第18話(SIDE E)
総司達がこの「永遠の楽園」と呼ばれる迷宮でリポップし、探索を開始してから二〇日目。ディアデムと会談し魔法のパソコンを手に入れた、その翌日。
「瀬田達と連絡を取りたいと思う」
総司が四人にそう提案し、葵と里緒は軽く目を見張った。
「ようやくある程度の安全が確保できたし、自由に動ける時間もできた。迎えに行くのは今しかない」
「そう言えば色々ありすぎて忘れてたけど」
「もう獣人に怯えて逃げ回る必要はないことを伝えないといけないです」
乗り気となっている二人に対し、若葉と匡平は難しい顔だ。
「でもあの場所まで戻るのは難しいし危険じゃないのか?」
「そもそもあいつら、まだ生きているのか?」
身も蓋もない匡平の物言いに総司は苦笑いを抑え込んだような顔となった。
「マッピングはずっと続けてきた。道順は判るしこういうものもある」
と総司が取り出したのは携行式の墨壺と筆で、ディアデムに依頼して分けてもらったものだ。
「これでマーキングをしていけば帰りに迷うことはない。行きも、寄り道しなければ一時間足らずで行ける場所だ」
その思いがけない近さに四人が驚く。
「一時間足らずって言っても距離にすれば四キロメートル近く、仮にも建物の中だってことを考えればとんでもない距離なんだけどな」
つまりは往復で二時間程度の行程で、迎えに行くこと自体には問題はなかった。
「獣人には俺達を襲わないようディアデムさんから要請してもらっているけど、もしかしたら瀬田達や四番目の俺達が獣人と殺し合いの真っ最中かもしれない。獣人側が襲ってくる可能性はゼロじゃないことも考えて、こういうものも用意してもらった」
と総司が取り出したのは、粗末な衣服や剣が人数分である。
「現地軍一兵卒セット。これを着ていれば現地軍の兵士だと思われて獣人との戦いは回避できる……はずだ」
この世界の人間勢力と獣人勢力は休戦状態だが、獣人は総司達を見つけたなら喜び勇んで襲いかかってきた。総司達と現地人をどうやって見分けているかと言えば、服装以外に考えられなかった。
「俺達がワーウルフやリザードマンの一人一人を見分けることがほとんど不可能なように、彼等だって俺達と現地人の区別はまずできないものと思われる。ましてや灯りのほとんどない迷宮の中だ」
獣人は人間よりも暗視能力に優れているが、それでも顔立ちや肌の色で現地人と異世界人を区別しているわけではないだろう。なお余談だが、総司達が光源の全くない迷宮の中でもものを見るのに何一つ支障がないのは、魔素を光の代わりにしてものを見ることに目が最適化しているからだと思われた。
「これ……着るの?」
「すごく臭うんですけど…」
が、その衣服を指先でつまんだ葵と里緒は顔をしかめている。総司は「仕方ないだろう」と二人をたしなめた。
「それでも水で洗って魔法の炎であぶって乾かしたんだ。蚤や虱は全部駆除したことを解析で確認したから」
余計にその衣服を着ることを嫌がる二人だが「上から羽織るだけでいい」と再三言われ、ようやくそれを身にした。
「それで、どこまであいつらを探すつもりだ? 生きているかどうかも判らないし、生きていてもあの場所にまだ立てこもっているとは、ちょっと考えられない」
「あの場所まで行ってみて、その周りをある程度探してみて、何も見つからなかったらそこで諦める。何が何でも見つけて保護してやらなきゃ、とまでは思っていない」
総司は冷徹を装ってそう言い、
「それならいい」
「このまま見捨てるのは寝覚めが悪そうだ」
その方針を匡平や若葉も是とした。そして五人は迷宮の奥へと出発し、結論から言えば瀬田輪大を始めとする一六名のクラスメイトを、誰一人として見つけることができなかった。
「……仕方がない。帰ろう」
瀬田達が元いた場所やその周囲にはコピーした魔法のカバンを置いてきた。その中のノートには迷宮の地図が描かれているし、迷宮の壁には地球のアルファベットやアラビア数字で印を残している。生き残りがそれを見つけたなら総司達の下までたどり着くのは難しくないだろう。
「できるだけのことはして、それでも手の届かないことはある。そもそも俺達にできることなんてごくわずかだ」
暗い顔をする葵と里緒を総司が慰めるが、それは自分自身に言い聞かせるかのようだった。なお若葉や匡平にはほとんど動揺は見られず、二人にとって瀬田達のことは別行動をとった時点から「無関係な他人の話」だった。
その翌日。朝早くから迷宮の出入口の方が何やら騒がしいので葵達が向かってみると、
「うへぇ、なにこれ」
葵は鼻をつまみ、里緒はしかめた顔を背けている。大勢の兵士が荷車に積んで迷宮の中まで運び込んできたのは、大きな牛の死体だった。死んでから結構な時間が経っているらしく、死体は腐乱までいかずとも腐臭を漂わせ、無数の蠅がたかっている。それを見た総司は、
「これだけあれば充分だな」
と満足そうに頷き、それを迷宮の一室に運び込むようにアリアンを通じて指示した。兵士が指示に従って動くのを見ながら少女が総司に問う。
「どうするんですか? あんなもの」
「いや、まー、その」
と言葉を濁して目を逸らす総司に、
「それじゃ戻りますね」
簡単にあいさつをしたアリアンは何も訊かずに立ち去っていく。総司は安堵のため息をついた。
それから少しの時間を経て、総司達が寝泊まりに使っている部屋のすぐ近くの、迷宮の一室。その部屋の真ん中には牛の死体が置かれ、その前に総司達が佇んでいる。
「それで、どうするわけだ? こんなものを」
「さすがにわたし達には内緒にはしないだろう?」
説明を求める四人に対して総司は「もちろん」と頷いた。
「……ディアデムさんから連絡があったんだが、部下の人に島本を迎えに行かせたけど島本の具合はかなり悪くて、ここまで来させるのは非常に厳しいって話だ」
彼女がいる町・クールーから現在地・フュルミナン地下神殿までは七
「でも、この迷宮の謎を解くには何としても島本から話を聞く必要がある」
「携帯が使えればいいのにね」
「携帯に代わるような魔法の道具はないんでしょうか?」
「普通に手紙でやり取りじゃだめなのか?」
「代わりにアリアンに話を聞いてもらうのは?」
葵や匡平達の発案は当然総司も思いつき、検討もしたのだが、
「島本の容態を考えるなら悠長なことはしていられない、急ぐ必要がある。だから、望んで選ぶ手段じゃないけど……」
と総司が視線を向けるのは牛の死体である。今の話とこれがどうつながるのか、と匡平達は首を傾げた。
「俺達が――俺が迷宮の外に出てクールーまで行って、島本と直接会って話を聞くのが一番確実で手っ取り早い。でも俺達は迷宮の外に出られない。じゃあどうするか?」
「どうするの?」
「迷宮の外に出られる俺を作り出す」
葵は首を傾げ、里緒は戸惑い、若葉は目を瞬かせ、匡平は驚きの様子を見せた。
「そんなこと……できるんですか?」
「俺達が外に出られないのはこの身体が魔法のレゴブロック製だから。それなら真っ当な物質を使って俺達の身体を作ればいい。そのためにこれを用意してもらった」
と総司は牛の死体を視線で指し示す。
「じゃあわたし達もここから出られるの!?」
と色めき立つ葵だが、総司は「違う」と首を強く横に振った。
「今の俺達が外に出られるようになるわけじゃない。新しい俺をコピーで作り出す。そのときの材料に魔法のレゴブロックじゃなく真っ当な物質を使わせる。これを使って」
と総司は魔法のパソコンを軽く叩き、
「迷宮のコピー機能にそういうコマンドを割り込ませる。……多分上手くいくと思うけど正直やってみないと判らない」
その説明を理解し、葵は「そう」と肩を落とした。顎に手を当てて考えていた若葉が問う。
「外に出るのは委員長だけなのか?」
「望んでこんなことをするわけじゃないけど他に方法がない以上仕方ない。虎姫達は、必要もないのにわざわざ自分のコピーを作ろうなんて思わないだろう?」
総司は軽い態度を装って肩をすくめ、若葉達は肩を落とした。今の自分達が外に出られないことは何も変わらず、外に出られる新しい自分を作り出すだけ。言葉も通じない、せいぜいが近世初期の文明レベルの異世界にコピーされた自分を放り出すだけ。そんなことを誰も望むはずが――
「じゃあ希望すればそういうコピーを作ってくれるのか?」
そんなことを言い出した者に一同の驚きの視線が集中した。
「高月、お前……」
若葉はその名だけ口にして絶句。総司もまた真円にした目を匡平へと向け、それを受けた彼はいつものようにアルカイックな笑みを浮かべている。
「三島が外に出るなら護衛は必要だし、気心の知れた相手が一人くらいいてもいいだろう?」
「何回でも念押しするけど、今の俺達が外に出られるようになるわけじゃない。外に出られる俺達を新たに作り出すだけだ。何かの慰めにはなるかしれないけど……」
「慰めというか、意趣返しだな」
意趣返し?と首を傾げる総司に、
「『迷宮の守護者』とやらは俺達をこの迷宮に閉じ込めて、俺達が無様に泣き喚いて何度も死んでいくのを見て嗤っているんだろう? その思惑から、この牢獄から抜け出して自由に生きられるなら、それこそ『迷宮の守護者』への最高の嫌がらせになるんじゃないか?」
「そうかもしれないけど……」
そのために自分のコピーがどれだけの苦難を背負うことになるのか、想像もできない。だが匡平の決断はそれも呑み込んでのことなのだ。
「それにせっかく異世界にやってきたのにずっとこの迷宮に閉じ込められて、うんざりしていたんだ。外に出て旅する機会があるならそれを逃す手はない。いずれはこの世界の端から端まで見て回ってやろうと思っている」
「それはいいけど、全部解決してからにしてくれよ?」
総司の懸念に匡平は「判っている」と笑い、若葉はそれを羨望の目で見つめている。だが結局若葉は、葵や里緒も「自分のコピーを作り出す」という決断を下すことができなかった。
「それじゃ早速」
今、総司の前には魔法の鏡と魔法のパソコンが並べて置かれている。総司が魔法のパソコンに手を触れ、呪文を唱えるとその鏡面に光の線で描かれた魔法陣が浮かび上がった。総司がそれに指で触れ、回転させて拡大させて文字を選択する、等の操作をし、
「タッチパネルなんだ、すごい」
「魔法のパソコンというよりタブレットだな」
と一同が感心した。が、総司にとってこの魔法のパソコンを使うことは苦痛でしかない。「中の人」が今この瞬間も塗炭の苦しみを味わっていることを思えばこれを見るのも触れるのも嫌で、可能なら今すぐにこれを破壊し、「中の人」がそう望むように彼を殺してあげたかった。だがこれは数少ない貴重な魔法遺物で、ディアデムから借り物で、断りなく破壊すればせっかくの協力関係が崩れかねない。それに何より、必要なのだ。迷宮をクラッキングするために、迷宮攻略を進めるために。
「よし、魔法の鏡をこっちに向けてくれ」
「こうか?」
その指示に従い匡平が魔法の鏡を総司に向けると、鏡から何かが出てきた。それはうすぼんやりとした光の塊で、人の形に見えなくもない。
「普通の物質を使うとコピーにかなり時間がかかるらしい。終わるのは……夜になるか」
「それまでどうするの?」
「念のために俺はここに残って様子を見る。みんなはわざわざ付き合う必要はないから、適当に休んでくれ」
級友のコピーが一から作られるところなど見ていて気持ちのいいものではなく、総司の言葉に甘えて若葉達は普段使っている部屋へと戻っていった。それでも時折様子を見に来るなどして、約一二時間が経過し、時刻は深夜。
「うわ、本当にいいんちょが二人いる……」
元からいた総司と、コピーされて新たに作り出された総司。その二人が並んでいるのを見、葵は怖気づいたような声を出した。里緒や若葉も、この総司に怯えたり気持ち悪がったりするのを無理に我慢しているような顔だ。すると二人の総司が同じような、ちょっと何かを考える顔をし、
「お忘れですかお兄さま。一〇分前に製造されたあなたの弟です」
「すみません、実家には三週間ほど帰っていないもので」
突然始まったその漫才(?)に一同は困惑し、
「お前の冗談は面白くない、というか元ネタがあるんだろうがニッチ過ぎて判らん」
匡平の評定に若葉達三人が頷き、総司の二人はそろって傷付いた顔となった。
「それで、どうなんだ? 何か問題は?」
「いや、何も」
と二人の総司が首を横に振る。
「こっちの身体でも祝福が使えるのは嬉しい誤算だった。それに、何かつながっている感じがする」
「つながっている?」
「テレパシー的な何かで。見聞きしているものをお互いに共有することができる」
それはすごい、と感心する若葉。
「それじゃ外の情報をリアルタイムで教えてもらえるわけか」
「ああ。あとは本当に外に出られるか試してみて」
「大丈夫なようなら高月をコピーする」
その説明に匡平が「判った」と頷く。そしてコピーされた総司が外で活動できることを確認。匡平のコピーが開始され、終了したのは次の日の昼前である。
そこは迷宮の外の、共和国軍前線基地の一角。迷宮に向かって歩く少女が爽やかな青空を軽く見上げ、
「アリアン」
声をかけられて視線を正面に戻し、驚いた顔となった。
「ソウジさん、その格好は……それにどうして外に」
炎天下の中、総司と匡平が並んで立っている。二人が身にしているのはいつもの学校の制服ではなく他の兵士と同じ、粗末なシャツとズボン。現地軍一兵卒セットである。
「色々あって俺達二人は外に出られるようになった」
そうなんですか、と応えつつも首を傾げる少女。が、総司は「自分達は追加で作られたコピーだ」等と、詳しい説明をするつもりはなかった。アリアンが知る必要はなく、知ったところで彼女を怯えさせるだけのことで、この少女に気味悪がられて距離を取られたならさすがの総司も傷付くし、色々と支障が発生する。
「今からクールーに行く。島本に、君の母親に会いに行く。道案内をお願いしたい」
これから数日間、アリアンとともにこの世界を旅するのだから。
再び驚きに目を丸くする少女だが、
「判りました、よろしくお願いします」
と明るい笑顔となった。
――総司と匡平、それにアリアンがフュルミナンを出発したのはその翌日のことである。行く先はクールー、そこにいる島本水無瀬は迷宮の謎の、核心を知っているはずだった。
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