歌声でできた空

全ての言葉に、デジタルと言う文字がつく時代。

人類は、今まであった自然と言う限りある資源を全て破壊してしまい、今では空すらもデジタルで表されるようになりました。

地上にはデジタルでできた道に、デジタルでできた花が咲き、デジタルでできたありとあらゆる形の家が立ち並んでいます。そして、コンピューターで完全に管理された、朝と昼と夜、太陽、月、気候、四季、そして空が。

しかし、それだけでは人間は生きて行くことができません。食べるものが必要だったのです。

しかし、綺麗な緑の野原を駆け回っていた動物や生き物達も、今では絶滅して姿を消しました。ペットとして飼われている動物すらデジタルです。

死んでしまった人間ですら、デジタルで甦らせることができます。しかし、もちろん、そこに生きていたときのような心はありません。

デジタルの思い出として、彼らを甦らせることはできても、温かいこころまでは蘇らせることは出来なかったのです。

デジタルに触れてもきらきらと透き通るばかりで、そのかたちに、触れることは叶いません。

しかし、たった一人だけ、そんなデジタルでできた世界で、本物の触れられる花を作り出せる、奇跡の少女がいたのです。

デジタリア歴史美術博物館に、その少女は展示されていました。

彼女の名前は、アマービレ。何億年も前からこの世界を生き続けている、歌声の神様です。

彼女は、博物館の一番奥の部屋に、閉じ込められるように、古くからあるとされた楽器のデジタルの模型や、デジタルの花やデジタルの鳥の模型と一緒に展示されていました。

デジタルの鳥の模型が、デジタルで取り囲まれた美術館の広い空間を飛び回っています。

そんな中、デジタルではなく、実際に触れられる大きくて高い美しい装飾の真っ白な門と柵で取り囲まれた、デジタルではない本物の花園が広がっていました。

その門の奥で、歌声の神様のアマービレは、今日も彼女の歌声で作られた世界が消えないように歌い続けているのです。

彼女のいる空間だけ、本物の豊かな自然が広がり、命ある生きた動物たちがはねまわり、水のせせらぎが聞こえ、小川が流れて、小さな虫たちも幸せそうに風が吹く原っぱを飛び回っています。

あの白い門も、彼女の歌声が作り出した彼女の心そのものです。

博物館に彼女を見にやってきた人間達が、彼女の居る美しい空間に入ろうと門の隙間から手を伸ばして花を摘み取ろうとするのです。しかし、彼女はそれをとても悲しんでいるようでした。

ある日、デジタリア博物館に、保育士をしているニュウと言うまだ若い少年がやってきました。

「せんせい! むかしのひとたちは、ほんもののきれいなおはなをどうしていたの?」

「そのお花を、好きな人に渡して好きな気持ちを伝えたり。今のぼくらと同じだよ。デジタルのお花を渡して、僕らも好きだって伝えるでしょ?」

「ふぅん……」

そう言って、ひとりのちいさな保育園の園児の頭を撫でながら言います。

広大なデジタルでできた博物館の前の長い階段を、デジタルのなかに組み込まれたセンサーを探知してその上を歩けるようになる、専用のシューズを履いて、園児みんな仲良く列をなしてニュウに続いて歩いて行きます。

真っ白な通園帽子に、真っ白なリボンの真っ白なセーラー服で、襟に金色の天使の刺繍がされた可愛い制服を着て。

この国の全ての人類が生きるための資源を供給しているのは、実はこの博物館に展示されているアマービレが歌声で作り出しているのだと、ニュウは学んで知っていました。

野菜や、肉や魚などの食べ物も、人間の生活に欠かせない水や火、今、ニュウや園児たちが着ている服の資源も、全てアマービレが歌声で作り出しているのです。

表向きでは、アマービレは博物館に歴史の一部として展示されているように見えますが、本当は、国が彼女をこの博物館に閉じ込めて、永遠にその資源を生み出すための道具として利用しているのです。ニュウは、可愛らしい子供達を連れて歩きながら、アマービレのことをこころから可哀想な少女だと思いました。

「さぁ、着いたよ。ここが何億年も前から生き続けている歌声の神様が居る部屋だよ」

金と白一色の、大聖堂のように美しい博物館の一番奥のスペースは、厳重な警備がされています。

そして、大勢の人があのアマービレのいる花園の白い門の前に集まって、彼女の作り出す世界にうっとりと魅入っているのです。

そこに、白い可愛い制服を着た園児をたくさん引き連れて、ニュウがやって来ました。

「ほんもののちょうちょだ!」

ひとりの園児が、駆け出して電子でできた噴水と偽物の蝶々と花を飛び越えて、アマービレがいる花園の前の階段を駆け上がり声を上げます。

そして、白い門の奥を飛んでいる一匹の白い蝶にちいさな手を伸ばします。

「あれは、モンシロチョウと言って、今では絶滅してしまったけど、昔はたくさん飛んでいたんだって。ぼくもほんものは初めてみたよ」

遠くの街から、園児達と一昔前の電子の力で生み出された、古い電車でやってきたニュウも、その光景を見るのは初めてのことでした。

アマービレに生み出せる資源にも限りがあるので、その力を最小限に抑えるために、街の中に本物の小川が流れたり、風が吹くことはないのです。全てデジタルです。子供達は、初めて感じる風や宝石のような水の流れに瞳を輝かせています。そんな中、アマービレのアクアマリンの宝石のように澄み渡った目が、ニュウの連れている園児達の方をじっと見つめているのです。

「ぼくもあっちにいってみたい!」

「わたしも!」

園児達が、高くて頑丈な門の隙間に、小さな手を伸ばして綺麗な花に触ろうとします。

「だめだよ。このたったひとつ世界に残された自然と言う奇跡に、ぼくたち人間が足を踏み入れることはしてはいけないんだよ」

「でも……」

その時です。

決して、誰が来ても開かれることが無かったアマービレの花園の門が、少しだけ開いたのです。

それは、ちいさなこどもだけがやっと通れるくらいの隙間でした。

子供達は、それに気づいて一斉に門の中の花園に飛び出して行きました。そして、子供達が全員入ると、すぐに門は閉ざされてしまいました。

「大変なことが起こったぞ!」

何人もの警備の人間が、慌てて門の前に走って集まって来ます。

ニュウは、呆気に取られて口をぱかんと開いてその場に立ち尽くしていました。

白い制服に、白いリボン、金色の天使の刺繍がされたセーラー服の子供達が、花園のなかを喜んで飛んで跳ねて回っています。

「おねえちゃん。このきれいなおはなは、おねえちゃんがさかせているの?」

ひとりの園児が、花畑の真ん中に座って花を撫でながら歌っているアマービレに近づいて問いかけました。

「近づくな! 離れるんだ!」

警備の人間が大声で叫んで、ちいさな子供に向かって、照らされたものを焼き払うレーザー銃を持って警告します。

「やめてください! そんな危険なものが子供にでも当たったらどうするんですか!」

「うるさい! お前は黙っていろ!」

ニュウは、子供に危害が加えられないように、警備の人間を説得しましたが、彼は聞く耳を持ちません。

アマービレに近づいて声をかけた園児が、怯えて震えて、その場で動けなくなってしまいました。

それを、静かに座って見ていたアマービレが、何かを呟くように、小さな声で歌い始めました。

すると、空の色の目をした、真っ白に輝く体を持つ大きな生き物が、アマービレの歌声でかたちを作り、風と光を集めて、その場に生まれて来たのです。そして、その生き物は、園児の前に立ちはだかって、警備員のことを鋭い眼光で睨みつけているのです。

「なんだ、あれは……」

警備員は驚いて、その場で銃を下ろしました。

ニュウは、それを電子の歴史図鑑で見たことがあって知っていました。

「あれは、白いライオンだ」

ライオンと呼ばれた生き物は、アマービレのこころと歌声が生み出した、古く昔の動物です。

すでに絶滅していたライオンを知る人間は少ないです。その場にいた全員が、あの生き物はなに。と、ざわざわと口々にそう言います。

アマービレの、園児を庇おうとする勇敢なこころが、そのままライオンの姿になってその場に現れたのです。

それは、一匹ではありませんでした。

何匹もの大きな白いライオンが、アマービレと園児を取り囲むように、白い門の内側に立ちはだかって、警備員達に激しく牙を剥いています。

「すごい……」

ニュウは、他に言葉が出てこないくらいの、奇跡を目の当たりにしていました。

「おねえちゃん。こわいよ……」

アマービレに園児達が、そっと身を寄せると、アマービレは優しくほほ笑んで、また歌い出しました。すると、つぎには、彼女のそばで電子ペットとしてしか今は流通していない、子犬が彼女の歌声から生み出されて来たのです。

園児達は喜んで、その子犬を撫でて、抱いて、そして初めてのちいさな温もりを感じて、幸せそうにアマービレに笑ってみせました。

「ちいさくて、あったかい……」

「これが、命よ」

彼女は、言いました。

小鳥、子うさぎ、子猫、蝶。様々な生き物を歌声で生み出すアマービレ。

園児達がアマービレのそばで輪になった花のように、彼女を取り囲んでいます。

「おねえちゃんは、そとのせかいへはいかないの?」

「ぼくたちが、おねえちゃんをそとのせかいにつれていってあげるよ!」

「ありがとう」

アマービレは、静かにほほ笑みました。

そして、門は彼女の天から授かった歌声によって、開かれたのです。

両手で園児の手を引いて、彼女が門からそっと外の世界に裸足で降り立ちます。電子の海でできた地面が、波を立てて光りながら円を描く水面のように音を立てて広がっていきます。

そんな彼女を、たくさんの白い制服を着た園児達が取り囲んで歩いてゆきます。

その周りを、白いライオンが何頭も吠えながら辺りを威嚇してゆきます。

(彼女を傷つけるな! まだ研究は終わっていないのだ。彼女の歌声をコンピューターで完全にコピーをして、永久に消えない資源を手に入れるための研究材料なのだ。彼女は)

警備員達の耳飾りの小型電子レシーバーから、警備員全員に研究員からの指令が下されます。

そして、警備員達全員、が園児達とその真ん中にいるアマービレに向けていたレーザー銃を下ろしました。

その話を、ニュウは、たまたま小耳に挟んで聞いていました。

「彼女の歌声で、そんなことをしようとしていたなんて」

ニュウは、心の中でつぶやいて、門の外に出た彼女のことを追いかけました。

博物館に来ていた人間達が、悲鳴をあげてアマービレとそれを取り囲む白いライオンから逃げて博物館の外に向かって出て行きます。

「こっち! こっちに来て!」

園児達を引き連れたアマービレに、ニュウが手招いて叫びます。

「あれは、ぼくたちのせんせいなの。だいじょうぶ。きっとおねえちゃんをたすけてくれるよ!」

アマービレは、彼女を呼ぶニュウの方に園児を連れて駆け出しました。

そこは、博物館の裏庭に続く出口の方でした。

「表から出たら目立つよ。裏から行こう」

「……あなたの名前は?」

「ぼくはニュウ!」

さっきまで、アマービレを取り囲んでいた白いライオン達は、警備の人間と博物館に訪れていた数多くの来訪者を追い出すように博物館内を、激しく吠え立てながら、駆け回ります。

「よし! 出口だ!」

警備員の誰も追いかけて来ないのを不思議に思いながらも、ニュウとアマービレと園児達は、デジタリア博物館の裏口から、デジタルでできた広い博物館の裏庭に出ました。

デジタルでできた空と、電子でできた夕陽の光が、辺りを眩しく照らしています。

「電車に乗って、ぼくの暮らしている町に行こう。小さな町だけど、ここにいるよりは、きっときみも安全だと思う」

アマービレは、透明なビー玉のような瞳をニュウに向けました。

「おねえちゃん。でんしゃにのったことはある?」

園児達が、アマービレの手をしっかりと握りしめて、好奇心いっぱいの目をして聞きました。

「乗ったこと、あるわ。もう何百年も前の話ね。でも、今の世界の電車はどんな電車か知らないの。昔の電車は……」

アマービレが、夕暮れの空に向かって、懐かしそうに歌を口ずさみました。

すると、広大なデジタルの木や花で覆われた博物館の庭の真ん中に、それは現れました。

ニュウと園児達の目の前に、見たこともない、真っ赤な車体の、少し古びたそれが硬鋼でできたレールの上に、静かに佇んでいたのです。

「なにこれ! なにこれ!」

園児達が、初めて見た乗り物に、我先にと乗り込んでゆきます。

「真っ赤な……鉄道電車だ!」

ニュウが、電子歴史図鑑を指差して、言います。

(電子ノスタルジア行き特急、間も無く発車致します)

電子の天井でできた大きな画面が、ノスタルジアと言われる町の風景を大きく映し出して、機械的な音楽と一緒に、流れてゆきます。

仕事帰りや、学校帰りの人間達が、ぽつりぽつりとデジタリアの街の駅から、終点のノスタルジア行きの電車に乗り込んでゆきます。

(足元が透けますので、ご搭乗の際には、十分ご注意下さい)

デジタルでできた電車の中で、人々は座りたい位置に自分の席をボタンひとつで用意して、好きな場所に腰掛けます。

(電車内での動画配信のご利用、電子メールのご利用は他のお客様のご迷惑となる場合がございますので、お控え下さいますよう。宜しくお願い致します)

空中に浮かんだ透明な画面に、メール画面を大きく開いてメールを打ち込む若者が。それから、宙に浮かんだ画面で、5D動画配信を見る仕事帰りのお父さんも。動画からは香りもします。

「ばいばーい」

その美しい車体の透明なデジタル電車の隣りを、真っ赤な寂れた鉄道電車が、空に向かってニュウとアマービレと、園児達を乗せて走っていきます。

「なんだあれっ!?」

電車の窓にずらっと並んで、鉄道電車から手を振る園児達。それを見た、車内の乗客が身を乗り出してそれを覗き込んで窓に手を当てて見ています。

「わたしが見ないうちに、世界はこんなふうに変わってしまったのね」

「昔の世界は、どんなところだったの?」

「花も、草も木も風も何もかもがこの手で触れられて、とても美しかったわ。でも、今この世界には、電子の花が咲き、香りも、何もしない。空も太陽もデジタルでできてる……昔とは大違い」

「ぼくは本物の空を見たことがないよ。一度でいいから本物の空を見てみたいんだ。 ……君の歌声で空を蘇らせることは出来ないの?」

「今のわたしには無理だわ。こころが陰ってしまっているから。空が、思い出せないのよ」

「そうなんだ……」

ノスタルジア行きの古い鉄道電車に乗って、ニュウとアマービレはそっと言葉を交わしました。

「きみが、空を思い出せるといいんだけど」

窓の外では、デジタルの鴉が規則正しくコンピューターに管理されて、偽物の夕日の中を飛んでいます。

電子でできた夕暮れの街並みを眺めながら、ニュウはこの街が本物の空の光に溢れたら、どれほどすてきなことだろうなと思いました。

アマービレの歌声で、この世界に本物の命をたくさん生み出すことができたら、どれほど幸せなことだろうと。

(彼女のことは泳がせておけ。あのニュウと言う少年、彼女に歌であんなものを生み出させた。あれは私たちが彼女が生み出すものの中で初めて見るものだ。このままいけば、もしや彼女は……)

彼女の首筋にうっすらと書かれた白いバーコードと数字。

それを、空からジリジリと音を立てて、デジタルの鴉の瞳に紛れてカメラでスキャンして監視する、研究員たちの怪しい声が響いていることにも気づかずに。


終点の、ノスタルジア駅に着きました。

「わぁ……この電車は、もう何百年も前に走ることを引退した鉄道じゃないか! もう一台もこの世界に残っていないと思っていたよ」

優しい駅員さんは、驚きながらもこの電車の懐かしさに惹かれて電車の中に乗り込んで、眠ってしまった園児達を起こすのを手伝ってくれました。

疲れ切った園児達はみんな、仲良く眠りについてしまって、それを親切な駅員さんと、ニュウとアマービレで起こしていきます。今時、駅員さんのいる古臭い駅はこのノスタルジア駅くらいで、他の駅は全てコンピューターで自動で無人管理されているのです。

「なんで、こんな時代にこんな電車がまだ走っているのかな? 夢でもみているのかな、ぼくは」

駅員さんは、そう言いながら、車掌帽子を指先でしっかりと被り直します。

「ちょっとした訳があって……このことは、ぼくたちだけの秘密にしてもらってもいいですか?」

ニュウが、困ったようにそう言うと、駅員さんは隣に立っていた裸足の少女アマービレを見て、目を逸らす彼女に、何か深い理由があるのだと読み取って、大きく頷きました。

「分かったよ。貴重なものを見せてもらったお礼さ。このことは他言無用だよ」

「ありがとうございます!」

ニュウは、ほっと胸を撫で下ろしました。

その足で、急いで改札に向かいます。

今時は切符すらなくて、瞳や手のひらを機械にかざせば支払いも改札を抜けることも、簡単に済んでしまいます。園児ひとりひとり小さな手のひらと瞳を機械にかざしてゆきます。

(双眸、指紋のスキャン完了。支払いを受け付けました)

歌うように、綺麗な電子の声が告げて、改札がその声に合わせて透き通ります。改札の出口を、みんなで仲良く一列になって、抜けてゆきます。

「さぁ、着いたよ。みんなお家に帰らなくちゃね。ままとぱぱが心配してるよ」

「アマービレおねえちゃんは、どこでくらすの? おうちははくぶつかんだったでしょ?」

「今日は、ぼくの家に来て泊まってもらうから心配しなくていいよ。みんなは、ぱぱとままの待ってるお家に帰ろうね」

「はーい」

駅から保育園までは、歩いて5分くらいの場所にあります。ロードスキャニングシューズを使って、道に埋め込まれたセンサーを自動で読み取って靴を走らせて行けばもっと効率的に早く着きますが、この保育園は、昔ながらの教育を重んじています。なので徒歩です。

保育園の外には、デジタルでできたブランコにデジタルでできた滑り台。

帰りのお迎えが来るのを待ってる園児が夕焼け色のライトに照らされてきらきらしてる、透明な電子遊具でまだ数人、遊んでるのが見えます。

アマービレは、昔の懐かしい遊具や景色をそれに重ねて、電子の花がキューブ型の透明な花瓶の中に一本揺れているのをじっと見つめて言います。

「変わっちゃったのね。みんな」

アマービレが、ぽつり、そう呟きます。

「うん。変わったんだ。そしてみんな、家に帰ったら電子のぬいぐるみを抱っこして眠るんだよ。今の世の中は、そんな感じなんだ」

ニュウがアマービレに、寂しそうにほほ笑むと、アマービレはまた悲しそうな顔をします。

「イベリスをなくしちゃったの!」

「イベリス?」

ひとりの女の子の園児が、ニュウの足にしがみつきながら、涙をぽろぽろこぼします。どうやら、誕生日に買ってもらった電子のぬいぐるみをなくしてしまったらしく、どこを探しても見つからないみたいです。

それをかわいそうに思ったアマービレが、また彼女の歌声で、ふわふわで柔らかい、青い目のビーズのぬいぐるみを生み出しました。

女の子は喜んで、それを受け取りました。

「こんなぬいぐるみ、はじめて!」

ほほ笑むような顔をしたそのぬいぐるみを見て、女の子は一目見て大好きになって、幸せそうにそのぬいぐるみに頬ずりをしました。

「ぬいぐるみにも、昔は温もりがあって、温かかったの。いっぱい愛して、抱きしめてあげてね」

「うんっ。ありがとう! おねえちゃんっ」

そう言って、ちいさく手を振るアマービレに手を振りかえして、そのくまのぬいぐるみを抱きしめながら、女の子は家に帰って行きました。

どこからともなく、一羽の電子鳩が飛んできて、それを保育園の柵に止まって、見ていました。

(全身をスキャンしています。そのまま動かずにお待ち下さい)

家の鍵のロックを外すために、家のドアの前のセンサーでニュウが、全身をくまなくスキャンしています。

(スキャン完了。ロックを解除します。おかえりなさいませ、ニュウ様)

「ただいま」

家のリビングからは、パソコンで1000円で購入して、庭にダウンロードした花のセットが風もないのにゆらゆらと揺れているのが見えます。

「あれは、カランコエの花ね」

「ネットで見かけて、可愛い花だと思って買ったんだ。庭に何にも無いのが少し寂しくて」

「でも、本物の花じゃないのね。やっぱり」

「うん。もう自然界に残されているものは、きみが生み出すもの以外全てなくなってしまったから」

「絶滅したのね」

「そうだよ。もうこの世にはデジタルでできたものしか残ってないんだ。花も、空の星もみんなそうさ」

「でも、ちゃんと時間はあるのね。もう夜になるわ夕暮れもあった」

「時間も季節もみんな国のコンピューターで管理されてる。あの太陽も月も、ただの大きなスクリーンに映された光の塊さ。星だって」

ニュウはキッチンで、スクリーンのボタンを押して、カップに注がれるコーヒーを眺めました。

「なんで、わたしを助けてくれたの?」

「……本物の空が見てみたかったから。たくさんの命がきらめく世界をもう一度見てみたくて」

そう話しているニュウの瞳は、星のように煌めいていました。

「そして、国は君の歌声を使って何か悪巧みをしてるみたいなんだ。きみの歌声をコピーするとか言っていたな。どうするつもりだろう」

アマービレの手にコーヒーのカップを手渡して、ニュウはふたりでリビングの電子ソファーに腰掛けます。

「わからないわ」

彼女の首の白いバーコードを読み込んだ、電子鳩と電子鴉の目に組み込まれたカメラは、彼女が真っ赤な電車を歌声で生み出す様子と、園児にぬいぐるみを手渡している映像を、国の研究室の多大なスクリーンに映し出していました。

四方八方からそれを映し出して、そしてアマービレが歌う姿と声をコンピューターの中に事細かに記録してゆきます。

「アマービレの歌声をこの映像から摘出しました。実際に、摘出した音声を、今までの分析結果の末に生み出された歌声と合成して、彼女を忠実に再現した分身である99体目のAI、パラディーナに歌わせます」

「次こそは成功させたまえ。この国の未来のために、そしてこの人類の存続のために」

「了解です。Dr. バダス」

Dr. バダスと呼ばれた、まだ若い男性の膝の上に、ローズクォーツ、ブルームーンストーン、トパーズの3色の瞳を持つ三つ目の白い猫が擦り寄って甘えています。

「命あるものしか生み出せないと思っていた彼女が、無機質な機械や玩具まで生み出せるとは。初めての研究結果だ。これは貴重な資料だ」

彼の助手が、パラディーナと呼ばれた、アマービレそっくりのAIに、アマービレが歌う歌をインプットして、それを忠実に歌わせました。

その奥で、ひとりの青年が、電子の柵に囚われながらそのパラディーナの歌う歌声に合わせて歌を歌います。彼は、とても悲しそうにしています。

「次こそは生み出すのだ、永遠に消えない、美しい命の輝きに満ち溢れた世界を……」

次の日の朝。

日曜日。ニュウの保育士の仕事もお休みの日です。

(今日の天気は電子の雨模様となります。ブルーライトカット仕様の傘をさすなどして、ブルーライトの雨の光に十分ご注意下さい)

スクリーンのモニターには、今日の天気予報を告げるニュースが静かに流れています。

透けるスクリーンのスイッチひとつで、朝ごはんのパンとミルクを用意して食べた、アマービレとニュウ。

「今日は、図書館に行ってみよう。君の歌声について何か分かるかもしれないよ」

家の外に出たふたりは、コンピューターでダウンロードした、ブルーライトカット仕様の電子傘をさして、ブルーライトの光の粒を直接浴びないように歩いてゆきます。

「デジタルの雨なのだから、触っても濡れないし、傘は必要ないんじゃない?」

薄ピンク色の可愛い花のデザインのデジタルでできた傘を頭の上に浮かべながら、アマービレが不思議そうにそれを見上げて、ニュウに問いかけます。

「ブルーライトの光が体にあまり良くないんだよ。だから、ブルーライトの雨粒に体が直接当たらないように、傘をさすんだ」

シンプルで四角いかたちのデジタル傘を頭の上に浮かべながら、ニュウが。

「図書館はうちの近所だから」

そう言います。

「へぇ……」

アマービレが、そっと手のひらを差し出して、ブルーライトの雨粒を触ってみます。

手の中で弾けた雨粒にはやはり冷たさも感触もなく、ガラス玉のように弾けたそれは、小さな光の粒子になってきらきらと音を立てて消えてゆきます。

図書館につきました。

(エレクトロルボワ。電子の森図書館へようこそ)

透き通る綺麗な声が、どこからともなく、ふたりのことをようこそと歓迎しました。

「森の中にある公園の、図書館をイメージしたバーチャル空間なんだ。すごく綺麗で、ぼくの好きな場所なんだ。休みの日はいつも来るんだ」

静かな森の公園をイメージした、バーチャル空間に、大きな電子の木が生えていたり、鳥がさえずったり。天井には、月と太陽をイメージした電子の光のオブジェが。ゆっくりと時間に合わせて回っています。

そして、透明な四角いベンチに腰掛けながら、ゆったりと読書をする人たちの姿が。蝶の形のスクリーンや、花や月の形のスクリーンに小説の文字を映し出して、その文字に触れると花が散ったり蝶が飛んだり。香りまで漂ってきたりします。

「ぼくがすきなのは、この空があった日。と言う小説なんだ。何回も読んだんだ」

四角いデジタルの本棚に、ずらっと横一列に並んだ小説のタイトルの中から好きなタイトルをタッチすると、その本がスクリーンになって浮かび上がります。

空があった日。と言う小説のタイトルを、ニュウが指先でタッチすると。その文字のタイトルが浮かびあがって、やがて小説が四角いスクリーンに映し出されました。

図書館の、一番奥のスペースにある電子の木の木陰の透明なベンチに腰掛けて、アマービレとニュウは、仲良く隣同士並んでその本を読みます。

「わたしは、恋のお話が好き」

「この本は恋愛小説だよ。男のぼくが恋愛小説なんてと思うかもしれないけど、ぼくも恋愛小説がすごく好きなんだ。ちょっと恥ずかしいけど」

「どんなお話なの?」

「あるところに、恋をする二人の神様がいて、一人の神様が人間にとらえられて、その悲しみから空がなくなっちゃったって話なんだけど」

「そうなの……」

アマービレは、汚れひとつ感じさせない綺麗なまなざしで、その本を上から下に瞳でスワイプして読み進めていきます。

「空がなくなっちゃうくらい、恋には大きな力があるってことだよね」

「ニュウは、恋をしたことがある?」

「え? ぼっ……ぼくは」

急なアマービレの問いかけに、ニュウは顔を真っ赤にして手と顔を横に振りました。

その顔を、アマービレは、吸い込まれそうなくらい綺麗な瞳で覗き込んでほほ笑んで見ています。

それからまた、視線をスクリーンに向けます。

読書をしている、彼女の横顔は、本当に綺麗です。例えるなら小説に出てくる本物の文学少女のようです。髪をかきあげる彼女の姿に、ニュウは、目の前に本物の桜の花が咲いているような、そんな気持ちで彼女を見つめていました。

結局、図書館では、彼女の歌声については何も手掛かりになることは見つかりませんでした。

「空を取り戻す方法が、分かればいいんだけどなぁ……」

ニュウは、ぼんやりと空っぽになってしまったようなこころでつぶやきます。

「今日、小説を読んでいて思い出したわ。小説っていいわね。忘れていたあの日の気持ちを、思い出させてくれる」

「どうしたの?」

「わたし、昔、恋をしていた彼がいたの。名前は、ルーナイト。だけど、彼もあの小説みたいに人間にとらえられてしまって……」

「その彼は今、どこにいるの?」

「わたしと離れるときに、研究所へ連れて行かれたの。彼もわたしと同じ歌う力で色々なものを生み出す能力を持っていたの」

「研究所……」

「彼に会えなくなってから、空が思い出せなくなったの。昔はふたりの歌声で空を作り出していたのよ。だけど人間が永遠に枯れない資源を生み出すために彼の歌声を利用しようとしたの」

「空を作り出すことができたの!?」

「そう。私たちは空を作り出していたの。だけど、空を失う代わりに、人間は自分達が生き残ることを考えたの。彼は今もきっと研究所で歌わされているわ。様々な生命の息吹と引き換えに」

ニュウは思いました。

その、ルーナイトと呼ばれる彼と、アマービレをもう一度会わせることができたら世界に空が戻ってくるんじゃないかと。

「研究所のある場所は、確かアスタリスクと言うところだったと思うわ。前に博物館にいたときに、警備員の人が話しているのをちらっと小耳に挟んだの。そこにルーナイトはまだいると思う」

「アスタリスク……。大都会だ」

大勢の人たちが、巨大な電子の海の中を早送りでもしているかのように足早に目の前を通り過ぎてゆきます。ここは、アスタリスクの一番大きな駅のホームです。

いくつものスクリーンに映された、迷路のように絡み合った駅の地図に、いくつもの流れる宣伝の文字列。目が回りそうなくらいの眩しいブルーライトの明かりたちが、アマービレとニュウの瞳の中を流れ続けています。

「研究所の場所はどこだろう……」

ニュウが、駅の外に出て、途方に暮れています。

アスタリスクのあまりの広さと人の多さに、どこに行っていいのかすらも分かりません。

とりあえず、空まで続いていそうなくらい長い透明なエスカレーターに乗り、高いところから街並みを一望してみることにしました。

透明なエスカレーターから下を覗き込んでみると、電子の花に飾られたおしゃれなカフェテリアが見えたり、電子のアクセサリーショップが見えます。今時のアクセサリーは、宝石や金や銀などではなくて、全てデジタルです。

電子ネックレスや、時計やリングを身にまとった若者たちが、羽やチェーンのデザインの電子タバコを吸いながら最新式の携帯のスクリーン画面に映る友達と画面で会話しています。

「あのネックレス、綺麗ね」

アマービレがそう言うので、携帯で5000円くらいするネックレスをダウンロードして、彼女の首元にスキャンしました。

綺麗な空色のハートのチャームがついた、電子ネックレスです。街中を歩くのになるべく不自然じゃない格好がいいなと思って。

「……建物が多すぎて、どこに行けばいいのか、全然分からない」

ニュウはため息を吐きます。

すると、アマービレが、目を丸くしてこう言いました。

「彼の……彼の歌が聴こえる」

アマービレは、目を閉じて胸に手を当てながら、歌いました。周りにいる人間が、怪訝そうな顔でそれを横目に通り過ぎてゆきます。

遠くの方からサイレンの音が聞こえてきました。

だんだん、その音が大きくなってゆきます。

「何だろう」

ニュウが、辺りを見回して警戒します。

他の人間達は、そんなの日常茶飯事だと言わんばかりに、そのサイレンも気にせず通り過ぎてゆきます。

「彼が、来るわ」

アマービレは、さらに歌い続けました。

彼女の周りに花が咲き乱れて、それが、だんだんと電子の街中に広がってゆくのです。

通りすがりの人が、その光景をあり得ないと言わんばかりに、足を止めて、携帯でスクリーンショットしてゆきます。

「彼って……?」

「来た」

アマービレが、ガラス玉の瞳を開きます。

ニュウが、眩しそうにスクリーンの空に映し出された太陽の光に、手をかざします。

白い翼を持った空色の目の白いライオンに跨って飛んでくる、一人の若い青年の姿がそこにはありました。

「アマービレ!」

「ルーナイト……!」

そのライオンが、アマービレの目の前まで飛んできて、彼女の手を彼が引いて、翼のある白いライオンの背にアマービレを乗せました。そして、電子の空高くへと連れ出して行ったのです。

「ニュウ! さようなら!」

「どこに行くのアマービレ……!」

ルーナイトの背中に抱きついて、アマービレは電子の太陽に向かって飛んで行ってしまいました。

それを、けたたましいサイレンを鳴らしながら、研究所からやってきた、警備の人間達がデジタルの翼をつけた背中で飛び回って追いかけます。

ルーナイトと、アマービレの歌声がひとつになり、重なり合った時、世界は大きな光に包まれて、それが地球全体をふたりの手が包み込むかのようの、広がっていったのです。

ニュウの目に最後に映ったのは、綺麗な、まっさらな空と、世界の全てがデジタルから花や木や、水の海に包まれていく光景でした。

デジタルの世界は、完全に崩れ去りました。

ニュウが目を覚ました時、そこは、緑の風が吹く、楽園になっていたのです。

人々が、そこにぽつり、ぽつりと佇んで、本物の空と太陽の光を眺めていました。

(……実験は失敗した。偽物のAIと彼を歌わせても本物の空は手に入らなかった。猛烈な爆発音と共に一頭の羽の生えた異質な白いライオンが生まれ、そしてルーナイトは研究所より逃亡した)

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