一年前の再演(10)

 ――――なぜ。


 リオネル殿下の問いの答えは、私には想像がついていた。

 ジュリアンもわかっているだろう。問いかけたリオネル殿下自身も、おそらく本心では察しているはずだ。


 テオドールは凡人。

 良くも悪くも目立ったところのない、大人しくて人当たりが良いだけが取り柄の男。


 この男にとって、姉の力はあまりに大きく、重すぎたのだ。


「――――君さあ」


 ぐ、と呻きながら、仇でも見るように弟皇子を睨むテオドールに、横からジュリアンが口を出す。

 顔は笑っていながら、相変わらず瞳は冷たい。

 追い詰められたテオドールへの同情も、わずかも見られない。


「オルディウスでは上手くいかなかったんだろ。これだけの力を持つルシアを手にしておきながら、君は使いこなせなかったんだ」

「う……ぐ…………」

「オルディウスは兄弟が多いからね。しかも全員が全員、仲が悪いときた。互いに相手を警戒し、疑って、一堂に介する機会なんて存在しない。――ちょっと頭を使わないと、ルシアの魅了でも全員蹴落とすのは難しかっただろう」


 意地の悪いジュリアンの言い方に、青ざめたテオドールの顔が赤くなる。

 こぶしは硬く握られて、屈辱感に肩を震わせ、だけど無言で奥歯を噛む。

 その反応だけでわかる。

 図星なのだ。


「オルディウスの皇位継承順は、生まれた順番にはよらない。皇帝の指名が必要だ。だけど皇帝を狙おうにも周囲は厳重に警戒されているし、だったら指名をもらおうと思っても、凡人の君が後継者になるには兄弟全員を排除しないといけなかった」


 だけどきっと、テオドールが必死に考えても妙案は浮かばなかった。

 姉の魅了魔術は強力ではあるけれど、時間を置くほど正気に戻るという欠点がある。もしも魅了を使うのであれば、一度に全員に仕掛けなければならないのだ。


 一堂に介することのない兄弟に、同時に魅了をかけるのは難しい。

 しかも互いに警戒しているとなると、当然魔術についても備えているだろう。

 下手に魅了を使って防がれてしまったならば、今度はテオドールの切り札が露見することになる。


 この状況で行動に踏み切れたなら、テオドールは凡人には甘んじていなかった。

 テオドールは知恵を巡らせ妙案をひねり出すことも、無謀を覚悟で前に進む度胸もなかったのだ。

 だから――。


「――だから君は、妥協したんだ。皇帝は狙えない。兄弟も蹴落とせない。だけど魅了の力は、あまりにも惜しかった。使わないで腐らせる選択さえ、君は取れなかったんだ」


 テオドールは俯いたまま顔を上げない。

 足元を見つめる影の落ちたその顔を、私は下から無言で見上げていた。


 ――わかるわ。


 テオドールの気持ちは、私には理解できる。

 優秀すぎる弟。才能あふれる兄弟たち。賢帝と名高い父親。

 天才たちに囲まれての、帝国第一皇子の立場は、きっと居心地が悪かっただろう。

 自分を凡人と自覚し、劣等感を呑み込んだままニコニコ愛想笑いを浮かべ続ける日々は、胃に穴が開くほどに息苦しい。


 そんな平凡な男に振って湧いた、強大な力。

 身に余る力を得てしまったことが、この男の不幸だったのだと思う。


 魅了は人を狂わせる魔術。

 姉は魅了で正気を失ったけれど、この男もまた魅了を得たことによって正気を奪われた。

 たまたま手にしただけの力を自分の実力と勘違いし、鬱屈した精神を歪んだ自尊心に変え、本来ならば起こすはずのない行動を起こさせた。

 凡人で終わるはずの男に道を間違えさせたのもまた、魅了の狂気なのだろう。


 もっとも――――。


「ぐ……くく…………そ、それが――――――それが、どうした! ルシアが僕の手にあることを、お前たちはわかっているのか!!」


 だからといって、同情するつもりはまったくないけれど。

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