第22話(SIDE E・F)
「ここがフュルミナン……」
「壮観だな」
『すごいです』
今、総司と匡平とアリアンの目の前には広大な草原が広がっている。形はいびつな楕円形で、全体で何平方キロメートルになるか判らない。一面が緑に覆われ、部分的に土が見えている。あちこちに細い川が葉脈のように流れていた。
そのその平原の中央部に、一つの巨大な岩があった。まるでエアーズロックを薄くして大きく広げたような外観で、形はほぼ円形。直径は一キロメートルにもなり、高さは数十メートルにもなるだろう。その側面の数箇所には真四角の出入口が存在し、その周囲には大勢の兵士が集まっている。この草原に集結した人間と獣人の兵士の総数は数万となり、この位置からはその全軍を一望することが可能だった。
そこはメダール高原の一角、フュルミナン。そして総司達が見つめる巨大な岩の舞台こそフュルミナン地下神殿――ただし外から見えるのはただの出入口に過ぎず、神殿本体はその名の通りに地下に存在した。今、この地下神殿は「永遠の楽園」という名の、この世の地獄と化している。
総司達がこの迷宮でリポップし、探索を開始してから三七日目。クールーに赴き、島本水無瀬から話を聞き、彼女を見送り、ようやく戻ってきたところである。彼等は峠道の頂上に立ち、少しの間その雄大な眺望を楽しんだ。その後は下り坂を降りて共和国軍の野営地へと向かい、ディアデム達と合流する。
『待っていたぞ。明日、作戦を開始する』
前置きも何もなしにディアデムが通告。総司は固い顔で「はい」と頷いた。総司の発案した「迷宮攻略最終作戦」をディアデムが修正・具体化し大将軍ヴァルカンに提出。それが承認され、準備が始まったのが九日前。全ての準備はとっくに終わっており今は作戦開始を待つばかりのところだった――総司の準備を除いては。総司はこの最終作戦にあたり最も重要な役割を担う予定となっている。
『それじゃ今から準備にかかります』
総司と匡平が迷宮に向かおうとし、それを「あの」とアリアンが呼び止めた。
『何かわたしに手伝えることは……』
『ごめん、これは秘密にしなきゃいけないことだから君はここで待っていてほしい』
総司は申し訳なさそうにそう告げ、アリアンは残念そうにしながらも「判りました」と頷く。そうして総司と匡平は改めて迷宮の中へと入っていった。それにヴェロニクとエムロードが同行する。
『……エムロードさんはこっちに来ない方がいいと思うんですが』
総司の懸念にエムロードは鼻を鳴らし、
『そうはいかない、あなたが隠れてやろうとしていることを見届けないと』
『見張りならヴェロニクさんがいれば充分じゃないですか』
『この雑な男じゃドラゴンが目の前を通り過ぎても見落とすわよ』
ヴェロニクは面白くなさそうな顔をするがいちいち反論しなかった。
『無理はしないで、適当なところでディアデムさんと合流してください』
総司の忠告をエムロードは『余計なお世話よ』と拒絶。総司は肩をすくめ、それ以上は何も言わなかった。そしてエムロードは忌々しげな顔をフードで隠し、殺意にも似た視線を総司へと送っている。
(この男、やっぱりわたしの祝福に気付いている)
彼女の祝福は「読心」、近くにいる相手の心を読むものだ。もっとも相手の考えていることを百パーセント読み取れるわけではなく、快不快といった相手の感情、言っていることが嘘か本当かを感じ取れるくらいである。それでもどんな偽装だろうと通用しないことを、そして彼女の役割を考えるなら、その能力は極めて有用だった。
『あの男は嘘を言っていません』
作戦会議の最中、ずっと総司を観察していたエムロードはその結果をディアデムに報告した。
『でも何かを隠している。それが何なのかまでは判りませんが……』
そうだろうな、と頷くディアデムはその「何か」に察しがついているかのようだった。
『嘘を言っておらず、我々を裏切るつもりもないのなら問題はない。彼の作戦を採用する』
ですが、と抵抗するエムロードだが総司の案に代わる良案があるわけではなく、結局それを認める他なかった。だが、
『ですが監視は必要です。あの男が隠れてやろうとしていることを明らかにするために』
『それはもちろんだ。君を頼りにしている』
ディアデムから全幅の信頼を寄せられたエムロードは顔がとろけそうになるのを全身全霊で自制しなければならず、今思い出してまた顔がにやけそうになっていた。と、そんな回想をしているうちに、
「……この辺でいいか」
やってきたのは入口から入って百数十メートル真っ直ぐ突き進んで到着した、最初のターミナルだ。その部屋の側面には通路への出入口がいくつも等間隔に並んでいて、そのほとんどが地下へとつながっている。
「ここで何をするんだ? クラッキングを仕掛けると言っていたけど」
「その準備だな」
総司が魔法のカバンから取り出したのは魔法の鏡と、一個の水晶玉だった。薄く青みがかかった透明で、ゴルフボールより一回り大きいくらい。内部に刻み込まれた電子回路のように複雑な紋印は光を乱反射し、万華鏡のような煌きを生み出していた。
掌の中の水晶玉に視線を落としていた総司は、握りつぶさんばかりにそれを握り締めた。そして意を決して顔を上げる。攻略の鍵は最初からこの手の中にあったのだ。必要なフラグは全て回収し、記憶領域も全て解放されている。他に必要なのは――覚悟だけだ。
「始めよう。これが最後の戦いで、これが俺の戦い方だ」
総司の仰々しい物言いに胡乱な顔をしていたエムロードだが、それが蒼白と化すまで時間は必要ではなかった。総司の準備は深夜まで続けられることとなる。
総司達がこのフュルミナン地下神殿でリポップし、探索を開始してから三八日目。迷宮攻略は最終段階を迎えていた。この日が決戦の日、最終作戦決行日。
総司達がいるのは地下神殿の上部、巨大な岩舞台の上である。直径一キロメートルもある円形の岩舞台の中心に何百という兵士が集まり、総司達はそこから少し離れた場所で様子を眺めていた。
「泣いても笑っても今日が最後だ」
静かにそう告げる総司に、
「判っているさ」
と頷く匡平はいつもと変わらぬ涼しげな顔だ。
「は、はい」
涙目となり、身を震わせながらも頷く里緒。
「同じ最後なら笑ってる方がいいじゃん?」
と能天気な笑顔を見せる葵。
「そうだな」
と同意する若葉もまた小さく笑っていた。
総司は空を見上げる。太陽の高さからして時刻は午前九時頃、そろそろ作戦開始時刻――と思っていたら爆音が轟いた。見ると、兵士達の輪の内側、岩舞台の中心から煙が立ち昇っている。
「始まったか」
岩と鉄がぶつかる音が響き渡る。少し間をおいてまた爆音、小さな砂利や石の破片が降ってきた。総司達は兵士達が忙しく動き回る様子を見つめている。
兵士は交替でツルハシを振るい、岩の大地を穿っている。空いた穴には楔が打ち込まれ、岩が削り取られて穴はさらに拡大。その上ある程度の深さとなったら発破を仕掛けてさらに穴を深くする。それがくり返され、穴は見る間に深く大きくなっていった。
作業が進む中、何十というリザードマンやワーウルフが血相を変えてやってきた。全身を金属鎧で身を固めたその姿からおそらくは獣人軍勢の上層部だと思われた。獣人が人間側に詰め寄って猛然と抗議しており、人間側がそれに反論している。
『迷路を彷徨って迷宮の中心に向かうのは犠牲が大きくなりすぎるし、そもそも無意味だ』
『真正直に迷宮に挑む必要などない、ここから近道をして迷宮の中心部に直行する』
『神殿の機能を破壊するつもりはない。天井に穴を開けるだけなら迷宮の損傷も最小限だ』
『我々にはこれ以上人命も、時間も、戦費も無為にする余裕などないのだ』
獣人側がどれだけ抗議しようと人間側の姿勢は変わらず、その間にも掘削は進んでいる。やがて彼等も抗議を諦めて引き上げた――と思っていたらすぐに戻ってきた。何百という兵士を引き連れ、その全員がツルハシ等の掘削道具を手にしている。ワーウルフやリザードマンは共和国軍のすぐ横に陣取り、独自に地面の掘削を始めた。
「よしよし、計算通り」
と満足げに頷く総司。迷宮を掘削してショートカット、という攻略案を彼等が思いついていないわけがなく、だからこそ掘削道具も用意されていたのだ。ただ彼等の最終目的は迷宮攻略ではなく、神殿そのものを手に入れること。掘削で神殿の機能を破壊してしまっては元も子もなく、やむを得ずの自重であり、選択肢からの除外だった。だが「掘削しても神殿の機能を損なわない」という保証があるのなら話は別である。そして人命も、時間も、戦費もこれ以上かけたくないと心底から切実に思っているのは人間も獣人も変わりはないのだ。
「でもインチキもいいとこだよね」
「小学生向けのいじわるクイズレベルだな」
葵と匡平の酷評に総司は、
「コロンブスの卵と言ってほしいな」
と開き直って胸を張った。だが「迷宮を掘削してショートカット」という決断ができたのは「この場所なら掘削しても神殿の機能を損なわない」と総司が保証したからであり、それに嘘がないことをエムロードが確認し、それをディアデムが信頼したからだ。そうでなければその決断ももっとずっと先、人命も時間も戦費も無意味に失われ、どうしようもなく追い詰められ、「神殿を破壊することになっても仕方ない」と半ば自棄になってからの話になったことだろう。
隣り合うほどに近い場所での掘削作業は互いに影響を与えずにはいられなかった。獣人側は遅れを取り戻すべく必死になって穴を掘っている。人間側もまたそれに急かされるように掘削作業を進めた。三箇所での掘削はまるで競争のようで、発破もまた惜しみなく使われ、穴は見る見る急拡大。またこの影響は精神的なものだけでは済まなかった。
『底が抜けるぞ! 離れろ!』
縦穴の深さはまだ数メートル。だが三箇所同時に掘削され、発破も自重を放り投げてくり返し使われ、元々岩舞台は石灰岩主体でそこまで頑丈ではなく――掘削場所全体が大きく崩れて天井部分の底が抜けてしまったのだ。慌てて逃げた作業者がおそるおそるその巨大な穴を覗き込むと、天井部分の厚さは五メートル以上。その底には、地獄へと続くかのような暗闇がわだかまっている。
『よし! ここから中心部まで一直線だ!』
意気軒昂な将軍や兵士達――だがそのとき鳴り渡る、怪鳥の雄叫びのような高周波音。これまで聞いたこともないその異様な、不気味な高音に兵士は狼狽えずにはいられない。一方総司達は、
「このサイレンは?」
サイレンとはギリシア神話のセイレーンに由来するとされ、このセイレーンは美しい歌声で船乗りを惑わせ、船を遭難させるという半人半鳥の怪物である。総司達にとってはかつての日常でたびたび聞いた音でしかないが、この世界の人間にとっては初めて聞く、怪鳥の叫び声としか思えない代物だろう。
「迷宮が非常事態を発令した。このままでは迷宮全体が破壊されると判断して緊急対応を発動している」
「緊急対応?」
「ああ――来るぞ」
総司が真っ直ぐに迷宮の中心を、天井部分に空いた大穴を見つめる。若葉達四人もまた臨戦態勢でその穴に向き直り――その穴から腕が出現した。
総司達と比較すればその大きさは三倍にもなるだろう。指先から肘までが黄金の鎧で覆われた腕だ。その腕が岩を掴み、上半身を引き上げる。穴から姿を現したのは、巨大な雄牛の首だった。黄金に輝く雄牛の首を有する巨人が穴から這い出てくる。
「ミノタウロス……」
「あれが『迷宮の守護者』……」
その身長は四メートルにもなるだろう。その全身は爪先から首まで黄金の鎧で覆われ、雄牛の頭部も、一際巨大な二本の角もまた黄金。黄金で作られた巨大な彫像のような姿だが、目はルビーのように紅い。また鎧の、胸の中心でも大きな紅い宝玉が輝いている。その両手に持つのは二本のハルバード、槍と斧を組み合わせた武器だ。
『GAAAAAAA!!』
大地を揺らすほどの雄叫びを上げ、己が身長を超える巨大なハルバードを縦横に振り回すミノタウロス。雄叫びは地面の小石や砂を震わせ、ハルバードが作った烈風は総司達の髪をなびかせた。それは重々しい地響きを立てながら、一歩一歩総司達へと接近する。そして一〇メートルほどの距離を置いて停止し、ハルバードの穂先を総司へと突き付けた。次の瞬間にはミノタウロスの攻撃があるものと見なした若葉達が即応体勢を取り――だが最初に振るわれたのはハルバードではなく、舌鋒だった。
『てめー、インチキしてんじゃねーよ! せっかく頑張って用意した迷宮なのに!』
「……ああ、うん。ごめん」
声音は怪物の姿に応じた重苦しい代物だがその口調は高校生の大海千里そのままだ。総司はつい反射的に謝ってしまう。
『てめーらまだまだ序の口をうろついていただけじゃねーか! 人が頭を絞って何個のステージを用意したと思ってるんだよ! どんだけ罠を作っててめーらを待っていたと思ってるんだよ!』
「知らんがな」
と素で応えるのは若葉である。また葵が、
「死なない保証があるなら迷宮攻略に付き合ってあげなくもないけど」
『死なないだろ、てめーらは』
ミノタウロスの表情は変わらないが、そこに浮かぶのが嘲笑なのは自明だった。
『死んだってすぐにリポップするよう設定してやっているだろ。気にする必要があるか?』
「ゲームの勇者がどういう設定なのかは知らないけど、今の俺達は死んだらそれで終わりだ。リポップするのコピーであって今の俺達じゃない。俺達はこれ以上お前の玩具にはならない」
『いーや、まだまだだ!』
ミノタウロスはハルバードをでたらめに振り回した。
『まだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだ足りない!! 俺が玩具にされて苦しんだ分てめーらを玩具にして弄んでやるんだ! まだまだ遊び足りない! 全然足りない!』
それはまるで小さな子供が駄々をこねているようで、総司は恐怖よりも深い憐れみを覚えている。
「遊びの時間はもう終わりだ。この地獄を今日ここで終わらせる」
『やってみせろよ! できるのかよ?!』
ミノタウロスは一際高らかに哄笑した。
『この「迷宮の守護者」には物理属性攻撃完全無効と魔法属性攻撃完全無効が付与されている! 攻略アイテムもラスボス特攻の武器も迷宮の奥にちゃんと用意していたのにそれを全部スキップして! どうやって戦うつもりだよ、そんなひのきの棒と布の服で!』
「インチキはどっちだ」
悪態をつく匡平だが返ってくるのは嘲笑ばかりだ。四人の視線が総司へと集まり――その目が見開かれた。
「あいにくだったな、準備は万全なんだ」
『どこかだよ?』
「こういうことだよ」
と総司が手にした杖を高々と掲げ、それが眩い光を放った。数秒を経て光が収束し――
「これは……」
『それは……』
若葉や匡平達、それとミノタウロスの声が重なった。一瞬にして、五人の装備が一新している。私服または学校の制服の上に、宝石よりも眩い鎧を、護符を身にまとい、太陽よりも輝かしい剣を、武具を手にしている。
「ヘアバンドの宝玉は『ハーデスの門』、敵の攻撃を吸収して別次元に転移させる。肩当ては『ジークフリートの鎧』、魔法攻撃完全無効、物理攻撃は千分の一に減衰させる。胸当ての一〇個の宝玉は『アイギスの護符』、クリティカルの攻撃を一回だけ引き受けて無効にする。イヤリングの宝玉は『ク・ホリンのルーン』、あらゆる遠距離攻撃を無効にする。ガントレットは『皇帝の拳』、物理属性攻撃無効を無効にしてあらゆる防御を貫通する。剣は『妖刀ムラサメブレード』、敵の魔法攻撃を吸収して自分の攻撃に転嫁する。ブーツは『スカンダの翼』、跳躍力と移動速度を最大百倍まで引き上げる」
『チートだ!! データを改造しやがったな!』
ミノタウロスの悲鳴に近い絶叫に若葉達はちょっとばかり留飲を下げている。それらの最終決戦仕様装備は、本来迷宮攻略を進める中で順次手に入れていくはずのものだった。が、結局のところ迷宮にはそのデータが保持されているのだから、データさえ手に入ればわざわざ迷宮に潜らなくても装備可能なのである。だが、
『残念だったな、こっちは運営なんだよ! この程度のクラッキングすぐに――』
データの不正改造に対処しようとしたミノタウロスが、まるで呆然としたかのように動きを止めた。それは深々とため息をつき、総司を見つめてつくづくと、
『おまえ……狂ってるわ』
「他に方法がなかったんだ」
一応自覚がないわけではない総司が言い訳がましく言う。若葉と葵と里緒の不審の目を振り払うように、
「でもあまり長い時間は持たない。速攻で倒すぞ」
『やってみせろよ! できるものなら!』
黄金のミノタウロスと総司達五人が激突し、雷鳴が轟き烈風が吹き荒れる。まるで神話のような、常識も限界も超えた異次元の戦いが展開し、誰もがその光景に心を奪われた。
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