第15話(SIDE E)


 総司達がこの「永遠の楽園」と呼ばれる迷宮でリポップし、探索を開始してから一五日目。この世界の人間と接触してからは七日間が経過している。この七日間、彼等は軟禁状態に置かれていた。

 迷宮に無数に設置されている小部屋の、入口に近い場所の一つを仮設の牢屋とし、そこから出ないよう言われているのだ。鉄格子どころか扉すらないが部屋の前には武装した兵士が何人もいて、魔法のランタンを煌々と焚き続け、昼夜を問わずに歩哨し続けている。

 幸い荷物を取り上げられたりはしなかったので、総司は魔法の杖の解析と活用の研究に没頭している。そしてそれは長足の進歩を遂げていた。実態としてそれは「研究」などではなく「リハビリ」と言うべき代物だったのだから。


「……やっぱりこうか」


 総司は魔法の杖を散々いじくり回すことでその使い方を。それに付随して魔法に関する知識も、忘れていたものを取り戻すように蓄積し続けている――本来知るはずのないそれを。まるでフラグが立ったので記憶の封印が解除されたかのよう……いや、「まるで」ではなく実際その通りとしか言いようがなかった。


「前回の俺の記憶は迷宮に保持されていて、全部じゃないけど俺はそれを継承した。ノートの記録にはないけど前々回、それよりも前に魔法に関する知識を深めた俺がいて、その記憶を継承しつつある……でも全部じゃない」


 封印された記憶は一つだけではなく、おそらくまだまだ存在するに違いなかった。それを開放するにはフラグを立てねばならず、現状ではこれ以上のフラグは立ちようがない。


「迷宮を探索するか、外部との交流を深めるか。いずれにしても軟禁状態のままじゃ話にならない」


 そう思いつつも、外部の人間勢力に逆らうのは得策ではないと判断されるのでひとまずは大人しくしているのだ。時間を無為にしている感覚を総司は何とか抑え込み、表向きは平静を装った。

 有意義な時間を過ごしているように見える総司ですらこうなのだ。他の四人はこの長い無為な時間を完全に持て余していた。

 若葉と匡平にできるのは、身体がなまらないよう軽いトレーニングをするくらいだ。本格的な組手の一つもしたいところではあるのだが部屋はそこまで広くなく、また歩哨の目をはばかる必要もあった。


「相手の出方によってはここを強行突破して迷宮の奥に隠れ潜むことになるかもしれない。虎姫や高月が強いのがばれると見張りが増えるとか全員ばらばらにさせられるとか、面倒なことになるかもしれない」


 総司のその懸念を理解し、二人とも自重しているのである。

 里緒はずっとバイオリンの練習をしている。兵士からやめるよう言われたのは最初だけで、その後は黙認されていた。


「もうコンクールに出ることもないでしょうけど……わたしはこれの他に何も知りませんし、これの他に何もできませんし、これがなければわたしじゃありませんから」


 そう言ってはかなげに笑う里緒に、総司達は言うべき言葉を何も持たなかった。

 一番やれることがなく退屈そうにしているのは葵で、彼女は若葉達と一緒にトレーニングをしたり、総司にちょっかいをかけたり、里緒とおしゃべりをしたり、里緒のバイオリンに聞き惚れたりしている。


「うわー、久々にちゃんと聴いたけどやっぱりすごいねー!」


 その演奏を葵が拍手で賞賛し、里緒ははにかんだ笑みを見せた。そこに一休みしていた総司が、


「向日は桂川の演奏をあまり聴かないのか?」


「前に一回演奏会に招待してもらったけど爆睡しちゃって、それっきりかな!」


 朗らかにそう言う葵に対し、里緒は作ったような笑みである。


「だって知らない曲ばかりで退屈なんだもん。みんな知ってる曲、日向坂46とかがいいんじゃないかな!」


「桂川が『お前が自死を選ぶまで耳元で「ドナドナ」を弾き続けてやる』って顔になっているぞ」


「ええっ!?」


「どんな顔なんですか?!」


 そんないつものやりとりに匡平は肩をすくめ、若葉はため息をついた。あまり気が長くはない彼女はそれでも苛立ちを自制しつつ、


「委員長、いつまでここでこうしているつもりだ」


「相手が動くまでだ」


「一体いつになったら動く」


「そこまでは判らない。でも一月や二月は覚悟してほしい」


 一瞬自制が効かなくなり大声を出しそうになる若葉だが寸前でそれを抑えた。若葉の代わりに匡平が「何か根拠があるのか?」と問う。総司はすぐにはそれに答えず、出入口の方へと視線を送った。


「……見張りの中に、日本語を知っている奴がいただろう」


「そうだね、びっくりしちゃった」


 と葵は暢気に言うが、非常に重要なことだった。彼が知っているのは「めしだ」とか「うごくな」とか「でるな」とか、ごくごく簡単で必要最低限の単語数個だけだったが、


「俺達が何をするより前に、現地人が日本語を知っていた。つまりは俺達よりもずっと先に、日本人が現地人と接触している」


「それは誰だ?」


「判らない。前回、前々回よりずっと前の俺達かもしれないし、あるいは俺達とは別口でトラック転生した奴かもしれない。多分彼等はその日本人の通訳を呼び寄せようとしているんだと思う。俺達からこの迷宮の情報を得るために」


 彼等にその気があれば総司達は既に百回くらい死んでいる。生かされているのは理由があってのことで、それは「迷宮の情報を得たいから」くらいしか考えられなかった。


「獣人と人間で争っている様子がなく、どうやら共同でこの迷宮を攻略しようとしているらしい。俺達はその貴重な情報源だと思われている。何とかこの関係を維持して、協力していければ……」


「でもこの迷宮が何なのか、なんてわたし達が訊きたいくらいじゃないの?」


 身も蓋もない葵の一言に総司は頭痛のする額を指で抑え、


「……向日、桂川が『君のような口の軽いガキは嫌いだよ』ってキメラを作りそうな顔になっているぞ」


「なっていないと思います」


 里緒は即座にそれを否定した。


「ともかく。枚数は少ないけど手札がないわけじゃないし、俺達が迷宮攻略の尖兵になったっていい。俺達の目的のためには結局攻略をしなきゃいけないんだから」


「その辺は相手との交渉次第か?」


「そして交渉をするにも言葉が通じなきゃ話にならないわけだ」


 文字通りに、と総司は肩をすくめた。


「大砲は見かけたけど小銃が見当たらなかった点から判断するに、この世界の文明レベルは地球の中世末期か近世初期。移動手段は徒歩がほとんどで、馬や船が使えれば上出来の部類。通訳がどこにいるのか判らないけど『大阪から東京まで三時間足らず』って感覚は捨てた方がいい。江戸時代でも二週間かかったんだから」


「つまりはもう一週間か」


 若葉がそう言って天井を仰ぎ、そのまま床に大の字となった。


「運が良ければな。焦ったって仕方ない」


 総司は自分も含めた全員に言い聞かせるようにそう言うが、その時間感覚の悠長さにはため息をつかずにはいられなかった。だが、


「おい、でろ」


 見張りの一人が部屋の中へと首だけを入れて、大声の日本語を使った。総司達は思わず顔を見合わせる。


「もしかしてかなりの幸運に恵まれた、ってことか?」


「さてね」


 いずれにしてもその命令に従わないという選択肢はない。総司達五人は見張りの後に続き移動していった。






 やってきたのは迷宮の外だった。とは言っても迷宮の出入口から一〇メートルも離れていない。そこに天蓋だけの簡易天幕が設置されており、その周囲は武装した兵士が林立している。装備も服装も今まで見た中で最上位で、彼等の顔つきもまたそうだ。


「精鋭部隊だな」


 この人数だと戦っても勝てるかどうか、と若葉や匡平は固い顔となった。

 総司達は天幕の中へと案内された。強い日差しは遮られ、その中には床几に近い形の小さな、簡易的な椅子が並んでいる。手前に並ぶ五つの空席は総司達のため。その向かいに四つの椅子が並び、そこには既に四人が着席していた。

 彼等の衣服は中世ヨーロッパと中世イスラムを足して二で割ったような、不思議な意匠だ。どちらかと言えばヨーロッパ風味が強いように感じられる。だがここは迷宮攻略の最前線、戦場に準ずる場所のためその服装も実用的で活動的なものだった。ただそれでもその服が非常に上等で、彼等が高級軍人であることが察せられる。

 四人のうち二人は壮年の男性で、一人は若い女性。三人の中心にいる男が、この会見を設置した責任者なのだろう。年齢を測りがたい容貌だがおそらく四十代。友好的に微笑むその顔は一見柔和で穏やかな優男風だが、一方その眼は顕微鏡のように総司達を観察し続けている。


「情報将校か特務機関……ってところかな」


 その小さな呟きは四人には届き、誰もが顔を固くした。責任者の左右の、一方は三十代男性。大きく驚いたような顔を一瞬見せたが、それが何に、誰に対してまでは読み取れない。いかつい顔立ちで、武器は持っていないが全身鎧でガチガチに身を固めている。おそらくは副官兼武官兼護衛役だと思われた。

 もう一方は黒いローブを深くかぶって顔を隠しているが、おそらく二十代の女性。魔法使いで技官やアドバイザーの類だろうか。そして最後の一人。

 彼女は、総司達と比較してもこの場に全く相応しくない人間だった。年齢はおそらく総司達と大して変わらない。身長は里緒と同じくらいで、少女としてごく平均的な体格。その容貌は非常に可愛らしい、何故か親近感を覚えるものだった。ただ、服装がかなり粗末だ。高級軍人である男達と並ぶとその落差が明確だし、里緒や葵と比較するのはあまりに哀れすぎる。おそらくこの世界の庶民としてはそこまで悪くないものなのだろうが……彼女はこの世界のどこにでもいそうな、普通の少女だった。彼女自身も自分がどれだけ場違いかを嫌と言うほど理解していて、


「わたしはその辺の石の裏で丸まる、ただのダンゴムシですー。お願いしますからわたしのことはどうか気にかけず、無視しててくださいー」


 と全身で訴えながら身体を小さく小さく小さくしている。だが彼女がこの場にいるのは誰かの気まぐれや酔狂ではなく、何か理由があるのは間違いなかった。問題はその理由だが――


「あの、わたしの言うこと、判りますか?」


 彼女の言葉――明確な日本語に総司達が思わず立ち上がった。その勢いに彼女が小さな悲鳴を上げる。


「ああ、済まない」


 総司は自分を落ち着かせながら着席し、若葉達もそれに倣った。総司の目には情報将校の連中などすっかり見えなくなっており、意識の全てがこの少女へと向けられる。


「君はどうして、誰から日本語を?」


「わたしの母、日本人。それにわたし、『通訳』の祝福、持っています」


 そんな祝福が、と驚く総司だがそれよりももっと問うべきことがあった。


「君の母親の名前は?」


「シマモト・ミナセです」


 再び立ち上がった総司は、だが何も言えなかった。問うべきことが口の中で渋滞している。――島本のやつがなぜ、どうしてあいつだけ十何年も前に、君は何歳だ? 島本は今どこだ? どうしてここにいない? 俺達はそんな前からリポップしていたのか? どうしてあいつだけ外に?――それらの質問は言葉にならず、総司は馬鹿みたいにただ口を開閉させている。


「落ち着け」


 若葉が総司の頭を叩き、すぱぁん!と小気味よい音が響いた。総司は前に突っ伏し、頭を抱えて呻いていたがやがて何とか立ち上がり、


「虎姫」


「落ち着け」


 若葉が総司の襟首を持ち、締め上げる。二人の額が接せんばかりに近付いた。


「島本のことが気になるのは判るが、後回しにしろ。今相手にするべきは、あの男だ」


 若葉が一瞬視線を送った先を、総司もまた見た。そこにいる責任者の男は困ったような顔で総司達を眺めている――何の感情も交えない、冷徹な眼で。利用できるかどうか、ただそれだけを識別するように。


「ここは舌鋒による決闘の場で、相手はあの男だ。わたし達の命運は委員長の舌先三寸にかかっている」


 その諫言と、男の冷ややかな目。総司の頭を冷やすにはそれで充分以上だった。総司は大きく深呼吸し、気持ちを切り替える。そして男達へと軽く頭を下げた。


「済みません、うろたえてしまって」


「رجاء لا تقلق」


「気にしなくていい、と」


 仕切り直しをし、総司は視界から通訳の少女のことを排除し、意識の全てを責任者の男へと向けた。


「まず、あなた方のことを何と呼べばいいですか?」


 その問いに返ってきたのは「ディアデム」という人名だった。それがこの場の責任者の男の名前である。それに対して総司達もそれぞれが名を名乗り――総司は初めてディアデムの表情から感情の動きを読み取った。それは「驚き」で、「三島総司」という名前に対してのものだ。


「この名前に何かあるのか?」


 通訳の少女もまたあからさまに戸惑いや驚きを顔に浮かべており、総司はそれを彼女に問うた。彼女が許可を乞うようにディアデムを見、彼が何か言って小さく頷く。少女が総司へと向き直り、彼もまた真っ直ぐに彼女に向き合った。


「ミシマ・ソウジは――皇帝の名前です。魔法帝国の、最後の」

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