エピローグ(3)

 一瞬、言葉が出なかった。

 あまりに意外な返答だったからだろう。私は恨みがましい顔のジュリアンを見下ろしたまま、しばしぱちぱちと瞬きだけを繰り返す。

 それから、我に返ったように慌てて頭の中で首を振った。


 ――い、いえ、別に変なことではないわ。


 ジュリアンだって十八歳。立派な青年である。

 十八と言えば、世間一般の令嬢令息たちは惚れた腫れたで大騒ぎをする年頃。社交界でも恋の噂はいつも話題の中心だ。私自身は特になにもないけれど、同年代のご令嬢からは相談を持ち掛けられることも少なくなかった。

 だからまあ、ジュリアンが恋の一つ二つくらいしていてもおかしくはない。好きな相手がいることも、むしろ普通のことなのだろう。

 だろう、けど。


「…………いたのね、好きな子」


 私はほとんど無意識に、ぽつりとそう漏らしていた。

 ごく当たり前の、驚くようなことではないとわかっているのに、なんだか妙に呆気にとられたような心地になる。


 ――どうして?


 先を越されたような気がするから、だろうか。

 ジュリアンとは、姉が当時の王太子殿下――ヴァニタス卿の婚約者候補になって以降、十年来の付き合いだ。厄介な姉の後始末をするうちに協力関係になり、いつの間にか気安い間柄になっていたのだ。

 姉が姉だけに、後始末組は忙しい。私もジュリアンも、互いに恋なんてする暇もないほど慌ただしい日々を過ごしているのだと思っていたのに――。


「……ぜんぜん気が付かなかったわ」

「そうだろうねえ! そうだと思っていたよ!」


 戸惑う私の言葉に、ジュリアンがわっと嘆く。

 顔はますます恨めしさを増しているけれど、私を恨まれても困ってしまう。ジュリアンの恋の話は、私にだって寝耳に水なのだ。


「かなり前からなんだけどなー……なんで気付かないかなー……」

「なんでと言われても……」


 改めて思い返しても、ジュリアンが誰かに対して特別思い入れているような言動はなかったように思う。

 ジュリアンは誰に対しても親しげだけど、逆に言うと誰が相手でも態度を変えない。気さくに見えて常に一線を引いていて、踏み込もうとすればさりげなく躱し、作り上げた外面の内側へ触れさせようとはしなかった。


 そんな彼の『特別』として浮かぶのは、せいぜい兄であるヴァニタス卿くらいだ。

 だけどまさか、兄を『好きな子』と呼ぶとも思えない。そもそも兄なら、王位継承権を捨てたところで結婚できるはずがないのである。


 こうなると、もうまったく心当たりが浮かばなかった。


「その『好きな子』って、どういう相手なの? 王族だと結婚できないってことは、身分差があるの?」


 となると平民か、あるいは貴族の中でもかなり貧しい家柄なのだろうか。

 そのくらいの身分ともなると、王城に出入りすることも難しい。どこでどう出会ったか知らないけれど、私が思い当たらないのも無理はないだろう。


 けれど、ジュリアンはすぐに首を横に振った。


「身分は問題ないよ。いいところの貴族の生まれでさあ。だけどその家は男児がなくて、跡取り娘なんだよね」

「なるほど?」


 そうなると、相手は婿養子を探しているだろう。王太子は当然他家の婿になどなれず、結婚するとなれば跡取り娘が王家に入ることになる。

 名誉なことではあるけれど、跡取りを失った家の方は問題だ。親戚筋から養子をもらうという選択も、家の状況によっては難しいこともあるだろう。


「それに、貴族同士の力関係の問題もあってさ。こう、王家が肩入れしていると思われかねない状況なんだ。もし僕がその子と結婚できたとして、その家は続けざまに王族と縁組したってことになるからさあ」

「ははあ……」


 それはたしかに、反対の出そうな結婚である。

 王族との結婚は、当たり前だけど王家とのつながりを強くする。特定の家に偏れば他の貴族たちから不満が出るし、王家としてもいち貴族にあまり力を持たせたくはないだろう。


 ――だから、王家から抜けようとしていたのね。


 ジュリアンの立場では、「好きだから」で結婚は許されない。

 王族であるというだけで影響があり、国内の力関係を揺るがしてしまう。


 それでも結婚を押し通そうとするのなら、王族ではいられない。勘当さながらに王家とのつながりをすべて断ち、王位継承権も放棄することで、ようやく結婚が認められる――というよりも、捨て置いてもらうことができるのだ。


 ――そこまでの覚悟が、ジュリアンにはあるんだわ。


 それほどまでに、相手のことが好きなのだ。

 身分を捨て、ただの『ジュリアン』となってでも一緒になりたい相手。


 ――だから、どうってことはないけれど……。


 別に、ジュリアンが誰を好きになろうと彼の勝手だ。勝手では済まない身分の問題も、本人がちゃんと考えているのなら私が口出しをする理由はない。

 そう思っても、なぜだか気分は複雑だった。

 いったい相手はどんな人物なのだろうと、無意識に両手を握りしめたとき――。


 ちらりと、こちらを窺い見るジュリアンと目が合った。

 彼は私を見上げて、やはり不服そうな顔で尋ねてくる。


「……リリア。ここまで聞いて、思い当たる節ない?」


 ない。


 私は迷わず首を横に振った。

 それこそが、私の複雑な心境の一つ。


 ――いいところの貴族の生まれで、跡取り娘で、最近王族と結婚した家族か親類がいる……?


 どう考えても、ジュリアンの言う特徴に当てはまる人物が浮かばない。

 そんな令嬢、この国にいただろうか?

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