬られたトゥリスではなく、ミデンであった。その背に金髪の少女アルカの姿はない。
同化には成功した。ただ、一撃で仕留めきれなかった。トゥリスの身体から血が流れているが、それは皮膚とせいぜいあの膨れ上がった筋肉の一部を斬っただけで、致命傷には至っていない。
ミデンに正々堂々と勝つつもりなんて一切なかった。相手が油断している隙を突いて不意の一撃で仕留めるつもりであった。
しかし、仕損じてしまった事実に後悔する。
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