愛され神子の素敵な異世界ライフ

柚木エレ

第1話 転生(その1)

 世の中は声高に「働き方改革」だなんだと騒いでいるけれど、実現されていく超ホワイト企業というものは一握りでしかない。

 「いい人」を装った「お節介」は様々な「ハラスメント」の温床で「教育」という名の「洗脳」は「パワハラ」を呼ぶ。

 私の勤めていた会社も御多分に漏れず「本社」と「現場」の間には埋めようのない溝があちこちに生じていて、それらは全て精神的ストレス以外の何物でもない。

 いい加減古臭い体質の会社など潰れてしまえばいいと何度思ったことか。

 「言ったもん勝ち」「やったもん勝ち」という実に分かりやすく自分至上主義な人が集まったあの場所で、私の心と体は限界だった。


「もうどうでもいい」


 ぼんやり呟いて、ふと空を見上げた。

 こういう時に限って夜空は雲一つなく、淡く輝く満月と満天の星空が何だかとても胸に刺さって目頭が熱くなり、鼻の奥がツンとする。

 どこでもいい、どこか別の世界に行けたらいいのに。

 そう、心の底から思ったその時だった。


 ドンッ


 大きな衝撃音が鈍く耳の奥で響いた。

 遠くで悲鳴が聞こえた気がする。

 視界は真っ白。

 それは月の光か、ホワイトアウトか。

 もしも生まれ変われるなら、今度は心穏やかに生きていきたい。

 誰か、私を心から愛してくれる人と、平凡でいいから温かくて幸せな家庭を築きたい。

 もう理不尽に傷つけられたり、他人の我がままに振り回される人生はいらない。

 愛されたい。

 大切にされたい。

 一人では生きていきたくない。

 たくさんの人の愛に包まれて…幸せになりたいな…。


 ただひたすらにそう願って、私の意識は途絶える。

 きっと次に目を覚ましたら天国か地獄のどちらかにいるんだろう。

 天国に行けたらいいな。

 お母さんに会いたい。

 お父さんに会いたい。

 二人に会えるなら、死ぬのだって悪くない。

 

 そう思った、天音 由羽(あまね ゆう) 36歳の冬のとある夜。

 交通事故により、永眠…



 の、はずだった。






 白い視界のその先に、ふわりと光の球体が浮かんでいると思ったら。

 急激にその光が近づいてきて私の体をすり抜けた。

 そして。

「由羽、異界の乙女。起きて。あなたの人生はもう一度始まるのよ」

「…え…」

 やたらと頭の中に響き渡る澄んだ声。

 幕がかかっているかのようにぼやける視界と、ぼんやりした思考。

 誰か…いる…?

「由羽、あなたの願いを叶えたいの。たくさんの愛に包まれて、あなたの心の赴くまま、穏やかで幸せな人生を生きて。きっととても素敵な人生になるわ。温かい家庭も築けるの。大丈夫、心配はいらないわ。あなたには「月光神」の加護を贈るから。幸せになってね…」

「げっこう、しんの…かご…?」

 問いかける私に、目の前の女性はにっこりと慈愛に満ちた微笑みを浮かべた。

「私はいつでもあなたの幸せを願っているわ」

 そう告げて、彼女の姿はフェードアウトしていく。

 げっこうしんのかご、って何?

 私の幸せ…?

 色々聞きたいことがあるのに、うまく体が動かせない。

 まるで夢の中の出来事みたいにぼんやりしているのに、彼女の声だけが鮮明に記憶に焼き付いていた。

 また視界が白に埋め尽くされていく。

 だからこれはやっぱり夢なのだと、そうひとりごちた。

 次に目覚めたとき、私はどうなっているのだろう。

 死んだあと、この意識はどうなるのか。

 答えは何一つ分からないまま、どうか天国に行けますようにと願った矢先のことだった。

「これにより神から賜りし異界の乙女「月光神の神子」を、このユエイリアンの地にて守護することとする」

 やたらと威厳に満ちた低い声がこだました。

 先ほどまでとは打って変わったリアルな感覚。

 肌に触れている薄い布地の感触と周囲に流れる冷たく研ぎ澄まされたような空気。

 裏腹に期待に満ち溢れて息をのむ微かな音が熱を帯びている。

「神に選ばれし印(しるし)、神印(しんいん)が浮かびし者のみが神子の夫と認められる。神子がお持ちになっている神印は…」

 言葉が途切れると同時に、何か温かなものが額にかざされる。

 目を開けて確認したいのに瞼が言うことを聞かない。

 そのうち額がじんわりと温かくなって、周囲がふわりと明るくなるのを感じた。

「なんと…。満月に薔薇の印とは。神子はこの国に幸福をもたらしてくださるのか…」

 喜びに打ち震える小さな囁き。

 それはすぐさま辺りにしっかりと響き渡る声で、そこにいるであろう大勢の人々に告げられた。

「満月に薔薇の神印が浮かびし者が月光神に認められし夫である。印を持つものがこの場にいれば、すぐさま申し出よ!!」

 瞬時、沸き起こる歓声とざわめき。

 先ほどまでの研ぎ澄まされた空気は霧散して、今はどこか色めきだっていた。

 辺りの声は聞こえるのに私の体はまだ動かない。

 月光神とか神子とか神印とか、一体何なの?

 それに夫ってどういうこと?

 全く訳の分からないこれは夢?

 目を開けたいのに開けられない、手足はおろか指一本さえ動かせない。

 でもやたらとリアルな感覚がとても夢とは思えない。

 どうにかして確認する方法はないの!?

 そう、抗おうとした時だった。

「ここに…!!」

「私も」

「俺もです」

 続けざまに三人の男性の声が響いた。

 終わりなく続きそうだったざわめきが波を打つように静まり返る。

「他に印を持つ者はいないか?…それでは、これにて儀式を終了する。これ以降、神子との縁を持ち神印が浮かびし時は、神子と共に神殿へ来るように。皆に月光神のご加護を…」

 威厳ある声が静かにそう告げると、張り詰めた空気は和らいでぞろぞろと人の波が引いていく気配がした。

 しばらくして衣擦れの音や人々の足音が消え、木製扉の閉まる音がした。

 そして三人分の足音が近づいてくる。

 硬い木製のヒール音。

 それはすぐ近くで止まった。

「なるほど、あなた方なら納得できる。神は本当に神子のことが愛しいのですね」

 先ほどまで威厳に満ちた、ともすれば「偉そう」に聞こえてしまいそうな声と口調で話していた人物の口調が柔らかくなっている。

 心から安堵しているかのような声で、彼は話を続けた。

「この国に神子がお降りになったのは実に100年以上ぶり。どうか神子を、神子の御心もお守りください。真実の愛と誠実さをもって、神子を慈しんでください。神子の笑顔と幸福がこの国に豊穣と繁栄をもたらします。対して、神子の涙や怒りは災いを呼ぶと言われております。全てはあなた方にかかっているのです。そのことをお忘れなきよう…」

 「神子」を心から心配し、その幸福を懇願しているようで、まるで娘を嫁に出す父親のよう、というのがしっくりくる気がする。

 そんな彼の言葉を聞いていた三人は、揃って

「月光神に誓って、お約束いたします」

 と告げた。

 途端、ふわりと額が温かくなる。

 そしてようやく、ぱっと瞼が開いた。

 動ける!!

 右手をついて体を起こし、辺りを見回す。

「「「神子!?」」」

 全員が驚いたように顔を覗き込み、私の視界は極端に狭くなった。

 三者三様の美男子揃い。

 え、何、これ。

 全ての線が華奢で透き通るような美しさに金糸の髪がよく似合う、深い青の瞳が心配そうに揺れている。

 隣は銀糸の髪をひとつにまとめて肩から垂らし、チョコレート色の瞳がくるりと私を覗き込んで柔和な笑みを浮かべていて。

 更にその隣ではビロードのように艶めく黒髪を短く整え、同じように黒い宝玉のような輝きを湛えた瞳で安堵している青年がいた。

 顔面偏差値、高すぎでしょう!!

 と、色んな所に驚いて視線を泳がせてしまう。

 すると、彼らの対面にいた…神父様?神官様?のような壮年の男性が私の背を支えながら

「おはようございます、神子。詳しいお話はお部屋にご案内してからにいたしましょう」

 と優しく告げた。







 続く

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