第34話 自分らしさ(1)

カナデと過ごした短い時間を惜しみつつ、ソウタは彼女を部屋へ送り返した。

そしてミナトの部屋に戻り、部屋の中央で腰を下ろすと、そのまま床の上にごろりと寝転がった。


先ほどから胸の奥がザワザワと落ち着かないのは、自分の気持ちがカナデへと向いているのを自覚する度に、自分の性格にも目が向いてしまう事に気付いたからだ。

皆、こんな感じなのか?と、自分自身に問いかける度に、自信のような、根拠のない自分の存在が、これで良いのかと崩れて行く。


誰だって自分の人生が、ドラマや映画のようになっている訳じゃ無い事くらい知っている。

だから恋人になれば終わりじゃ無いし、これからいつまでも続くはず…。


そう、恋人になれば、幸せな気持ちのまま続くものだと、どこかでソウタが夢を見ていたのも事実だ。

まさか恋人になった後の方が、不安が大きくなるなんて…。


「そっか…そういう事か…」


知らずに口から零れていた独り言。

ソウタは知らないフリをしていたのだ。

人の気持ちは変わる事もある…。

だから男女が愛を誓うのは、人の心が変わる事を前提とした誓いなのだとしたら…。

ソウタは仰向けになったまま、左手を天井に上げて何の装飾もない左指を見た。


(婚約の指輪も、結婚指輪も、気持ちが変わらない事の証拠とか、証みたいなもん…やったんやなぁ…)


それでも…とソウタは思い直す。

きっと二人共、恋にも人に向かうのも不器用なだけで、実は何も始まっていないかも知れない。

ソウタは知っている。自分は器用な人間で、人間関係を上手に構築している人間であると、周囲から思われている事を。


だからと言って、周囲に気を配るのも、優しく接するのもソウタからすれば別に苦痛でもないし、どうって事はない。

それよりも人が自分から離れて行く方が辛かった。

だからソウタは自分に目を向けられる事を望んで、そうしているだけなのだ。


自分が孤独で傷つかないように、そうしているだけ…。


だけど、これからは…。


カナデには…本来の事を…。


ぼんやりと脳裏に浮かび上がるカナデの顔。

つい先ほどまで傍にあった、彼女のふにゃっとした、崩れた笑みを思い出せば、ソウタは安堵からか、不意に眠気に襲われた。

いくら酒に酔っていないとは言え、緊張の糸が切れたソウタに、ビールのアルコールは効いているらしい。

それに、初対面のカナデ家族との関りは、それなりに疲労を伴うものだった。


ソウタは緩やかに遠くなる意識の中で、カナデには本当の自分を打ち明けようと考えていた。

そしてその最中、遠くの方でミナトが自分を呼んでいるような気がした。


(そうか、ミナトにも本当の事を言わんと…)


そんな思い付きも、どうにも色々な事が重くて、ままならない。

だからソウタは自分が思っている事を、遠くのミナトに伝えようと、夢の中で大きな声で伝えていた。





******




ふと、ソウタが目を覚ませば、妙に心地の良い場所で寝ていた事に気が付いた。


「布団が…」


どうやら寝落ちしたソウタの事を、ミナトが世話してくれたらしい。


重かっただろうなと、そんな事を思いながら、ミナトの事を思い出す。

ミナトの身体は小さい方では無いが、ソウタほど、しっかりとした体躯でも無い。

ソウタは申し訳ない気持ちを抱えて起き上がった。


「?…あれ?」


お礼を伝えようと、ベッドの方に目を向けたが、ミナトの姿は無かった。


「あれ?」


周囲を見渡して部屋の中にある、気だるい空気を感じれば、つい先ほどまでミナトが部屋に居たような気がする。

仕方が無いと、ソウタは起き上がる。

勝手が分からない以上、何をすれば良いのか分からないけれど、布団くらいは畳めるはず…。

と、ソウタがそんな事を思いついた時、ドアがガチャりと開いてミナトが部屋に戻ってきた。


「あ、ソウタ、起きてた?」


ミナトが抱えているのはソウタの着替えだった。

どうやら洗面所まで取りに行ってくれたらしい。


「おはよう、今起きたとこ。着替え乾いてた?」

「おはよ。ちょっと前に終わったとこ」

「そっか、ありがとう。あ、そうや。昨日もゴメン。俺、重かったやろ?」


ミナトに問いかけながら布団に視線を向ければ、「あぁ」とミナトは答えた。

ソウタの問いの意味に気が付いたのだ。


「転がしたらイケた」

「転がした??」

「うん、そやで?」


ミナトの返事に寝落ちした自分を転がすミナトの姿を想像するソウタ。

なるほど。それはそれで最適解かも知れない。

ソウタがそんな事を考えてると、部屋をノックする音と共に、扉の向こうから自分達の名を呼ぶカナデの声が聞こえた。


「ミナト?ソウタ起きてる?ご飯出来たで」


カナデの問いに気付いたミナトは、ソウタの着替えを渡しながら言葉を返えす。


「起きてるで。用意したら降りるわ」

「あ、ほんま?それじゃあ、リビングの方に来てな」

「あ、うん。わかった」


ミナトの返事を確認したカナデは廊下を戻り、階段を下りていく。


「ほな、ソウタが着替えたら行こか」

「あ、俺も良いんかな?」

「ん?何が?」

「あ~いや、ご飯とか、悪いなぁって…」

「良いやん、出来たって言ってたし」

「そんな感じ?」

「知らんけど?」


ミナトの素っ気ない返事に、ここで断るのも変かとソウタは思い直す。

ちゃんとご両親にもお礼を伝えないと…とソウタは受け取った着替えをいったん床に置いて、寝間着に借りたシャツを脱ぎ始めた。




*****




いつもなら着替えずに取る朝食も、今日はソウタに合わせて一緒に着替える事にしたミナト。

そう言えばカナデも着替えていたなと思い出せば、それもそうかと納得し、ミナトはシャツを脱いで、引き出しから出した新しいシャツに腕を通した。


ふと、何の気なしにソウタへ視線を向ければ、乾きたてのシャツは思った以上に温かかったらしい。乾燥機から出したばかりのシャツに驚いた様子を見せれば、それが妙に可笑しくて、少し笑みを零してしまった。

そんな無邪気ソウタを見て、ミナトは眠る前に見た、苦々しいソウタ顔を思い出した。


それは、ミナトが髪の毛を乾かして部屋に戻った時の事だった。

部屋に戻ると、部屋の真ん中で布団も敷かず、床の上で気持ちよさそうに寝息を立てているソウタが居た。


「いやいやいや…」


流石にこんな大きな男は担げない。

ミナトはソウタに突っ込みを入れながら、ソウタを起こそうと、傍へ寄って声をかけた。


「ソウタ~」


ミナトはソウタの名前を呼びながら、肩を揺すり「起きて」と声をかけた。

呼び声が届いたのか、ソウタの口から小さな声が漏れた。


「ご、め…ん」

「ごめん?」


自分の声で起きたのかと、ミナトは改めてソウタの顔を覗いたが、どう見ても起きてるとは思えない。

どうやらまた寝入ったらしい。ミナトは再び声をかけた。


「ソウ…」

「嘘…ぃて…めん」


そんなソウタの返事に、ミナトはソウタに伸ばしていた手を咄嗟に止めた。


「え?」


止めた手を持てあましながら、ミナトは耳にした言葉を思い返えした。

寝言の中ではっきりと聞こえたのは『ごめん』と『嘘』で、他の聞き取れた言葉から、聞こえた単語を否定するような言葉で埋めなおす。


けれどダメだった。

どんなに言葉を組み替えても、ソウタの言葉は「嘘をついてごめん」の意味にしかならなかった。


だとすると、良いセリフだとは言えない…。

訝しげな顔をしたミナトは、ソウタの顔を覗きこんだ。


眉間に少ししわを寄せながら、奥歯を噛みしめているソウタは、苦虫を噛み潰したように苦しそうな顔をしている。

多分じゃなくて、間違いなく嫌な夢を見ている。


(嘘…って…)


ソウタの苦い顔の理由が、自分自身のついた嘘だとしたら、夢から叩き起こした方が良いのか、それともこのままの夢の中で話を続けた方が良いのか…。


戸惑いながらミナトは考えた。

だけど、やっぱり分からなかった。


ミナトは仕方がないと気持ちを切り替え、ソウタの隣に布団を敷いた。

そして意を決して…と言う程でもないが、ソウタが起きても知らぬとばかりに、大きな肩をグイっと布団側へ押した。


「う…ん」


ミナトの押したタイミングが丁度良かったのか、ソウタは寝返りを打つような形でゴロンと布団の方へ転がった。

そして柔らかな布団の感触に安堵したのか、ソウタは、「カナデ」と呟いたかと思えば、穏やかな寝顔に戻り、深い呼吸を始めた。


「……え?寝た??」


上手く布団に転がせた安堵から、寝入ったソウタに思わず突っ込みを入れたミナト。


けれどそれと同時に、ミナトの中では、言いようのない不穏さが湧き始めていた。


「はぁ…」


ミナトはため息を吐いた。

そして胸の中の不穏さを隠すように、部屋の電気を消した。


「寝よ…」


言い聞かせるように呟いて布団にもぐるミナト。

ベッドの上で再び息を吐いて目を閉じれば、耳に聞こえてくるのはソウタの規則正しい深い寝息だった。


(嘘…か…)


ソウタが嘘をつくなんて『らしく無い』と、ミナトは思った。

そして浮かんだ考えに任せて、背を向けて寝ているはずのソウタに視線を向けるように寝返りをうった。


(らしく無い…って…、それは、やん…)


ミナトは自分の長くない人生の経験から色々な事を学んでいた。

他人の視線はいつも何かしらのフィルターがしてあって、その上、まるで何かの型枠で切り取ったかように、人の事を勝手に決めつける。


『そんなん、ミナトらしくないで』

『お前がそんな事をする奴とは思わなかった』

『ミナト君の考えてる事、ちょっと分からんかも』


ミナトの外見は、人の期待を寄せるものらしい。

ミナトらしさの像を一方的に押し付けて、勝手に落胆する周囲の人間に、正直いら立ちを覚えていたのも事実だ。

だから少し投げやり的で、ぶっきらぼうな態度になっていたのも事実だ。


そう言えば…と、ミナトはソウタと出会った頃を思い出した。

ソウタは自分への決めつけが薄かったように思う。

それにあんな子供のような扱いを受けるとは思わなかった。


『お前、まだ反抗期かいな』

『うちの甥っ子と似てるなぁと思って。そう思ったら思い出して笑ってもうたわ』

『今5歳やねんけど』


だから咄嗟に腹が立ったままに言い返した。


『俺5歳ちゃうぞ!』


けれどソウタは、そんなぶつけられた怒りに物ともせず、腹を抱えて笑い出したのだ。


それでも…と、ミナトは思い直す。

きっとソウタも他の人間と同じようにフィルターを持っているし、切り取って自分の事を見ているだろう。

だけどそれが他の人間と少し違うと感じたのは、自分への過度な期待が無かったからではないだろうか。


「嘘ってなんや?」


ミナトはソウタの背中に問いかけた。

返事のないソウタの背中にミナトは再び問いかける。

それは自分に向けられた言葉ではない可能性もある。

だけどそうじゃなかったら、一体誰に向けた言葉なのだろうかと。


もしもだ。

それがカナデへ、自分の妹へ向けた言葉だったとしたら?


と、ミナトはここで考えるのを止めた。

考えても答えの出ない事は考えない。

ミナトはそう言い聞かせて、再び寝返りを打ってソウタに背を向けて目を閉じた。

そして気付かぬうちにソウタの柔らかな寝息と共に、深い眠りに堕ちていった。




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