胸騒ぎの放課後


「イメルダ嬢、このイングー語の解釈なんだけどね」


「あ、それはですね…」


ジャンとイメルダは隣合わせに座り、仲良くわからないところを教え合っている。



「ん?なぜ、ここはこの公式が使えないんだ?」


「ったく、そこはAの公式じゃなくてBの公式を当てはめるんだよ。ほら、これがこうだから…」


エラリーとポールは間に椅子を一つ空けて座り、いがみあいながら仲良く(?)勉強している。





と、そこに、クラリスと一緒に、キラキラオーラ全開のアンソニーが図書館にあらわれたのを見て、全員が口をあんぐりと開けた。


「さあ、クラリス嬢、こちらの席に」


クラリスの鞄を持ったまま、アンソニーがにこにこしながらイメルダの隣の椅子を引く。


「あ、え、はい、ありがとうございます…」


クラリスが席に座ると、その隣りの椅子にクラリスの鞄を置いてブロックすると、流れるようにクラリスの手を取った。


「ア、アンソニー様…?」


「トニーです」


「で、ですが…」


「トニーです」


「……ト、トニー様、あの、送っていただき、ありがとうございました。鞄まで持っていただいて…で、ですが、この手は…」


クラリスが顔を真っ赤にしながら、小さな声でお礼の言葉を告げると、アンソニーはニッコリ笑って、クラリスの手に軽くキスを落とした。


「お礼など。本当はご自宅まで送って差し上げたいのですが、今日はこの後仕事がありまして。大変残念ですが、私はここで失礼します」


「あり…がと…ございまし…た…」


前世でも今世でも恋愛偏差値だけは低いままのクラリスが、半分魂の抜けた声で呟いた。


そんなクラリスを愛おしそうに見つめた後、完全にハニワと化しているエラリーに声をかける。


「エラリー、君は確か騎士志望でしたね。今日は人手が必要なので、一緒に来てもらえますか」


ハニワ化してはいても貴族の令息として、王太子側近の依頼を断わるわけにはいかない。


エラリーはハニワのまま荷物を片付けると、図書館を出て行くアンソニーの後をヨロヨロと追った。





「え、今のってアンソニー…?」


「ええ、私の目にもそう見えましたが…」


ようやく口がきけるようになったジャンとイメルダが、呆然としたまま呟く。

ポールはいまだハニワ化したままだ。


「あの、女嫌いで王太子にしか興味がないと言われたアンソニー…?」


「ええ、あの、難攻不落で、袖にした女性は数知れずと言われたアンソニー様ですわ…」 





アンソニーがクラリスに、婚約者も親しい女性もいないと言ったのは嘘ではなかった。

公爵家嫡男で宰相の息子であり、王太子側近のアンソニーの婚約者を簡単に決めるわけにはいかなかったのだ。下手に選ぶと貴族間のパワーバランスに影響を及ぼしかねない。

更に、アンソニー自身も王太子側近として、次期宰相候補として、公爵嫡男として、学ぶことがあまりにも多く、女性に目を向ける暇はなかった。

どんなに美しい女性に声をかけられても必要以上に話すことがないアンソニーは、王太子のことが好き過ぎて女性に興味がないのでは、と囁かれていた。



そんなアンソニーがクラリスには蕩けるような笑顔を向けているのを見て、さすがのジャンも驚きを隠せなかった。


「なんか、今日はもう勉強する雰囲気じゃなくなっちゃったね…」


「そうですわね…」


目の前でハニワ化しているポールと、真っ赤になって固まっているクラリスを見て、ジャンとイメルダは勉強会をお開きにすることにした。




「さあ、クラリス様、今日はもう帰りましょう」


「ポール、ポール!帰るよ!動いて!」


それぞれクラリスとポールを促して、何とか図書館を後にした。





図書館を出て馬車乗り場へ向かおうとしている四人の元に、ポールと同じクラスの男子生徒が声をかけてきた。


「あ!ポール!先生が探してたよ!見かけたら職員室に来るように伝えて欲しいって言われたんだ」


「職員室?何かあったか?」


ようやく人間に戻ったポールは男子生徒に礼を言うと、クラリスに向き直った。


「クラリス、少しだけ待ってもらえるか?送って行くから」


「ありがとう、ポールお兄ちゃん。でも、早目に帰ってお店の手伝いをしなきゃいけないから。今日はお兄ちゃんが遠くまで仕入れに行ってるから、お店はお父さんとお母さんだけなの」


「そうか、一人で大丈夫か?」


「もう、子供じゃないんだから、大丈夫よ」


「良かったら、僕達が送って行くよ」


「そうですわ。私もジャン様に送っていただいているんです」


「二人が一緒なら安心だな!じゃあ、俺は職員室に行ってくるから!」


ポールは手を振って校舎へと向かった。




馬車乗り場に到着すると、ちょうどクラリスの家の方に行く乗合馬車が着いたところだった。


「あ!ジャン様、イメルダ様、ちょうど乗りたかった馬車が来ていますので、私はこれで失礼いたしますね!(お二人の邪魔をするわけにはいきませんし!)」


クラリスは二人に一礼すると、にっこり笑って馬車に乗り込んだ。


「え、クラリス嬢、遠慮しなくても!」


「クラリス様!ご一緒に…!」


ジャンとイメルダはクラリスに声をかけたが、馬車はすぐに走り出してしまった。


「大丈夫かな」


「大丈夫かしら」


二人は心配したが、そこにつったっているわけにもいかず、ドットールー侯爵家の馬車に乗り込むと家路に着いた。





(ふふふ。ジャン様もイメルダ様もお優しいんだから)


乗合馬車の座席でクラリスは一人微笑んでいた。


あの二人が想いあっているのは一目瞭然だった。ジャンはイメルダへの好意を隠そうともしないし、イメルダもジャンを好ましく思っているのはよくわかった。


(まだお付き合いしていないのが不思議なぐらいだわ。あ、でも、イメルダ様は無自覚のようだから、ジャン様はイメルダ様がご自分のお気持ちに気づくのを待っていらっしゃるのかしら)


そんな二人の邪魔をしたくなくて、送るという申出をどう断ろうかと考えていたが、タイミング良く馬車が来てくれた。


(この馬車は、お店の前までは行かないから少し歩かなきゃだけど、乗り換える必要がないから安く行けていいのよね)


(そういえば、私、高等部に進学してから一人で帰るのは初めてだわ)


初日からしばらくはアリスが公爵家の馬車で送ってくれていたし、ポールが編入して来てからはポールと一緒に登下校していた。


(ふふ、たまには一人になる時間も必要よね)


クラリスは新鮮な気持ちで、鞄を抱きしめて、窓の外を見た。

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