第11話 酒場とおる

翌日から杏子はホストクラブ通いを辞めた。

しかし、相変わらず帰宅しても杏子は家にはいなかった。


午後の授業が終わって帰りの身支度をしながら、ホームルームが始めるのを待っていた。

今日は大事な教員会議があるとのことで部活は休みになった。

しかし、まだ掃除当番が残っている。

今週は成瀬同様、結城も掃除当番だった。

ホームルームに担任の先生が現れる。

もうすでに教室内は帰宅したくてうずうずしている生徒たちがたくさんいた。

その中に、浜内も含まれていた。


「今日さ、汐見坂のアルバムの発売日なんだよね。ネット限定は既に予約してるんだけど、TUTUYA限定があるんだよ。成瀬も学校終わったらTUTUYA行こうぜ」


濱中が推しのアイドルのアルバム購入に成瀬を誘った。

けれど、成瀬はごめんと謝って断る。

今日は部活がない日だ。

試験勉強期間でもない。

そんな日に成瀬が断ることは珍しかった。


「なんだよ、今日は付き合い悪いじゃん」

「ちょっとね。俺も部活以外に興味ある事出来たからさ」

「なになに? 推しか?」


浜内は自分基準の発想で聞いて来た。

成瀬は首を振る。


「違うよ、将来についてちょっと考えることがあってね」

「将来? そう言えばお前の将来の夢って何だっけ? 親父さんみたいな官僚でも目指してるわけ?」


夢かと改めて考えてみる。

興味がある職業はいくつかあった。


「最近までは保育士もいいかなって思ってた。俺、子供好きだし」


保育士ってと浜内は呆れていた。

成瀬は成績もいい。

今なら東大だって狙える偏差値だ。

それなのに保育士とは意外だった。


「ほら、俺、ピアノも弾けるしちょうどいいかなって思って。後は――」

「後は?」


成瀬は一瞬言いかけたが辞めた。

今はまだ、自分の心の中だけに閉まっておきたかったからだ。


「やっぱり秘密」


成瀬は指を立てて答える。

浜内はそれ以上何も聞かないことにした。



ホームルームが終わって、放課後になる。

ほとんど生徒が帰宅し始めたが、掃除当番だけは残っていた。

結城がいつものように素知らぬ顔で教室を出て行こうとした時、成瀬が箒を持って結城の前に立った。

結城はわかりやすく嫌そうな顔をする。


「結城さん。今日は掃除当番だよ」

「そうか。なら成瀬、後は頼んだ」


結城はいつものように他人に任せて帰ろうとしたが、成瀬はそれを許さなかった。

結城の腕を掴んで引き留める。

結城は振り向き、成瀬を睨んだ。


「掃除当番は生徒の義務です」

「は? 別に一人ぐらいいなくたって――」


そう言いかけた時、結城の顔の前に成瀬のスマホの画面を見せた。

そこには1枚の画像が開かれていた。

それを見て、結城は真っ赤な顔をして怒鳴りつけた。


「成瀬、お前!!」


その声でクラスメイト達が一斉に振り向く。

結城はイライラしながらも鞄を近くの机に叩きつけて、成瀬の持っていた箒を持ち、掃除を始めた。

それを見たクラスメイト達はあまりも珍しさに驚いていた。



掃除が終わると結城は大股で自分の店へと向かって歩いて行く。

その後ろから成瀬がついて来ていた。

結城はその不機嫌な顔で成瀬を睨みつけるが、成瀬はただ黙って微笑んでいた。


「お前の家、こっちじゃないだろう?」


結城は足を止めて叫んだ。

しかし、成瀬は方向を変えようとしない。


「俺もこっちに用があるから」


成瀬のその微動だしない笑顔に結城は何も言えなかった。

もう勝手にしろと成瀬を無視して、自分の店に向かった。




「親父、仕込み終わってるか?」


結城は自分の店『酒場とおる』の暖簾をくぐった。

目の前を見てみると既に客が2人来ている。


「おう、お帰り、馨」


厨房から勝が顔を出した。

そして、目の前の客も結城に声をかける。


「おかえり、姉貴!」

「おかえりなさい、馨ちゃん!」


それは成瀬妹の葵とその母、杏子だった。

杏子は既に熱燗をのんでいて、半分出来上がっている。


「どういうことだよ、これ」


結城は頬の下をぴくぴくしながら勝に聞くが、答えたのは後から入ってきた成瀬だった。


「うちにいるのが淋しいからこっちに来ることにしたんだって」


成瀬はあっさりとそう答えた。

結城には理解できない。

あのホストクラブの事件で杏子がホスト通いを辞めたのは知っていた。

しかし、だからと言ってなぜ自分の店に来ているのかわからない。

成瀬にいたっては普通に杏子や葵、そして勝にまでただいまといっている。

納得のいかない結城は、目の前にいる成瀬の胸倉を掴んだ。


「おまえんちの問題はおまえんちで解決しろよ。なんで親子そろってうちの店に来てんだよ」


成瀬は相変わらずへらへらと笑っているだけだ。

余計に腹立たしかった。


「どのみちうちの母親はどこかで飲んだくれるんだから、それならうちでって勝さんが誘ってくれたんだよ」


今度は父親の勝を睨みつける。

勝はそそそっと厨房の奥へ逃げた。

すると今度は横から葵が抱き着いて来る。


「姉貴! 今日からよろしくお願いします」

「よろしくってお前……」


もうなんて返していいのかわからない。

その間に、成瀬は厨房に近付いて勝に話しかけた。


「勝さん、例のアレ、準備できてますか?」


するとばっちりと勝が親指を立てた。

そしてその例の物をもらって、部屋の奥へと進む。

葵と結城がわちゃわちゃしている間に、成瀬は用事を済ませて帰ってきた。

それを見た杏子が絶賛する。


「蓮君、似合うじゃない。さすがお母さんの息子!」


結城が振り向くとそこには甚平姿にエプロン、バンダナを付けた成瀬が立っていた。


「どういうことだよ、親父」


結城は愕然として成瀬を見ていた。

成瀬はなぜだか店の制服を着ていたのだ。


「今日からアルバイトしてもらうことになった」

「なったじゃねぇよ。聞いてない」


結城は慌てて勝に詰め寄った。

しかし、そこに成瀬が付け加える。


「俺の母親は飲んだくれで、その分の俺がお金を稼がないといけないから、アルバイトをお願いしたんだ。給料の心配はしないで大丈夫。たぶん、給料は母のツケで全部なくなるから」


いつもの爽やかな笑顔で答える成瀬。

そういう問題じゃないと困惑する結城。

勝の店、酒場とおるは今後ともどんどん賑やかになりそうだった。

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