第三話
20××年。
激動の二十一世紀もそろそろ終局を迎え、混沌とした状況の中で、二十二世紀を迎えようとしている。
二十一世紀半ばから、国力の低下に歯止めがかからない日本。
少子高齢化は改善されることなく、半世紀前に受け入れた移民も、多くは祖国に帰っていた。
それも当然で、自国の経済が急激なスピードで発展しているのに、言葉や宗教の違い、文化を含めた生活習慣が大きく異なる極東の島国に居るメリットなど、殆どないと言っても過言ではない
日本のGDPは減少の一途をたどり、軟弱地盤の地滑りのようにベスト10の圏外まで落ち込んで、貧富の差は増々拡大している。
マジョリティとなる負け組の国民は、この先に明るい展望もない閉塞感に覆われた社会で、鬱々とした気持ちで日々を暮らさざるを得ない。
そんな不安定な環境の中で、負け組確定の国民や、様々な事情で祖国に帰ることができない海外からの移民は、不安定で低賃金の仕事に従事することになる。
当然、日々の生活は苦しく、将来に希望など持てるはずもなく、その鬱屈した生活から逃れたいが故に、多くの者は犯罪へと走ってしまう。
犯罪の増加に伴い、国の治安維持にかかるコストは上昇するばかりで、予算の確保は大きな課題になっている。
警察と裁判所を含めた司法関連の予算は、半世紀前までは防衛費の七割程度だったが、今は防衛費と同等近くになっているのが現状だ。
殺傷能力のある凶器がAIを含めた技術の進歩により、自宅などで簡単に作ることができるようになり、銃火器を使った凶悪犯罪が激増している。
また、貧富の差が広がったこともあって、犯罪の先鋭化が進み、祖国に帰国できない事情を持つ一部の移民も、集団化しながら地下に潜って、凶悪な犯罪を繰り返すようになっていた。
国の治安当局も手をこまねいているわけではないが、装備の充実や警察官の増員を推進したくても、膨れ上がるばかりのコストに、振り分けられる予算が追い付いていない。
さらに、犯罪件数の増加に伴い、捜査費用や裁判費用も青天井で膨れ上がり、社会保障費の抑制を行わないと賄いきれない程の深刻さになっている。
治安当局は凶悪化する犯罪に対して厳しい取り締まりと、逮捕後の厳罰化を行ってきたが、国際的な圧力と国内の人権派の活動により、2040年代に死刑制度が廃止され、終身刑が採用されることとなった。
終身刑が最高刑になったこともあり、刑務所は常に定員をオーバーしている状態だ。
殺人や暴行罪などの粗暴犯以外の受刑者を、早期に出所させるなどの対応をしているが焼け石に水で、収容している受刑者にかかる費用も、膨大な金額になっている。
死刑廃止以降、強力な銃火器を使用した粗暴犯が増えたことで、警察官の殉職も大きな問題となっていた。
国内の警察官の殉職は、二十一世紀初頭に0.003%程度、年間に十人以内だったが、新世紀を迎えようとしている二十一世紀末期は、毎年百人前後が殉職をしている。
警察官の保護にも注力をしなければ、警察官のなり手がいない状況だが、募集をしても応募が少なく、慢性的な人員不足になっていた。
「お前、どうする?」
「ん?何だよ、どうするって」
梅本登志夫の唐突な問いかけに、相沢聡は人工アルコールで作られたウイスキーを飲む手を止めた。
「寿命だよ……お前も来月に六十五になるだろ?」
「寿命って、役所にある変な個室で、てめぇがいつ頃にくたばるかを教えてくれるってやつか?」
「そう【ⅬEパーソナルデータ】っていうやつだ。六十五になったら一回だけその変な個室に入って、自分の寿命を知ることができるんだけど、お前は知りたくねぇのか?」
「何だ、そのLEなんちゃらってのは?」
「LIFE EXPECTANCYだよ。直訳すると寿命予測ってなるのかな」
太り気味でいつも赧味がかった顔色の梅本が、流暢な発音で言った。
「良く知ってんな、さすがは大学中退だ。でも、別にそんなのが分かったからって、腹の足しになるわけじゃねぇし、もし百を過ぎるまで生きてられるなんてなったらどうすんだ?寿命があったって、先立つものがねぇ俺達は、その前に餓死するか野垂れ死にするかのどっちかだから、俺たちみたいな前科
相沢は怒ったように言い、ずり落ちそうになった眼鏡を痩せた左手の指で直し、右手に持ったウイスキーを口に放りこんだ。
東京湾の埋め立て地にある、〈プリリリース・センター〉通称PCと呼ばれている更生施設の中庭。
同じ刑務所で仲良くなった二人は、出所日が近いこともあって、娑婆における今後の生活面の相談と、自立支援をアシストするPCに入所をしていた。
所内は禁酒禁煙だが、そんなルールを遵守するような入所者は少数で、相沢は先輩から分けてもらった安い人工アルコール製のウイスキーを、瓶からチビリチビリと飲んでいる。
「お前は年金とかはちゃんと収めてたのか?」
梅本も後輩から巻き上げた紙タバコを大事そうにゆっくりと喫い、白濁した煙を吐き出しながら、酔いで鼻の先を赧くしている相沢に訊いた。
「バカかお前は!そんな洒落た
「でも少しは働いたことがあるんだろ?」
「俺がか?」
「ああ」
怒ったように自分を指差す相沢に、梅本は頷いた。
「そんなのほんの数か月……いや、数日だな。高校を中退して、先輩の紹介で解体屋で働いたけど、仕事がきついのと、外国人の現場監督と上手くいかなくて、ソッコーで辞めたよ」
「解体屋って、ビルとか壊すやつか?」
「そうだよ。今はロボットがやってるけど、当時、五十年近くも前は、一部の作業は人間がやってたよ。高い所や深い地下の基礎なんかのヤバい作業はロボットだけど……。でも、そん時はまだロボットに作業指示なんかをインプットする必要があったけどな」
「お前がインプットしてたのか?」
「そんなのできるわけねぇだろ!高校中退のアホだぞ」
「まあ、そうだな……誰がやってたんだ?」
「さっき言った外国人の現場監督だよ。こいつ〇×人なんだけど、移民政策の初期の頃に日本に来てるから、日本語がペラペラなんだ」
「今は翻訳機があるから言葉には不自由しないけど、当時はある程度喋れないと辛かったよな」
「そうだったな。今考えると学校で英語とか習ってたのは何だったって感じだ」
「何が習っただよ!ろくすっぽ学校にも行かなかったくせに」
「確かに……」
相沢は梅本の突っ込みに苦笑し、ウイスキーの瓶をゆっくりと口につけた。
「で、その現場監督が陰険な野郎でさ。てめぇと同じ国の作業員には結構優しくするんだけど、他の国の作業員には辛く当たるわけよ」
「例えば?」
「まあ、作業の指示を丁寧に教えないとか、まだ日本語が覚束ない外国人に対して、わざと難しい言葉で指示をしたりとかするんだ」
「どこにでもいるんだな、そういう奴。でも日本人にはそんなことしないんだろ?」」
「ところがそうでもねぇんだな。一番偉い親方っていうかオーナーは日本人だから、露骨にイビったりはしねぇけど、俺みたいな新入りには他の外国人と同様に、作業指示とかをちゃんと伝えねぇんだ。それでこっちがしくじったりすると、ネチネチと文句を言うわけさ。それも直接言ってくればこっちも少しは対処をしようと思うんだけど、それを親方やベテランのおっさん達に告げ口するように言うんだな」
「対処するったって、お前なら喧嘩になっちまうだろ」
「ところがそうもいかねぇんだ。そいつは百九十センチを超える
「そりゃあ相撲取りみたいだな」
梅本は笑いながら言い、短くなった紙タバコを喫い、勿体なさそうにゆっくりと煙を吐き出した。
「そう、仕事を誘ってくれた先輩にも、そいつだけは手を出すなって言われてたけど、そんなの手を出せる相手じゃねぇっつうの」
「で、不貞腐れて辞めたのか?」
「別に不貞腐れたってわけじゃねぇけど、やっぱ日本人の少ない職場は、何だかなぁって思ったのと、誘ってくれた先輩が現場で事故って辞めたので、じゃあ俺もって感じでな」
「それからずっと
「ああ、少しは働いたけど、結局長続きしなかったからな。で、似たような連中とツルむようになって、お決まりのパターンだよ」
相沢は苦いものを飲むように、ウイスキーの瓶から液体をチビリと飲んだ。
「じゃあ、年金は一度も収めてないのか?」
「ったりまえだろ!人生の半分近くを
「全部じゃねぇけどな。ぎりぎり受給資格くらいは収めてると思う……まあ、でも雀の涙程度の支給額だけどよ。何しろ年金に関するお知らせみたいなのが手元に届かねぇから分かんねぇんだ。
梅本は自嘲するように言い、タバコの煙を曇天の空に向けて吐いた。
「お前は一応大学中退だから
「同じところには長くいられなかったけど、なんだかんだで十六・七年は働いてたかな……。もちろん、所々は会社を辞めて失業手当をもらってたり、飲み屋でバイトみたいなことをしてた時期もあるけど」
「へぇ、まあ手に職もなく、学のない奴の仕事なんて限られてるからな。
「そうだな。俺も一度パクられてからは
「働きたくたって、働く所がねぇだろ。
「寿命だよ!役所に行って、てめぇの寿命を訊いてみないかって話だよ」
「お、そうだったな」
「ボケがきてるんじゃねぇのか?確かに、そんなんで長生きしたってしょうがねぇかもな」
梅本は揶揄うように言った。
「うるせぇ!お前だって、昨日の晩飯を思い出せねぇって言ってたじゃねぇか」
「そんなのジジイになれば、皆そうだろが。昔のことは思い出せるんだが、ちょっと前のことはコロっと忘れちまうんだよ」
「ああ、それは俺も同じだ。テレビを観ている時に、ふと違うことをしなければと思いつくんだが、違うコンテンツに変えるために声で指示を出したりしてワンクッションおくと、何をしようとしたのかを思い出せねぇんだ」
「あるある、俺もそうだよ」
梅本は笑いながら大きく頷いた。
「ホントにヤバいよな。こんなんじゃ
「そうだよなぁ。前科持ちの
「あとは
「みてぇだな。前科
梅本は、ため息混じりに両手首を揃えて手錠をかけられるポーズを取った。
「でも、
刑務所慣れしている相沢は、慨嘆するように言った。
「確かに。ホントなら俺の刑期満了は半年も先だったんだぜ」
「俺もそんなもんだ」
「
「まったくな。だから、こんな状況で寿命なんか知ったって、なんの意味もねぇだろ。あと三十年生きられますなんて言われたって、どうやって三十年間も飯を食うんだって話だ」
「そりゃあそうだけどな。でも一応権利だからな……。俺たちみたいなクズに与えられた数少ない権利だ」
「もったいないから、その権利とやらを使いたい、ってか?」
「それもあるけど、何となく知りたいって感じかな」
「ふーん、そんなものかね」
梅本の言葉に、相沢は不得要領な表情で頷き、ウイスキーの残りを飲み干した。
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