体力作り

 それはビルの合間にある暗がりだ。

 一人の不良の男が大量の汗を掻いて逃げ込んだ漆黒の隠れ家――とある不良グループの溜まり場であり、男も所属するグループだ。


「くそっ……くそくそっ! なんだ……何なんだありゃ!?」


 恐ろしい物を見たかのように男は隠れ家へと逃げ込んだ。

 ここには仲間が居る……すぐに体勢を整え、反撃をしてやるんだと男は意気込んだ。

 自分たちのリーダーは喧嘩が強く、更には実家も金持ちで多少のことなら揉み消す力を持っている。


「リーダー! リーダー助けて……え?」


 だが、そんな男の必死の叫びも無へと帰した。

 多くの仲間と、そして頼ろうとリーダーが居るはずの隠れ家なのに、ここに来れば大丈夫だったはずなのに……そこはもう戦いの後だった。

 男の視線の先、リーダーを含む不良仲間が全て倒れていた。

 ピクリともしないの意識がないからであり、倒れている彼らは別に死んでいるわけではない。


「な、何が……」

「よお、やっと戻ってきたか」

「ひっ!?」


 男は聞こえた声にビクッと肩を揺らした。

 暗がりから出てきたのは高校生の男よりも大人の男性であり、その数は三人……特に目を引いたのは真ん中の男性で、何かによって付けられた傷跡によって片目が閉じている。


「あ、アンタはさっきの……なんでここが!?」

「最初からこの場所は掴んでいてなぁ? 追い込み漁ってわけじゃねえがお前さんには特別怖い思いをしてもらっただけだ」

「あ~あ、こいつビビっちまってますよ」

「それだけ兄貴の顔が怖いんだろうよ」


 男は不良でそれなりの修羅場は潜っている……だがそれは所詮、本当の修羅場――戦場のようなものではない。

 ただの不良にとって、目の前に立つ傷を持った男が醸し出す雰囲気にビビって動けなくなるのも仕方のないことだった。


「し、死にたくねえ……死にたくねえ!!」

「あぁ? 別に殺しはしねえよ――二度と生意気なことが出来なくなるくらいには締めるがな?」

「あ……あぁ……っ」


 ガクリと、どうやら男は恐怖で気を失ったらしい。


「ったく、根性のねえ野郎だぜ」

「……まあこいつ、高校生っすからねこれでも」

「ガキでも越えちゃならねえラインはある。それを今知れただけでも将来の為にはなっただろうさ」


 男性はスマホを取り出し電話を掛け、しばらくして相手が出たようだ。


「お嬢、今終わりやしたよ――えぇ、一応潰しときました」


 それだけ言って通話は終わり、男性はふぅっと息を吐く。

 お嬢……どうやら今回のこれはそのお嬢とやらの命令があったのだろうか? それに関しては彼らの口によって語られた。


「他の女ならうちらが出てくることもなかっただろうに、ただただこいつらは相手が悪かった」

「そうっすよねぇ。街中で目を付けて絡んだのがお嬢とそのご友人たちってんだから運がねえっすわ。ねえ兄貴?」


 二人の言葉に、兄貴と呼ばれた男性が続く。


「お嬢が健やかに過ごせるのが俺たちの願いだ――それを邪魔する奴はこうなるってことだ。だがまあ、こいつらのリーダーは中々あくどいことをしていたようだが?」

「アレの売買までやってるみたいっすねぇ。それをこのガキは知らなかったみたいっすよ」

「末端だろうしいずれは捨て石にされてたようなもんだ。ある意味俺たちはこいつのヒーローかもな」

「……思ってもないことを言うんじゃないぜ兄貴」


 ククッと笑った男性の顔はあまりにも獰猛だった。

 一般人が前にしたら恐怖で逃げ出してもおかしくない形相だが……果たして彼らは一体……。


「しっかし、お嬢のご友人もレベルが高いっすよねぇ。俺、あの黒髪の子気になってんすよ。あれは将来更に美人になりますぜ?」

「お、おいその話題は――」

「絡まれているところに助けに入って、惚れてもらうなんてこと――」


 その時、強い拳骨が彼に突き刺さった。

 傍に居た男性はやっちまったよこいつ、みたいな顔をしてため息を吐いており、つまり拳骨の主は兄貴と呼ばれた男性だ。


「あの嬢ちゃんが美人だってのは同意だが、くれぐれもそれ以上喋るんじゃねえ――お嬢に殺されたくないだろう?」

「っ……そうでしたわ。あの嬢ちゃんはお嬢のお気に入りでしたっけ」

「お気に入りじゃねえ大親友だ馬鹿野郎。それにあの嬢ちゃんには大事な幼馴染が居る……それは俺たち全員に伝えられていることだろうが」


 おっと……雲行きがおかしくなってきたぞ?


「兄貴は幼馴染系の物語が大好きだったなこの顔で」

「うるせえ。純愛ってのは何にも勝る愛の形だそもそもだな――」

「……始まったよ兄貴の長い話が」


 彼らのことは一旦置いておくとして、先ほど倒れた不良の高校生……それは以前、渚が目撃した神代と一緒に居た男だった。


▽▼


「ナギ君、後少しですよ」

「お、おう……っ!」


 休日、その日はいつもと違う朝を迎えていた。

 はっはっと荒く息を吐く俺の後ろには、胡桃さんのママチャリを漕ぐ璃音の姿がある。

 そんな彼女から激励の言葉をもらいながら、俺は体作りの一環でもあるランニングをしていたんだ。


(……なんで璃音が合流したんだっけ?)


 そもそも、こうして朝にランニングをしようと思ったのは俺の考えだ。

 誰かに相談したわけではなく、ましてや璃音にすらこのことを俺は言っていなかった……だというのに今日外に出て少しすると、運動着姿の璃音がママチャリに跨って俺を待っていたんだ……どうなってんだ。


(璃音……平気そうだな)


 俺は走りながらも、璃音の体調には気を配っていた。

 彼女は運動があまり出来る体ではないので、自転車を漕ぐ行為も運動みたいなもの……だから様子は窺っていたのだが、あまり汗も掻いておらず辛そうな顔もしていない。


「大丈夫か?」

「大丈夫ですよ。一応軽めの運動は出来ますからね」

「なら良いんだが」


 そんなこんなで指定されたベンチまで辿り着き、一旦の休憩ということで動きを止めた。


「ふぅ……ふぅ……」

「お疲れ様です。ほぼノンストップでしたね」

「まあな。壊滅的に運動不足ってわけでもないからこれくらいは余裕さ」


 母さんの都合が合わなかった時とか、璃音の様子が気になって走って病院に行くこともあったし……その度に璃音にどうしたんだって言われたこともあったか。

 こう考えると本当に懐かしいもんだ。


「でもさぁ、俺一つ気になってんだよ」

「なんです?」

「なんで俺がランニングしようとしたことが分かったんだ?」

「分かりますよ。幼馴染ですから」

「……どういうことなんだよ」


 幼馴染だから俺の考えていることが分かるって?

 まあ確かに今までの璃音を見ていたら筒抜けだろうなって思えるのもおかしな話だけど、そこまで分かるもんかい?

 そう聞くと璃音はう~んと考えた後、こう口にした。


「自分でも不思議なのですが……本当に何となく分かるんですよ。自分でもこれで終わりなんだと思ったあの日……助かった後から何故か分かるんです――明確にナギ君が何をしようとしているのかが」

「……えぇ?」

「もしかしたら……一度死にかけたことが原因で特別な力に目覚めた可能性がありますね」

「……えぇ?」


 マジかよ……あの日のことを思い出すと心が痛くなるけど、そういうこともあったなレベルに昇華したのも確かだ。

 とはいえ……えぇ? 何だよ璃音、エスパーにでもなっちまったってのかい?


「なんて、冗談ですけどね」

「……なんだよ!」

「ふふっ♪ さあナギ君、お茶ですよ」

「ありがと」


 璃音が持参していたお茶を一飲み……うん? 確かこれって璃音も飲んでなかったっけ……。

 咄嗟に口を離そうとしたが、既に飲んでしまっているのでもういいやと諦めた……そもそも、変に意識しているのがバレて揶揄われるのが目に見えていたからだ。


「あ、そうだ璃音」

「なんですか?」

「……昨日電話で話したこと、傍に居てやれなくてごめんな?」

「あぁ、全然大丈夫ですよ。傍には真名も居ましたから」


 昨日の放課後はちょっと一緒に居なかったのだが、そこでちょうど阿澄さんと一緒に質の悪いナンパに会ったと聞いた。

 事なきを得て無事だったのは良かったけど、やっぱり気になっていた。


「ありがとうございますナギ君。むしろ……傍に真名が居たことで彼らに何が降りかかるのかそっちの方が怖いですけど」

「……あ」


 なるほど……ふむ。


(……これ、考えない方が良さそうだな)


 とはいえ、もう一つだけ考えていることがある。

 璃音からその話を聞いた時……妙に動悸がしたというか、心臓がキュッと掴まれたような悪寒があった。

 しばらく体は震え、呼吸も少し苦しかったアレは一体……なんだったんだろうか。

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