『未練影憑藻の成り済まし』—《肆》


 冷呈白空には分からない。

 弑抒忍、

 彼が何を思い、どのような思考回路によって今現在、自分との殺し合いを求めるに至ったのか、理解が及ばない。

 事前の情報からしてまともな人間性は期待してなかった。しかしそれでも人は人——他とは違うだけでその人なりの思考の順序、仕組みがあるはずなのだ。

 だけれど忍にはそれが無い。

 忍が生きているのは——その界隈ならば仲間を簡単に見捨てたり、なんてのは良くある事だろう。けれどそれはあくまで巨大な組織なんかの話。

 弑抒二人は違う。

 オムニスはたったの二人、相棒同士のコンビネーションを肝として任務を遂行する——仲間。

 聞く話によっては本当の(どちらが上かは分からぬが)姉弟か兄妹のようである、とも言われていた。

 相棒と思っていたのは周囲と剱の方だけ——そう解釈して、納得しようとしたけれど……それも違うように思える。

 違わなければ今度は私に戦いを挑んだ事への説明が付かなくなってしまう。

 ——考えるのは後……ですよね。

 分からない物は分からない、理解しようとした所で無駄であると、白空は割り切る。

 とにかく、今意識すべきは弑抒忍との戦いなのだ。

 ——生け捕りにする。

 ——日に二度も人を殺したくはない。


「やっぱ……何考えてるか分からないな」


 忍は心底不思議そうにして言う。

 首まで傾げている——あざといのか、ただの挑発か……それとも天然か。

 ——こっちの台詞ですよ。

 白空は心の中で一言呟いてみる。


「では、始めま——」

 ——しょうか。


 白空はたったそれだけの言葉を言い切る事が出来なかった。

 それが何であるかは判断出来ぬが黒く薄汚れた——何やら鋭利な物体が白空の額目掛けて飛んできたのである。

 ——つま先でアスファルトを抉り、蹴り飛ばしたらしい。

 果たしてそれがどれ程の力、速度による現象だったのか——白空は背筋が凍るのを確かに感じた。


「はあ……面倒ですね」


 身を大きく仰け反らせてから、

 あと少し反応が遅れていれば地瀝青ちれきせいの矢が鼻を喪失していたであろう程の——文字通り目と鼻の先を通過してすぐに体勢を元に戻す。

 しかしながら——まあ当然ではあるのだが、忍はもう既に姿を暗ましていた。


「よっ……と」


 白空は踊るようにして前方、道路の中央へと大きく跳ぶ。忍のように向かいの歩道まで、とは行かないまでも人並外れた跳躍力であった。

 振り返ってみると忍がフラミンゴみたく左足で立ち、右足を大きく持ち上げ——立ったまま、縦方向に開脚している。どうやら下から蹴り上げようとしていたらしい。

 上げた足はそのままで、忍は一切の揺れを起こさず、足首を大きく曲げ——つま先立ちになり、今度は指を曲げる。

 右の脹脛ふくらはぎがガードレールをつんざく。忍はヨガでもするように開脚の体勢となっていた。

 果たしてどれ程身体が柔らかければそんな無茶な体勢が取れるのだろう、右の足裏はぴったりと地面に密着している。

 何をするつもりなのだろうか——だなんて悠長にこれからの展開に思いを馳せている場合ではなかった。


「セルァッ——!」


 跳んだのだ。

 最大限にまで開いた両の足を一気に閉じ、跳躍——否、それはもはや跳躍ではなく飛翔である。

 矢か、銃弾か、はたまたミサイルか——如何にしても衝突は避けなければなるまい。


滅 失 自 己メッシツジキ


 白空は唱えると共に姿を消し去る——忍のように人間の認識可能限界を超えた速度で逃げた訳ではない。事実自己を滅失したのである。

 忍は白空の居た地点をそのまま通過、ビルの外壁に着地——というか足を突き刺し、地面に対して平行に自身を固定する。


「さて——」

 ——どうしたものか。


 白空は忍の刺さるビルの屋上、その柵に背を掛けていた。

 先の忍による突進——それにより白空は認識を改めていた。

 生け捕りのつもりだった——これ以上殺すのは御免である——などと忍の事を侮っていたのである。

 片手間では敵わない。

 大抵の人間であれば断罪法刀の刀を振るうだけで十分、しかしながら忍相手にもその経験を当て嵌めるは間違いである——当然だ、忍は人間じゃない、明らかに怪物なのだから。

 ——殺す気で挑まなければならない。

 ——即死じゃなければ心來式で治せば良い。

 ——即死であれば……それまでだ。


「……まじですか」


 いつからだろうか、忍は白空の横で、呑気な顔して柵に背を掛けていた。


「いつから横に、なんて顔をしているが……、あんたが僕に気付いたのと一寸違わず同タイミング——だぜ、ここに着地したのは」


 数秒はバレないと思ったんだけど……なあ、流石だな——などと語る忍は、崖上から大軍同士の衝突を眺める戦争屋のようである。


「……」

「……」


 白空と忍の視線を平行に並び、沈黙が流れる。

 どれほど経った頃だろう。

 数秒か、

 数分か——もしかしたら単位では表しようの無いまでの刹那かもしれない。

 ともかく、殺し合いは向かいのビル、その窓に反射する互いと目を合わせた時に再開した。

 忍の首筋に刀の刃が当てられ、

 白空の頭部と首の付け根——喉仏のすぐ上に手刀が食い込む。


「貴方の全力は——果たしてどれ程の物なのでしょうかねえ……」


 念の為の確認である。

 これまでの戦いがもし忍にとってお遊びでしかないのだとしたら——殺す気になった所で勝ち目が無い。


「あんたにぶつけてる力は僕の悉皆しっかい、全然全力だぜ。大抵の奴ならもう——ああ、うん、とにかく沢山死んでるな」

「全力——はあ、なるほど……それなら安心です」


 白空は煽りのつもりで言ったなのだが、それを聞いた忍は微笑む。それは決して強がりなどではなく、真実心躍らせているように白空には見えた。

 オプティニズムかとも思う。

 しかし忍は白空を——というより心來人の扱う心來式を侮っている風には取れない。その微笑はシニカルな物ではなく、やはり少年のワクワク心……とでも言うのだろうか? なんであれ純粋な笑みである。

 けれど——白空は忍から笑みを奪う。


閃 光 異 彩センコウイサイ


 眩く。

 白空の肉体は太陽のそれとさして変わらぬ程の光を放ち、周囲の全てを白の光彩の中に収める。

 どれだけ力が強かろうと生身は生身、サングラス——をしていた所で大した意味は無いのだろうが、眼球をそのままさらけ出していた忍は視力を失う。

 その発光は一瞬、しかし忍の視界を一時的にでも黒塗りにし、且つその表情を喜から苦痛のそれに変えるには十分過ぎた。


「よっ……と!」


 忍の手が首から離れるのを確認してすぐ、白空は忍の背を押す。

 忍は一切の抵抗無く、ビルから落ちる——地上を見下ろしてみると忍は当然のように、極々普通に直立していた。とても——大体二十メートルだろうか? ——から飛び降りたとは思えない。


殺 音 密 行サツオンミッコウ


 白空の周辺から音が喪失する——以降、白空が駆けようが跳ぼうが、つまづき転倒しようと物音一つとして立たないのだ。

 白空は屋上の一分を切断、それを左手に掴んでから先の忍を真似るようにして飛び降りる。

 着地まで残り二秒程度の所で、忍を挟んで白空とは対極の位置になる所へ破片を投擲。一人と一つはほぼ同時に地にぶつかる。

 一人は音を立てず、

 一つは音を立てて——である。

 視力を失っている忍が白空の位置を判断する為の材料となるのは音しか無い——匂い、という線もあるだろうが白空には何故か、昔から香りなんて物は纏わらないのである。

 だから、忍は破片の方へ向かうはずである——白空はそう確信していた。

 ……しかし、


「セルゥウァァア!」

「ッ!?」


 忍は白空に向かい直進する。

 音は無い。

 匂いも無い。

 まさかもう既に視力を取り戻しているのではあるまいか——とも勘ぐったが、忍の目は焦点を依然として合わせらないでいた。

 ならば何故——どうして位置がバレた?


「……まさか!」


 ——まさか気流、空気の流れを読んだのか?

 音も、匂いも、心來式が無くとも技術で掻き消せる。しかし気流は違う。

 ——嗚呼、失念していた。

 白空は忘れていた。

 忍は十年間もオムニスとして依頼を受けていた——数え切れない程の修羅と対峙したはずだ。

 盲目、聾唖ろうあ、無臭——そのどれもを経験しているのだろう。

 そんな状況全てを掻い潜り、人間兵器だのなんだのという通り名で呼ばれるようになった忍。そんな彼が気流の変化から敵の位置を特定出来る——なんて離れ業ができる事は自明の理であった。

 ——自明の理なのだろう……なのだろうか?

 ——まあいいか、常識だろうと非常識だろうと現実は変わらない……ですしねえ。

 ……白空は状況に反し、その心の内はなんだか気の抜けた物であった。

 油断じゃない。

 慢心でもない。

 事実白空は既に勝利しているのである。


「……」


 忍は立ち止まっていた。

 その額には細い——鋭利、とも言える程の白空の人差し指が当てられている。


「たった一本で貴方の動きを抑えれる程私は強くない——むしろ、腕力の話なら格下です」

「だが心來式がある」

「そう、だから貴方は停止した——この人差し指がもしかすると銃口になるやも知れぬ……もしかすると光線を放つかも? それか錐にでもなるのでは? などと勘繰る訳です」

「けれど、そんな事を悠々と語っていたら僕は流石にハッタリだと理解出来る」

「しかし貴方は今も尚——私の前で彫像になっている」

「何故なら僕は気付いているから、気流で周囲の様相を認識出来る僕ならば——」


 ——うなじの間近にある刀の存在を知れてしまうから。


「——敗けだ、殺されている、僕はもう死んでいる」

「だから殺しませんって……殺す気で掛かってはいましたが」


 忍の敗北宣言を聞いて、白空は刀を消し去る。

 ——案外往生際が良い。

 白空は拍子抜けしながらも、その困惑を悟られぬよう、シニカルな風を装って語り、背を向けてみせる。

 一歩、前に踏み出した時だった。

 ——微笑が零れる。

 微かな、しかし妙に耳に残る声であった。

 背後の笑いは段々と強まり——そして、


「俺は殺された。殺されて——だからこそ生きているんだ。産まれたんだッ……今ここで! 最高だよ……心來式、心來人……いや——冷呈白空!」


 白空が振り返った次の瞬間、

 忍が白空の名を叫んだ次の瞬間——

 弑抒忍は哄笑する。

 弑抒忍は涙で滝を生む。

 その姿は——そう、己の誕生を歓喜し、涙に塗れる——産声を上げる赤ん坊のようであった。

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