アンソニーとイメルダの心配

「ふう。やっと静かになりましたね」


クラリスの見舞いに来ていた面々が引き上げて行き、客室はようやく静けさを取り戻していた。

部屋の中に残っているのはクラリスとフレデリック、アンソニーと、奥に控えている一人の使用人だけだった。


「せっかくなのでもっとクラリス嬢の側にいたい所なのですが、ウィル様が明日からブートレット公国へ視察に行くのに同行するので、これからその支度をしなければいけないんです」


アンソニーが心底残念そうに言う。


「まあ、それでしたら私のことなどお気になさらず、どうぞお仕事を優先されてください」


「ありがとうございます。ミミ、ここに」


ミミと呼ばれた使用人が音もなくアンソニーの横に立つ。


「この者はミミといって、公爵家お抱えの使用人兼護衛です。私がいない間はこのミミがクラリス嬢とフレデリック殿のお世話をします」


「ミミと申します。ご用がありましたら、何なりとお申し付けください」


「わざわざ私達のために、そこまで…」


フレデリックもクラリスも驚きを隠せない。


「たいしたことではありませんよ。10日ほどで戻って来れるとは思いますが、その間お客人を放っておくわけにはいきませんからね」


「アンソ…ト、トニー様、ありがとうございます」


「ありがとうございます」


クラリスとフレデリックが頭を下げる。


そんな二人にアンソニーはにっこりと微笑み、クラリスの手を取った。


「あなたに会えない日がこれから10日も続くかと思うと寂しくてたまりません。戻って来た際は、またその可愛らしい笑顔を見せてくださいね」


聞いているだけで虫歯になりそうな甘い言葉を囁くと、クラリスの手の甲にキスをして名残惜しそうにドアへと向かった。




アンソニーは扉を開けて見送るミミに、先ほどの甘い雰囲気を一変させると、厳しい口調で命じた。


「ミミ。あの二人の側から離れないように。お前以外にも護衛をつけてはいるが、ここには悪意を持った人間がウヨウヨしているからな。絶対に二人を守ってくれ」


「御意」


王宮内で平民を療養させていることを、面白く思わない貴族や使用人は少なくなかった。ウィルとアンソニーがいなくなると、その悪意を剥き出しにして、クラリス達に危害を加えようとする輩がいないとも限らない。

それを心配したアンソニーは、クラリス達の世話をする使用人を全員公爵家の使用人と入れ替えていた。


(ハートネット公爵家と表立ってことを構えようとする愚か者は、そうそういないだろうが)


それでも心配性なアンソニーは、いま一度、宰相である父にクラリス達のことをお願いしておこうと、父の執務室に足を向けた。




「イメルダお嬢様、今日もこのミモザの保湿剤をお使いになりますか?」


「ええ。それでお願い」



帰りたくないとゴネるポールを皆で引きずるようにして王宮を辞し、イメルダはジャンに送られて帰ってきた。

少し遅目の夕食を取り、課題を終えて、ようやく一息ついたところに、メイドが湯浴み後に使う保湿剤の確認をしてきた。


ジャンからお試しでもらった保湿剤の使い心地をリポートした後、しばらくしてから、イメルダの指摘した改善点を完璧に修正した保湿剤が送られてきた。


(さすがはジャン様。本当に素晴らしい才能をお持ちだわ)


優しいミモザの香りに包まれて、イメルダはクラリスのことを思い出した。


(クラリス様…もともと華奢だったのが更に細くなられていたみたい。それはそうよね、あんなに恐ろしい目にあったんだもの。元気そうに振舞ってらしたけど…きっと怖くてたまらなかったに違いないわ。クラリスさんが学園に登校できるようになったら、できるだけお一人にしないようにしましょう)


イメルダにはクラリスの身に降りかかった災難が他人事だとは思えなかった。


(私だって、あの時…もしジャン様が助けに来てくださらなかったら…)


幸い未遂で済んだとはいえ、自分よりも体が大きくて力の強い男二人に押さえつけられ、逃げることが出来なかった恐怖と屈辱は、決して忘れることはできない。


事件の後、イメルダはエラリーのような大柄な男性が側に来ると、無意識に体が強張ってしまい、話もできないようになってしまった。先生やクラスメイトとも話ができなかったたため、イメルダは学園に通えず、屋敷に引き篭もる日々が続いた。


そんなイメルダを支えたのが、ジャンだった。


(ジャン様は小柄で可愛らしい感じでいらっしゃるから、あまり男性っぽくないのよね。だからかしら、ジャン様だけは近くにいても平気だったのは)


イメルダが授業に遅れないように、ジャンは毎日イメルダの元に通い、その日の授業の内容を教えてくれた。また、その都度、小さなブーケや可愛らしいお菓子など、イメルダの負担にならないようなちょっとした贈り物を持ってきてくれた。


おかげでイメルダが再び学園に通えるようになると、ジャンは登下校の送り迎えをかって出てくれ、学園でもイメルダが一人にならないようにずっと側にいてくれた。


そしてそれは二人が高等部に進学してからも続いていたのだ。


(ジャン様はお優しいから、私があんなに目に合ったのをご自分のせいだと思われて、こんなによくしてくださっているのだわ。本当なら私みたいな身分の者がお側にいられるような方ではないもの)


子爵家の一人娘であるイメルダは、いずれ婿養子になってくれる人と結婚し、家を継がなければならなかった。


(ジャン様は侯爵家のご嫡男でいらっしゃるのだから、いずれ高位貴族のご令嬢を奥様としてお迎えするのでしょうね。あんなにお優しい方の奥様になる方は幸せ者ね)


ジャンの優しさはイメルダ限定であるとは知らず、何故か胸がチクッと痛くなったイメルダは、考えるのをやめてメイド達の手に身を委ね、ゆったりと身体を休めることに専念した。

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