第十七話
「若いやつらの将来を買う?なんじゃそりゃ、っていうか、また俺を煙に巻くつもりだな!マジでお前、前世は詐欺師だったはずだ」
「詐欺師扱いはひでぇな……。俺が言いたいのは、歳を取ってから時間と金があっても、世の中になんの恩恵をもたらせないってことだ。そう思わないか?」
亨はハイボールをごくりと飲み、おしぼりで口を拭いて、姿勢を正しながら言った。
「そんなことはねぇだろ。別に年寄りだからって金を使わないわけじゃないぞ。旅行する爺さん婆さんなんて山ほどいるし、それこそ孫に対して湯水のごとく金を使う人だって、掃いて捨てる程いるだろ」
「まあ確かにそういう爺さん婆さんもいるな。でも俺が言いたいのは、そんな年寄り目線じゃなくて、若いやつ等の視点で考えたらどうだってことなんだよ」
「また何か胡散臭いことを言おうとしてるな」
早川は警戒心を顕わにして、皿に残っていた枝豆をつまんだ。
「何だ、胡散臭いとは!」
「お前、最近その手の、もし何々だったら的な話が多くなってるぞ。まさか、俺を変な宗教とかに勧誘しようとしてるんじゃねぇだろうな」
「馬鹿野郎!俺が無宗教だっていうのは知ってるだろ」
「知らねぇよ。お前が無宗教なのか、カルト教の信者なのかなんて」
早川は笑いながら言って、レモンサワーを飲んだ。
「くだらん!何がカルト教だ。そんなのと一番距離を取ってるのが俺じゃねぇか」
「そういうやつ程コロっと騙されて、変な宗教に献金を始めるんだよ。お前、まさか変な宗教に入信して、俺を勧誘しようとしてるのか?何もやることがないとか言いながら、実は熱心に布教活動をしてるとかじゃねぇだろうな」
「お前、マジで首の骨折るぞ!」
亨は指の骨をポキポキと鳴らしながら言った。
「冗談だよ、で、若いやつ等がどうしたって?視点がどうとか言ってたけど」
「マジでお前を殺す!」
亨は割り箸の先を、茶化すように言う早川に向けて、突き刺すポーズを取った。
「悪かった。茶々を入れないから続きを聞かせろ。そろそろ帰る時間だし」
「何が帰る時間だ!そんなに奥さんが恋しいのかよ」
「恋しいじゃなくて、怖いの」
早川は身体を捩って、思いっきり茶化すように言った。
「マジでコロ……まあ、いい」
亨は呆れたように言い、気持ちを落ち着けるように、ハイボールを飲んでから口を開いた。
「年寄りだって楽しいことや、やりたいことは沢山あるだろうけど、若いやつ等の方が未知なことが多いだけに、やりたいことは無限大にあるだろ?だけど、肝心の金と時間がない」
「そんなの当たり前」
早川は分かり切ったことを言うな、という表情になった。
「でな、またお前に胡散臭いとか怒られちゃうけど……」
「じゃあ言うな!酒が不味くなる」
早川はレモンサワーの残りを飲み干し、ハムカツに齧りついた。
「まあ、そう言わずに聞いてくれ……あ、レモンサワーのお代わりを。それと、たこウインナーも」
亨は通りかかった店員に早川の飲み物と、お品書きにあって、気になっていたメニューを注文した。
「なんだ、たこウインナーって?」
「さあ、弁当に入ってた、たこの形をしたウインナーだと思うけど……」
「いや、たことウインナーの炒め物かも知れんぞ。でも、それはそれで美味そうだけどな……で、その胡散臭い話ってのは」
速攻で運ばれてきたレモンサワーの酸っぱさに再び顔を顰めながら、早川は亨に話の続きを促した。
「ああ、お許しが出たようなので、若いやつ等の将来を買うっていう話だ」
「なんかその買うっていう言葉が、胡散臭いんだよ」
「確かに。爺の視点だとそうなっちゃうんだけど、若い方からしたら、決して買われるっていうことじゃないんだ」
亨は間を取るようにハイボールを一口飲み、話を続ける。
「さっきも話が出たけど、将来AIが進化して寿命予測ができるかもしれないって言ったろ?」
「ああ、眉唾物だけどな」
「だから、あくまでも空想というか妄想みたいな話だって言ってるだろ。これからの話しもその類だから、嫌だったら止めるぞ」
亨は少し怒ったような口調になる。
「別に嫌とは言ってないから続けろ。どうせ暇だし」
早川はしれっと言い、レモンサワーのグラスをカラカラと揺らして、中身をかき混ぜた。
「何か言い難くなっちまうが、まあ、真剣に聞くような話じゃないのは確かだけどな。これから先、個人情報は様々な手段で国、あるいは特殊な機関に把握、蓄積されるのは確実だ。当然、それらは分析されて、人々の行動パターンや健康状態の変化などが推測できるようになると思うんだ」
「でも、そんなの十人十色で定型化なんてできんだろ。生まれた環境、両親やそれ以前の血統の違い、家庭の経済状況。教育環境一つとっても、学校あるいはクラスの構成、教師の優劣、クラスメイト毎の生い立ちや家庭環境。どれをとっても同じものなんかないからな」
真面目な顔で早川は言った。
「そんなのは分かってるよ。だけどな、数千万から億単位の人間のあらゆるデータが蓄積されると、自ずとパターン化、あるいはグループ化はできるようになる、と俺は思ってるんだ」
「ある程度、はな」
「そう、初めのうちは膨大なデータから導き出すサンプルは天文学的な数かもしれんが、それらは必ず収斂されていくんだよ」
亨はそう言って、テーブルに届いたたこウインナーを頬張り、「運動会の弁当を思い出すな」と言って微笑んだ。
早川もたこの頭を箸でつまみ、ヒョイと口に放り込んで、「確かに、懐かしい味だ」と相好を崩した。
「その分類されたパターンから、どのような家庭に生まれ、これは両親を含めた血縁関係者の経歴も丸裸になってるんだが……。どのような教育を受け、IQや各学科の成績、学習態度、部活動の内容、受験の結果、非行歴の有無、友人関係、食べ物の好き嫌いから趣味や嗜好……」
「童貞か処女とかもな」
早川は熱心に話す亨の言葉を遮るように言った。
「うん、まあ、それらを含めてって……そんなのまで分かるか!でも、ラブホとかをキャッシュレスで利用すると、そんなのも分かっちゃうかもよ。自分で言っといてなんだけど、なんか嫌だな……。で、話を戻すと、ありとあらゆるデータから、将来性のある若い人をピックアップし、金と時間を与えるようにするといいんじゃないかと思ってさ」
「どういうこと?」
早川がおどけたように訊くが、亨は店員にハイボールのお代わりを頼んで無視をする。
「奨学金の社会人版みたいなものだな」
「奨学金?」
亨の話がいまひとつ飲み込めない早川は、オウム返しに訊いた。
「ああ、先ず、ビッグデータなどの分析で、学業が優秀だったり、仕事ぶりが真面目で探求心があるとか、端的に言えば、将来性がある若い人達をピックアップするんだ。で、その社会人版の奨学金的な制度が有効に寄与しそうな人物に、金と時間を与えるんだよ」
「金はなんとなく分かるけど、時間って?」
「文字通り時間だよ。仕事をしているんだったら、勤務している会社や組織は、休職を認めなければならないとか、学生だったら……こっちは休学を認めればいいだけだから、特に問題はないかな。とにかく、ビッグデータをAIが分析して、候補者が制度利用に相応しいかどうかを判定するんだ。それから試験とかを受けさせて、その成績でランク分けをして、例えば最高のランクは、休職あるいは休学期間を五年で、国から支給される金額が三千万円。最低のランクでも、一年の休職期間に、三百万円の支給ってな感じで、インセンティブを与えるんだ」
亨は一気に話をして、ハイボールで口を湿らせた。
「国が金と時間を与えるメリット、意味はなんなんだ?優秀な若い人に時間と金を与えて、その先をどうするんだよ。ましてや、その金と時間を有効に使うやつばかりじゃないだろ。逆に棚ぼたで暇と金を貰ったやつが、遊び癖がついちゃって、あたら優秀だった人の人生を狂わせる結果になったりするんじゃねぇか?」
早川は懐疑的な表情で言った。
「意味はあるさ。資源のないこの国では、人が唯一の資源だ。その資源を活用できない限り、国力は落ちて行くばかりなのは見えてるだろ」
「そりゃそうだけど、だからといって、人への投資が時間と金だけなのか?」
「そうだよ。人への……若いやつ等に対する投資は時間と金、それしかない!」
亨は断言して、ハイボールをゴクリと飲んだ。
「そうか、ちょっと真面目な話になっちゃうけど……」
言い澱む早川に、亨はどうぞ、というように頷いた。
「時間と金は分かるけど、それだけじゃないだろ?投資対象の若い人達の能力向上には環境も必要だと思うぜ。医療や法律なんかの専門知識の習得や、ある特定分野の研究。例えば宇宙飛行士みたいな、ごく一部の人しかなれない仕事なんかのスキルを磨くなんていうのは、その辺の会社や学校ではではできないから、特定の機関でトレーニングをするしかないって」
「それだと今の奨学金や、会社や公務員の留学制度と変わらないだろ。俺が言ってるのは、その金と時間を使って、若いうちにしかできない遊びというか、興味関心があることをしろってことなんだよ」
「遊び?国の金を使って?」
早川が呆けた顔で訊いた。
「そうだよ、遊びだよ。遊びでいいんだよ!旅行好きなら海外だろうが国内だろうが、行きたいところに好きなだけいればいいし、女遊びをしたいやつは徹底的に女遊び……この制度は男に限ったわけじゃないから、女は……男遊びしたいのかね?」
亨は話を中断し、早川に助けを求めるように訊いた。
「知るか!そもそもAIが選ぶくらいに優秀なんだろ?そんな優秀なやつ等が女遊びだ、男遊びだなんて……そんなの一般の納税者からしたら、ふざけるな!って話になるぞ」
早川は善良な税者の代表のような顔で言った。
「ち、ち、ち、だからお前は頭が固いって言うんだよ」
亨は右手の人差し指を立て、顔の前で小刻みに振りながら言う。
「もちろん勉強なり、特殊な技能の習得なり、それをしたければすればいい。だけど、そればっかりじゃつまらねぇだろ」
「つまらねぇって……」
「そんな頭でっかちなエリートばかりだから、この国というか企業はどんどん駄目になっていくんだよ。新しい技術でいい物を作れば売れる、故障が少なく品質が良ければ評価される。そんなんばっかりだから、アップルやアマゾンなんかのGAFAにやられちまうんだ。要はコア技術をどう活かすかっていうソフトが必要なんだけど、この国、というより日本の会社、特に大手はどうやって失敗しないかが最優先だから、ワールドワイドに展開できる新しい商品やサービスが生まれてこないんだよ。うちの会社だってそうだったろ?」
亨は部下に講釈を垂れるように言い、たこウインナーを頭からガブリと齧りついた。
「うちはデバイスや部品が主体で、一般の市場にダイレクトに販売する物なんてなかったから、中々難しかったよな」
「だから駄目だって言ってたんだよ。自社製品でのビジネスを展開するなんて言って、毎年のように新規事業のプロジェクトを立ち上げてさ。毎回調査とシミュレーションをするけど、いざ、実際に活動するとなると、尻込みして、いつのまにかうやむやになってんだ」
「まあ、確かにそうだったな」
「プロジェクトの最終プレゼンが終わって了承され、その後、投資会議に諮った案件なんてほぼなかったんじゃなかったっけ?」
「少なくても俺達が絡んだプロジェクトではなかった」
早川はボソッと応えた。
「通常業務の他に、プロジェクトに費やした時間を返してくれって言いたいくらいだろ?で、
当時を思い出し、怒りが込み上げてきて、亨はたこウインナーの脳天に楊枝をブッ刺してから口に入れた。
「食い物に八つ当たりするなって!役員連中だって、自分の任期中に失敗はしたくないからな。ある程度確実性のある案件なら別だけど」
「そんな確実に儲かる案件なんてあるわけねぇだろ!だったら他の会社が既にやってるわ。結局やってる感だけで、危ない橋は渡らずに、お役御免まで会社にぶら下がっていたいだけなんだよ」
怒りが収まらず、次の生贄に楊枝を刺そうと思ったら、早川が先に箸でつまんで口に入れてしまった。
「サラリーマンの役員なんてそんなものだろう。お前だって執行役員だったんだから、その辺は分かってるだろうに」
早川はたこウインナーを、ゆっくりと咀嚼しながら言った。
「ああ、まあ……いや、だからそんなんじゃ駄目だから、さっきから言ってるように、若いうちから見聞を広められる経験をした方がいいって言ってるんだよ」
「遊びで見聞が広がるのか?」
「はあ?あったり
「何でそうなる?」
「そんなの今まで何人の人間と仕事をしてきたんだよ!上司、同僚、部下。それに取引先を含めれば数百人、あるいは千人単位の人と仕事をしてきたんだぞ」
「そんなにいるかなぁ。でも名刺ホルダーにあった名刺の数は、それくらいあったかも」
「いいんだよ!正確な数字なんて。お前、変なところで几帳面だな」
「変なところじゃなくて、全てにおいて几帳面なんだよ」
「はいはい」
すました顔で言う早川に呆れ、亨はハイボールを飲んでから話を続ける。
「あくまで俺の個人的な感想だけど、いろんな人と仕事をしたけど、好奇心旺盛な人の話は面白いことの方が多かったよ。社内でもそうだし、取引先の人でもそうだった」
「お前も好奇心は旺盛だったな、若い時は」
「何だよ、若い時はって。まあ、お前が言うように、最近は好奇心のこの字もないのは自覚してるけど、お前だってそうだろ?」
「まあな。今はやりたいことなんかねぇし、これ、ちょっと面白そうだなっていうのもねぇな」
早川は苦笑しながら頷く。
「だからお互いにつまらねぇ爺いになっちまったんだよ。たこウインナー追加する?」
「駄目だ!お前はたこウインナーを虐待するから、たこが可哀想だ」
「なんだそれ?」
「たこウインナーにも人権、じゃなかったたこ権があるから、いじめは許さん!」
「たこ権って、食い物にどんな権利があるんだ!とにかく注文するからな。あと飲み物はどうする?」
「もうかなり飲んだから、俺もハイボールにするか。だけどそれ飲んだら帰るぞ」
「愛する奥さんが待ってるんだろうから、勝手にしろ」
亨はそう言ってハイボールの残りを飲み干し、離れた所にいる外国人の店員を手招きしてから注文を告げた。
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