第20話 君にだけは届いてほしくない声

 任務を開始してから数ヶ月が経過し、救抜衆生会跡地の清掃・・は順調に進んでいた。


「ほら、ジク。目の前に集中しすぎていると上から細々したのが大量にくるぞ」


「分かってる」


 廃屋の並ぶ街の中セツの声に促され、ジクは目の前のあやかしを切り捨て黒い球を空に向かって投げつける。すると辺りに閃光が走り、翅の生えた膵臓のようなあやかしたちが塵に帰りながらあたりに降り注いだ。


「うん、良い動きだ。ああでも、そろそろ私に使ったあやかし避けの効果が切れるころだから、うかうかしてるとまた身体が半分くらいなくなってしまうかもしれないなぁ」


「分かってる。そこ、動かないで」


「了解」


 身を翻し一足飛びにヘラヘラした笑顔のすぐ傍に向かって刀を突き立てれば、虚空から紫色の液体が流れ出た。


「ギィィィィィ……」


 悲鳴を上げ異臭を放ちながら、いぼまみれの巨体が姿を現わし塵に帰っていく。

 それからしばらくの間、街は閃光や肉を裂く音や悲鳴に包まれた。


 辺りが静かになると、薄灰色の目が地面に散らばる塵を眺めて満足げに細められた。


「よし、今日の任務兼実戦訓練はここまで。護衛対象を傷つけずにこれだけ動ければ上々だよ」


「そう……」


 黒い紋様の刻まれた手が赤銅色の髪をなでる。それでも、素直に喜ぶことができなかった。

 退治人として成長するということは。

 

「そうそう。あと少しで街の全域が綺麗になるが、これなら思い残すことは何もないかな」


「……そう」


 別れの時は、すぐそこまで迫っている。


「さて、今日はまだ日も高いしもう少し任務を進め……」


「セツ、今日はヒナギクが色々と持ってきてくれる日だから、街の入り口まで行かないと」


 言葉を遮ると薄灰色の目が軽く見開かれ、すぐに苦笑に変わった。


「そうだったな。あの辺りはもう綺麗にしてあるとはいえ、一人で待たせるのは可哀想か」


「うん、そうだよ。ほら、行こう」


「ああ、分かった」


 差し出した手が握り返され白い指が自ずから絡みつく。

 ここのところのセツは、促さなくても恋人のように振る舞うようになった。

 握りしめた手以外が崩れ去っていく予感に苛まれながら、ジクは塵が広がる路を進んでいった。



※※※



「あ! 二人とも! 待ってたんだよ!」


 鳥居と山門が雑に組み合わされた入り口の下で、身体より大きな荷物を背負ったヒナギクが満面の笑みで手を振っていた。


「あー、お待たせヒナギク」


 セツもヘラヘラと笑いながら手を振りかえす。


「……お待たせ」


 ただ一人、ジクだけは浮かない顔をしていた。


「頼まれていたものは全部この中に入ってるんだよ!」


「ああ、ありがとうな」


「どういたしましてなんだよ! お仕事のほうは順調?」


「順調、順調。あと一ヶ月もしないうちに完了しそうだよ」


「それは凄いんだよ!」


 そんな表情を気にも止めずに笑顔が会話を続ける。

 しかし。



「なら、セツとはもうすぐお別れなんだね!」



 一際無邪気な声がその場の空気を凍り付かせた。


 その言葉に間違いはない。

 だからといって、改めて耳にしたいものではなかった。


「……ははは、その通りだな」


 いつの間にか、セツの顔には苦笑いが戻っていた。


「この間の綿菓子が餞別ってことで大丈夫か?」


「うん! ありがとうなんだよ! あ、そうだ! 今日はね質問があるんだよ!」


「質問?」


「うん! セツはさ、あやかしの居ない世界があったら行きたいと思う?」


「あやかしの居ない世界? そうだなぁ……」


 紋様の刻まれた手が薄い唇に指を添える。


「まあ、そんな世界で生きられたら、もう少しくらいは穏やかに過ごせるかもしれないとは思うかな」


「そうなんだね! じゃあ、そこに行ったら今まで会った人たちと二度と会えないとしたら?」


 無邪気な声が立て続けに言葉を投げかける。

 こんなものは他愛ない子供の質問だ。そう思うのに、鼓動が徐々に速まっていく。


「……二度と会えない、ね」


 薄灰色の目がどこか遠くに向けられる。

 ジクはうるさい鼓動の中に、そんなことはごめんだ、という言葉が聞こえてくるのを切に願った。たとえ、それが自分以外の者を思って出たものだとしても。


「ま、それはそれで有りだとも思うよ」


 しかし、薄い唇は無情な言葉をこぼした。


「そうなんだね!」


「ああ。そうすれば、私に煩わされる可哀想なヤツらは減るわけだし」


「たしかに! セツは色んな人の好きって気持ちをグチャグチャにする悪い大人なんだよ!」


「ははは、こらこら。本当のこととはいえそうハッキリ言ってくれるなよ。これでも私はけっこう繊細なほうなんだぞ?」


「ごめんなさいなんだよ!」


 自分を差し置いて会話は進み続ける。それを他愛も無い話だと、聞き流すことができない。


 たとえセツの命を終わらせたとしても、自分のように魂が再び還ってくるかもしれない。過去を思い出した際にそんな淡い期待を抱かないわけではなかった。


 しかし、今目の前にいる子供はそれすら奪ってしまうのかもしれない。

 だとしたら、今しなくてはいけないことは。



「ジク」


 恐ろしいほど落ち着き払った声とともに、柄にかけた手を紋様の刻まれた手に掴まれた。

 顔を向けると、薄灰色の目に冷ややかな光が浮かんでいる。


「この辺りに、私たち以外の気配はないと思うが?」


「……そう、だね」


 柄から手を放すと、向かい合った顔に穏やかな笑顔が浮かんだ。


「ああ。今日はけっこう気を張り詰めていたから、鳥かなんかの気配をあやかしと間違えたんだろ?」


「そうかも」


「まったく、案外ウッカリさんだなぁ、ジクは!」


「そうだね」


 短い相槌にわざとらしくヘラヘラとした笑顔が返される。そんな中、ヒナギクの笑顔がいつもより大人びたものに変わった。


「もちろん、ジクにもちゃんと聞いてくるように言われてるんだよ」 

 

 誰からか、という言葉は濁されている。しかし、そんなことは問いたださなくても分かりきっていた。


「大事な人が怖くて痛い目に遭うことはないけれど二度と自分とは会えない。また会えるかもしれないけれど怖くて痛い目にあう可能性も高い。ジクはどっちがいいと思う?」


 そんなこと決まっている。

 セツは自分だけのものだ。

 手が届かない場所に勝手に去っていくなんて許せるはずがない。

 そんなことをするなら、また全てを奪って閉じ込めるだけだ。


 少なくとも、昔の自分ならそう即答したはずだった。


  よしよし。

  お前は優しい良い子だな。


  ジク、愛してる。

  

 月明かりに照らされる優しい微笑みや、組み敷いた柔らかい笑みが鮮明に蘇る。

 その笑みはたやすく苦痛に歪む顔に変わってしまう。

 

 自分を含めたあやかしがいるかぎり。

 

「……分からないよ。そんなの」

 

「……そうだね。そう言われても、仕方ないんだよ」


 笑顔からは少しの悪意も感じられない。ただ、憐れみだけが伝わってくる。

 それが、どうしようもなく耐えがたくなった。

 

「じゃあ、僕疲れてるから先にもどるね」


「あ、おい!? ジク、ちょっと待て!」


 引き止める声を無視して、ジクは入り口をくぐり歩き出す。


「この量の荷物を一人に任せていくなよ……」


「セツ! 頑張れなんだよ!」


 背後から聞こえる気の抜けるやり取りに歩みが止まることもなかった。



※※※

 

 

 ジクは家に戻ると着替えもせずに寝室に入りベッドに倒れ込んだ。

 薄暗い部屋の中、時計の針だけが音を立てている。


 しばらくすると、廊下から足音が聞こえ扉が叩かれた。


「ジク、入っていいか?」


「……うん」


 身体を起こして返事をすると、扉が開きセツが姿を現わした。


「まったく、年寄り一人にあんな大荷物を押しつけてくれて」


「ごめん……」


「まあ、いいさ。ただ、他のヤツにはああいう態度あんまり取らないほうがいいぞ。青雲の中にはあやかしの血を引いているだけで突っかかってくるようなヤツもいるからな」


「……」


 諭すような声のなかに、次からは気をつけろ、という言葉はない。


「ジク、返事は?」


「……うん。分かった」


「よし。いい子だ」


「……」


「……」


 短い会話のあと、部屋の中に響くのは再び針の音だけになった。


「ヒナギクの質問、答えられなかったな」


 静寂を破ったのはセツの声だった。


「そうだね」


「……」


「……」


 短く返事をすると再び沈黙が訪れた。

 しかし、言わんとしていることは容易く想像できる。


 答えられないなんて意外だった。

 どうせ、たとえ苦しめることになったとしても二度と会えないなんて許さない、と答えると思ったのに。


 そんなあきれた声が聞こえるに違いない。

 

「ジク。思い違いかもしれないが……」

「セツ。ちょっと目を閉じてくれる?」


 否定的な言葉がこぼれるのを止めるように声をかぶせると、薄灰色の目が軽く見開かれた。


「は? 目を閉じろ?」


「うん。少しだけでいいから」


「まあ、かまわないが」


 戸惑い気味ながらも長い睫毛のまぶたがゆっくりと降ろされた。口づけをされると身構えているのか、心なしか薄い唇が突き出されているように見える。今からすることを思えば、好都合な勘違いだった。

 

 ジクは静かに立ち上がり、サイドボードの引き出しから濁ったピンク色の液体が入った小瓶をとりだした。そして、蓋をはずし軽く閉じられた唇をこじ開けて咥えさせると中身を注ぎこんだ。


「んぐ!?」


 予想外の刺激に目が見開かれ、紋様の刻まれた手に手首を掴まれれる。しかし、動じることなく顎を持ち上げピンク色の液体を注ぎ続ける。


「んっく……、っ……ふっ……」


 喉が動くたびに吐息が艶を帯びていく。次第に見開かれた目は熱に蕩け手首を掴む力は緩んでいった。


「……っは。はぁー……、はぁー……」


 中身を飲み干すとセツは肩で息をしながらベッドに倒れ込んだ。


「よかった。まだ、ちゃんと効きくみたいだね」


「ジ、ク……、なに、を……?」


 潤んだ目が向けられると、ジクは微かに残った中身を飲み干し小瓶を投げ捨てて微笑んだ。


「これ? この間産院・・の辺りを一掃したときに残ってたから持ってきたんだ。あやかしとするときに人間が怖がったら使ってあげる薬だよ」


 熱に浮かされた顔に微かな怯えが浮かぶ。


「……っな、んで?」


「ただの気まぐれ。最近ずっと大人しめにしかしてなかったから、久しぶりにこういうのも良いかと思って」


「っぅ!?」


 上気した頬に軽く触れただけで薄い肩が激しく跳ねる。そのまま撫でつつけると、薄灰色の目がうっとりと細められ全身が細かく震えだした。


「ふ、ぁ……」


「ふふ、可愛い。大丈夫だよ、このまま薬を使い続けてここに閉じ込める気も、焦らして無理な約束を取り付ける気もないから。ただ、セツは気持ちよくなっててくれればいいいよ」


「ぅぁ……」


 快感に朦朧とするセツを組み敷しき、いつも以上に入念な愛撫を施す。

 そのうちに薄灰色の目は虚にどこか遠くを見つめ、涎にまみれた薄い唇は弱々しく嬌声を吐き続るだけになった。


「もう、僕の声なんて聞こえてないよね?」


「たりな……っ、もっ……と」


 問いかけても、うわごと以外は返ってこない。


「よかった。じゃあ、たくさんあげるから、セツはただ気持ちよくなっててね」


 ジクは安心したように微笑んで身体を繋いだ。 


「っ、今から言うことなんて、聞かなくていいから……ね。どこにも行かないで……、いい子だって言って褒めて、優しい子だって言って頭をなでて……、優しい声で子守唄を歌って、怖い夢を見たら抱きしめて……。もう、二度と酷いことはしないから。怖いことからも痛いことからも、僕が守るから……、お願い、ずっと傍にいて……」


「……」


 セツから僅かな反応すらなくなっても、ジクは泣き出しそうな声で繰り返し懇願しながらその身体を貪りつづけた。



※※※


「……っ」


 窓から夕陽が差し込む頃になると薬の効果がようやく落ち着き、ジクは崩れるように倒れ込んだ。


「……」


 組み敷いたセツは意識を飛ばし、薄灰色の目を虚に開けたまま、寝息のような呼吸を繰り返している。


「セツ」


「……」


 体勢を変えて銀色の前髪が張り付いた額に唇を落としても反応はない。


「聞こえてない思うけど、さっき言ったことも、今から言うことも全部忘れて」


「……」


「大丈夫、分かってるよ。セツにとって、僕は大事なものを奪って、酷い目に合わせて、呪いをかけて全てをメチャクチャにした憎いバケモノでしかないことも」


「……」


「だからせめてもの償いに、呪いをこの手で解かないといけないことも」


「……」


「……僕はね、ただセツのことが好きだっただけなんだ。今も、ずっと昔も」


「……」


「あはは、そんなこと信じてもらうのは無理だよね。大丈夫、自分のしたことが悪いことだって、今は分かってるから」


「……」


「ずっと苦しめてごめん……、でも……もう……、ふぁ……」


 大きなあくびをすると、ジクは涙の溢れる金泥色の目を閉じて寝息を立てはじめた。


 


 それにあわせるように半開きになっていた薄灰色の目が閉じ、薄い唇から深い息が漏れた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る