『悪食怪獣』—《絶望ノ少女—弍》
「裏切れ——って言われてもね」
ため息混じりに、飄々とした風を装って言葉を返してみた。
敵意、エルフォスの台詞に重ねるのなら殺意、は極力抑える。もしもエルフォスの性格が口調通りなのだとしたら——多分短気な奴なのだろうし、刺激しないように、である。
「私はTIRDEが何なのかを知らない、つまりTIRDEとそれに敵対するエルフォスちゃんのどちらが正義なのか分からないからね。判断のしようがないんだよ」
「それに」と、言葉を続け、エルフォスには喋らせない。
「そのエルフォス——っていう名前、コードネームだよね? 君達の組織における、君の名前」
「ま、本名じゃねえのは確かだな。だがそれはあくまで事実としては——の話、メンタル的な話なら、《エルフォス》は私の名前だ。偽名じゃない、コードネームじゃない——本名よりも重大だ」
相当な思い入れがあるらしい。
あまり触れない方が良い話題だったかもしれないが——アフターフェスティバっちゃった物は仕方ない。
このまま、名に関する話題で進行するしかないだろう。
「ともかく、ね? 自分の本名も明かしてくれないような奴にひょいひょいと着いて行く程私もお間抜けちゃんじゃないんだよ」
「知らない人には着いてくな——か?」
「だね。まあ、その理屈で行けば私はこれから先ずっと独りぼっちなんだけど——とりあえず、家族と会うまではTIRDEに居るつもりだよ」
実際、私を保管していたのはTIRDEな訳で、記録が残されている事や目を覚ました私が何の拘束もされていない事からして、多分、私や私の血族はTIRDE側の人間だったはずだ。
「へえ……それじゃあ、もしあんたの家族がこっち側に居るのだとしたら——どうする?」
「……」
沈黙——わざと、エルフォスに見せつけるようにして動揺を露わにする。
「実際に血が繋がっている訳じゃねーらしいが、それでもあの人は、あんたの事を自分にとってこういう存在だと言っていた——」
エルフォスは一度言葉を止め、息を深く吸う。どうやら、次の台詞は途切れさせず、一気に言うつもりらしい。
「母であり娘であり姉であり妹であり恋人であり相棒であり同類であり——同一人物、ってな」
「人間関係ほぼ全てじゃん」
憎悪に関連する関係以外の殆どを私とその人だけでコンプリートしてしまっている。
「あんたとの交流が途絶えたのは五年前らしいが、未だに恋焦がれてるらしいぜ」
「……」
「ナハッ——」
今度の沈黙はわざとじゃない。シンプルに反応が遅れ、言葉を返すのが遅れてしまった。エルフォスは目敏く、私の迷いに目を付ける。
その笑みは、吹き出すような笑い声は——本物だった。他の台詞のように芝居でなく、エルフォスの、心からの——感情であった。
「私達は組織じゃない。あの人と私だけの——家族だ。当然TIRDEがあんたにくれるような豪華な部屋だったりは用意出来ない……けど、楽しく生きる事は出来るだろーぜ? 私はあんたを家族と認めるし、あの人はあんたに愛を与えてくれる——溺れちまうくらいの、愛をな」
「……裏は」「無い」
即答。
迷いなく、淀みなく——嘘偽り無く、エルフォスは答えた。
「あの人は何よりあんたを求めてる。私は何よりあの人の望みを叶えたい——だから、心配する必要は無い」
「……」
どうした——ものか。
今のエルフォスの口調は、声色は、明らか本音のそれだった。人間関係的な意味ではこのままTIRDEに残るよりもエルフォスと、彼女の言うあの人と共に生きた方が良い——気はする。が、それはあくまで人間関係に限定した場合の話だ。
「エルフォスちゃんはさっき言ったよね。『私達は組織じゃない』、ってさ?」
「言った……けど、それがどうかしたか?」
「戦力は大丈夫なのか、TIRDEに潰されちゃわないのか——って聞きたいんだよね。いくらフレンドリーな職場だったとしても、倒産しちゃあ意味が無いでしょ?」
「ッ——」
エルフォスは黙る。
それは意図的な沈黙じゃない。何を言おうにも言葉が思いつかず、言葉を詰まらせているらしい。
「ナ……ハ、おかしいな。あの人からはもっと……こう、素直で単純で——優しくて、決して損得勘定じゃ動かないって聞いてたんだけど……な」
あからさまに口調が崩れている。
何となしの質問だったのだが、どうやらエルフォスにとっては想定外の台詞だったようだ。
いや……私の言葉に動揺しているというよりも、あの人——から伝えられていた情報が事実と異なっていた事に困惑しているらしい。
ともかく、エルフォスの方の組織の情報を引き出すのなら今がチャンスだ。
「それは……仕方ないじゃん。人格ってのは経験と記憶を元に形成される——勿論生まれつきもあるだろうけど——ともかく、私は私の過去を知らないから、昔の私にはなれない。表面上は装ってもそれはあくまで演技、話し続ければ差異は見つかるに決まっているよ」
エルフォスの、さっきまでの口調と似たような物である。
「だから、もう一度聞くよ。エルフォスちゃんと私の家族——だった人は、TIRDEに真っ向勝負で勝てるだけの戦力を——」
「持ってるはずがないですよね」
答えたのは——レルガ、だった。
冷たく、圧迫するような声。
いつからそこに居たのかは分からないが、着替えを済ませ、沈黙のまま私とエルフォスの言葉の往来を耳に通していたらしい。
それが立体と認識出来ない程に深く、重たい漆黒のラバースーツ、その上にメタリックの、彼女の髪と同じくレッドのロングコートを纏っている。
「……」
エルフォスはレルガの姿を見て、目を見開く。ただでさえ動揺の渦に陥っていた所で威圧されてしまったのだから、まあ当然の反応か。
「なんだ……その、馬鹿げたというか——チラ見しただけでも眼球を抉りそうなファッションは」
レルガの格好にビックリしただけのようである。
ってか、やっぱりレルガのファッションセンスは異常だったんだ。良かった、浦島な私のセンスはまだ時代遅れじゃないらしい。
「貴方のその——魔法少女みたいな……そう、いつまでも夢見がちメルヘン少女衣装もどうかと思いますけどね。ここ、監視カメラの範囲内ですし……そうですね、貴方が三十代になった時に見せてあげますよ。そのファッションを」
レルガは早口で、まくし立てるように語る。
直前の自身のファッションに対する苦言への怒りがあからさまに含まれている威圧——というか挑発だった。
「……ナハッ」
エルフォスは肩を震えさせながら(怒りによるものか、羞恥によるものかは分からない)笑い飛ばし……
そして、高所から飛び降りるようにして地面に吸い込まれていき、姿を消失させた。
「……」
「……」
仮面の少女が立ち去り、静寂が訪れる。
私とレルガは見つめ合う——睨め合う。
レルガが口を開く。
それから声を発する直前に、レルガの発言を妨げるようにして私は言う。
「どう? 新しい情報って何かあったかな? あのエルフォスって子と……あの子の言うあの人の事」
咄嗟に出たにしては上出来な言い訳だろう。
「……スパイ行為のつもり、ですか?」
「そうだね、そうなんだよね」
レルガの目つきは鋭いままである。
端のとがった楕円状の——爬虫類にも似た瞳孔が、矢の如く私の瞳を射抜く。今になって気が付いたけど……この子、目も赤いんだ。
レルガはその血の雫のような眼球をギョロりと……餌を目で追うワニみたいに動かし、視線を巡らせてしばらく考えるフリをしてから、
「スパイ行為であると、そういう事に——しておきましょう。実際、先の会話は有益な情報である事に間違いないですし……ええ、上への報告は無しとさせていただきます」
ですが——と、レルガはより一層視線を険しくして、
「先の事で、貴方は私の信頼を失いました——それは覆りません。直前の会話がスパイ行為であろうと……本気で、場合によってはTIRDEを裏切るつもりだったのだとしても——貴方が平然と、罪悪なんて知らないという風に人を欺く人間である事に変わりはありませんよ」
「……」
まずい——な。
レルガがどれだけの立場の人間であるかは知らないが、現在私が関係を持てている唯一人間——記憶喪失の私が、初めて出会った人間からの不信は良くない。
「レルガ……ちゃん、」
何の考えもなしに呼びかける。
レルガはもう何も言わず、ただただ視線を向けてくる——何の思いも込められていない、というより、わざと込めないようにしている目を、見せつける。
どうした——ものか、長く沈黙する訳にもいかないし、さっさと何かを言わなければならないのだが……流石に言葉だけで失った信頼は取り戻せないだろう。
喪失した記憶を蘇らせるのに行動——脳を刺激する事が必要であるように、
喪失した信頼を取り戻すには行動が必要なのかもしれない。
ここはとりあえず……うん、適当言っておこう。
「私は——うん、レルガ——盞花ちゃんとお友達になりたいなあって、そう思ってる。それだけは、ホラ吹きじゃなく——」
真実だ、と、言い切ろうとしたのだが、
「真実だ、ですか……?」
最後の一言はレルガに言われてしまう。
レルガが……言った?
なんだ、どういう事だ……?
単に、続きそうな言葉を思い付きで言っただけか?
確かに、『ホラ吹きではなく』と言ったのだから、その次に『真実だ』という言葉が来るのは予測出来なくはないのかもしれない。
けれど——もし、そうではないとしたら……心を読まれでもしたのか?
いや、それはない。
そうなのだとしたら、エルフォスと私の会話が有益な情報であった——という発言に矛盾が生じる。心が読めるのなら、会話なんてせずに情報を得られるはずだ。
ならば何故?
どうやって私の台詞を予測した?
「……たこ焼き屋、行きましょうか」
レルガは一瞬、
私は——もう、これ以上何も言う気にはなれず、ただ黙ってその背を追うのであった。
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