プロローグ 2

魔物ビヨンドの殲滅はランダーの使命である。

シント国有数のランダー組織「麝香じゃこう機関」


麝香機関執行部職務長の普代宏明ふだいひろあきは今、猛獣の檻の中に閉じ込められた心持ちでいる。


──そこは、麝香機関総長室。


一人掛けのローソファの上で胡座をかき、真っ直ぐに伸びた細長い煙管の先から煙をくゆらせる麝香機関総長のタキアルサ。


幾何学模様や格子、千鳥、花柄など、様々な模様と色の肩掛ショールを幾重にも羽織り、頭にも肩掛ショールと同じく、羽根飾りや銀細工の付いた色とりどりのバンダナやスカーフを巻いた、いつも通りの装いだ。


総長タキアの真向かい、本革製のソファに座るフダイは恰幅のいい身体をぎゅっと縮こませて、キリキリ痛む胃袋のむかつきを懸命に堪えている。


テーブルを挟み、フダイの向かいで足を組むスーツ姿で銀縁眼鏡の男。

麝香機関人事部部長はいつもの仏頂面でじっとフダイを見ている。


──蛇に睨まれた蛙──

(──あぁ、気が重い)


フダイの胃袋が小さくチクリと騒ぐ。


「──先に、人事部長にはお伝えした通りでして、二週間前にラセイのマトナ市で発生した“クラフト”の現地調査において、少々、問題が起こりまして……」


総長はゆっくりと煙を吐き出し一言──

「“神龍寺”だとか」


その一言に空気が張り詰める。


「はい。“神龍寺”の手の者による調査妨害が入りまして……」

フダイはばつが悪そうに答える。


人事部長が中指で眼鏡のブリッジを押さえて一言。

「──で、状況は?」


「はい。先程、ようやく調査を終えた調査隊から報告が届きました──調査隊がクラフトに入ったときにはもう、一帯のビヨンドは掃討スイープされていまして、ただ完全とは言い難く、クラフト内にはまだビヨンドの気配がいくつもあり、最下層付近に強い魔力の存在を確認。恐らくは、“オリジン”だと思われます──」


人事部長は報告が記載されたタブレットの画面に視線を落とす。

「全く以って、鹿」と、苦々しく呟く。


フダイの胃袋はまたチクリと騒ぐ。


「──、我々を締め出して、“オリジン”の討伐もせずに、何を? ……“クラフト”に大手を振って、ピクニックと洒落込んだ訳でもなかろうに」


人事部長の落ち着き払った厳格な声色がフダイを揺さぶる。


「それが、そのぉ……何と言いますか──」

「──“庇護特権”か」


総長が呟くように言う。


「はい、その通りです。“庇護特権”、いわゆる“特務権限”により、調査隊は“クラフト”への立ち入りを禁じられてしまいました。無論、“クラフト”内で何をしていたか、その目的も理由も一切、不明のままです……」


細長い煙管の先からゆっくりと白い煙が漂い昇る。

焼けた木くずと陽だまりのどこか懐かしい匂い。


「調査隊から私に連絡が来たときにはすでに、“神龍寺”は“クラフト”に入界しており、“特務権限”を盾に調査隊は“クラフト”への入界を禁じられ、なす術もなくただ、“神龍寺”の目的が終わるのをただ指を咥えて待っているしかない状況でして……もちろん、方々へ抗議を出しましたが、なしのつぶてのまま──今に至ります」


「相手が“神龍寺”の手の者であるならば仕方あるまい」と、人事部長は諦めたように吐息をく。


「まあ、“御三家”がわざわざ一介の魔障案件にしゃしゃり出てきた理由は


総長の予想がなんなのか、フダイには検討も付かなかった。

しかし、やらなければならない事は分かっている──


「──ともあれ、“神龍寺”がそこで何をしていたかは分からないが……今回の一件は要するに、“神龍寺”の後始末、という訳か」

人事部長はもう一度、眼鏡のブリッジを中指で押して、フダイを見る。


「は、はい。そういう事になります。そして、“オリジン”はまだ存在していますし、一刻も早く解決しなければなりません」


「──出張ってきたのは“神龍寺”のどこだ?」

ぶわりと煙を吐き出し、総長が尋ねる。


「それ自体も“特務権限”で定かではないのですが、調査隊の一人が「五角形の花に巴の紋」を見たと言ってました」


「となると、“竜胆りんどう家”の手の者か」

煙管を咥え、押し黙る総長の代わりに人事部長が答えた。


「クラフト発生から二週間が経っている。既にを終え、に入っているはずだ。殊更、早急な解決が求められる」


人事部長の言葉を噛み締めるように、フダイは小さく「はい」と、頷く。


「ビヨンドのクラスは?」

煙を吐き出しながら、総長が尋ねる。


「上層から中層のビヨンドはノンクラスの雑魚ワンズです。ただし、最下層にいるビヨンドはアラートクラスがちらほら、そして、恐らくは、“オリジン”だと思われる一体はDクラス……Dのm2です」


ばつの悪そうなフダイの表情。

聞いた二人の顔色にも小さな強張りが混じる。


、まったく、随分な置き土産を残してくれたものだ」

人事部長は苦虫を噛み潰したように言う。


「──しかし、“御三家”の手前、失敗は許されない。万が一、仕損じれば、世間からの非難はもちろん、“神龍寺”側からの糾弾も相当なものになるだろう──さすれば、隊の面子もそれなりの者を選ばなくてはならない」


人事部長はスーツの内から電子手帳を取り出し、手早くペン先で画面を叩く。


その手帳の中には麝香機関全隊員のスケジュールが記載されている。


矢継ぎ早に画面をスライドさせている人事部長の手がそこで止まる。


「A以上のランダーは皆、出払っていますが、Bランクのルシン……、彼ならどうでしょうか?」


「……ムササビか」


「はい、ムササビと、それに、ハヤブサ……あと手隙の者は、Cランクのナツモとカナタがいます。そこに下位ランクを数名を加た編成でどうでしょう?」


「──よかろう」


人事部長は電子手帳を懐にしまい、お決まりの仏頂面を崩さずに立ち上がる。


「では、残りの面子は私とフダイで選出しますので、これで、失礼します」

総長が小さく頷く。


人事部長につられる形でフダイも立ち上がり、総長に一礼。人事部長に続く。


最後にもう一度、物思いにパイプを吹かす総長へ「失礼します」と、こうべを垂れた。


「──フダイ」

総長が不意に名を呼んだ。


「はいっ」と、咄嗟に頭を上げる。

落ち窪んだ眼がフダイを射る。


「明朝までに方を付けろ」

「かしこまりましたっ!」


フダイはピンッと背筋を伸ばし、深々とお辞儀した。


そうして、足早に人事部長の後を追いかけていく──。

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