おかえり、お姉様(4)

 私が姉を心配なんて冗談ではない。

 仲良し姉妹でもあるまいに、どうして私があんな頑固者を気にかけなければならないのか。

 今後、姉がどうなろうが姉自身の自業自得。泣こうがわめこうが私の知ったことではないのである。


「リリアだってわかっているでしょ。今の王宮の人間は、そもそもルシアに同情的だ。一年前のこともね」


 ……という私の猛抗議をまるごと受け流し、ジュリアンは私の隣に腰を下ろした。

 仮にも令嬢うんぬんと言い張るのも馬鹿らしい。どうせ部屋には私とジュリアンの二人だけである。

 彼は十年来の付き合いの幼なじみらしい距離感で、私に胃薬の瓶を投げて寄越した。


「そのために、一年も胃を痛めながら走り回ったんだ。君は魔術師団の裏方として、僕は向いてない王太子なんて真似をしてさ。いつか、こんな日が来たときのために」

「…………」


 その薬瓶を受け取って、私はむっと口をつぐんだ。

 抗議の言葉も今は出てこない。唇を結んだまま、視線は無意識に下を向く。


 見るともなしに手の中の薬瓶を眺めながら、思い返すのはこの一年間のことだ。


 一年前、私は姉を救えなかった。

 首謀者たちはすでに動き出し、私たちは出遅れた。残された時間はあまりに少なく、どれだけ手を尽くしても間に合わない。

 後悔の中で取れる選択肢は、姉を追放することだけだった。




 あれから一年。

 一年も、時間があったのだ。


 王宮の人間は入れ替わった。

 首謀者貴族の一派は排除され、好待遇での魔術師団復帰を約束された魔術師たちは戻れなかった。

 魔術師大量退団の裏にあった思惑は知れ渡り、姉は同情される立場になった。


 たしかに、姉は問題のある性格だ。

 自信過剰で傲慢で、妥協を知らない理想主義者。要領が悪くて融通が利かず、多くの人々と対立した。

 今だって、腹の中では姉への反感を抱いている人間も少なくないだろう。


 貴族社会では、姉のような性格では生きていけない。

 馬鹿が付くほど正直者な姉は、それこそ馬鹿を見るだけだ。一年前の件がなくとも、姉はいずれは蹴落とされ、王宮を去ることになっていたかもしれない。


 ――それでも。


 姉は国を愛していた。人々を愛し、守ってきた。

 国の私物化など望まない。姉は自分の力を、私欲のためになど使うものか。


 姉は本当は、真実国を私物化するだけの力があったというのに。

 どれだけ人々の反発を受けても、どれだけ自分が苦境に立たされても、それらすべてを覆せる魅了の力に、姉は最後まで頼らなかった。


 そんな姉が、こんな終わり方をしていいはずがない。

 たとえ失脚は避けられなかったとしても、罪を押し付けられ、貶められ――これまでの姉のすべてを否定して終わりなんて、絶対に認めない!


 ……この一年は。

 ずっと、『もしかしたら』を期待した日々だった。


 人手不足を覚悟で首謀者一派を丸ごと切り捨て、戻るはずの魔術師も戻さず、姉のいない国を必死に維持してきた。

 姉は陥れられたのだと認めさせ、多くの同情を集め、味方を作ってきた。


 いつか――ありえるかもわからない、『こんな日』を期待して。

 もしも姉が戻ってきたときに、もう一度この国でやり直せるように。




「大丈夫。ルシアが戻るのに反対する人間はいないって。きっと罪にも問われないよ」


 うつむく私の横で、ジュリアンがわざとらしいほど気楽に言い放つ。

 おおげさな身振りでもしているのだろう。並んで座るソファが、ぎしりと大きく揺れた。


「昨日の様子もみんな見たわけだし、反省しているのはわかってくれるよ。陛下だって、わざわざ戻ってきたルシアを今度は逃がしたくないだろうしさあ」


 明るい声に、明るい言葉。食えない彼らしくもない、わかりやすすぎるほどわかりやすい態度。

 隣でおどける彼の姿に、私はようやく納得した。

 だから、彼は私についてきてくれたのだ。


 ――……態度に出したつもりはないのだけど。


 それでも、どうしてか察してくれたのだろう。

 姉は本当にやり直せるのか、この国の人々に受け入れてもらえるだろうかと、内心は不安でいることも。

 本当は一人で、不安を抱え込むつもりでいたことも。


「ルシア自身も、あの時のことをいろいろ後悔していたじゃん? これからはもう少し柔軟になって、上手くやっていけるよ」

「……それはどうかしらね」


 別に慰められたからというわけではないけれど、私はうつむいていた顔を持ち上げた。

 そのまま一つ息を吸い、硬くこぶしを握りしめ――ジュリアンに向けるのは、思いきり渋い顔である。


「あのお姉様が、そう簡単に変わるとは思えないわ。また振り回される日々がはじまるのよ」


 口にする声もまた渋い。

 なにせ姉には前科が山ほどある。多少後悔したところで、どれほど変われるかはわかったものではない。

 そんな姉がいる生活なんて、想像するだけでも胃が痛くなってくる。


 ただ――。


「……まあ、でも、きっとお父様とお母様は喜ぶわね」


 私はどうでもいいけれど、両親は姉が戻ってきて嬉しいだろう。

 姉が追放されてから、二人ともずっと行方を気にかけていたのだ。

 だけど人をやって姉の様子を探っても、オルディウスに向かった後は詳細が知れず、余計に気を病んでしまっていた。


 だから、両親がようやく安心できるだろうことは、私としても良かったと思っている。


「喜ぶの、君の両親だけかなあ?」


 そう考える私の顔を、ジュリアンが覗き込む。

 顔に浮かぶのは、今度こそ食えない表情だ。呆れているような、からかっているような、楽しんでいるような――そのすべてでもあるような笑みで、彼はとんでもないことを言った。


「リリアって、本当にルシアに似てるよね。その素直じゃないところとか、特に」

「はあ!?」


 冗談じゃない、と思わず声を上げる私を見て、ジュリアンはさらに笑った。

 握りしめた私の両手を指さして――「癖までおんなじ」と言いながら。


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