第18話 似合いの死場所と恋人としての抱かれ方
青雲の本部から半日ほど護送車に揺られ、そこから山間の獣道を三時間弱進み、ジクとセツは目的地にたどり着いた。山門と鳥居を雑に組み合わせたような街の入り口が、夕空の下にそびえている。
「久々に来たけれど、相変わらず悪趣味だな」
毒々しい赤色に塗られた支柱を眺めながらセツが呆れ顔で呟いた。
「うん。改めて見るとそうだね」
ジクも魑魅魍魎と人間が絡み合う浮き彫りが施された扁額を眺めながら返事する。
「まあ、私の死場所としてはこのくらいのほうがちょうどいいかな」
どこか軽薄な笑みを浮かべる顔から他人事のような言葉が溢れる。返す言葉は思い浮かばない。
二人はしばらくの間、街の入り口を前に黙り込んだ。
「……さて、ここに居てもしかたないし、街の中に移動しようか」
沈黙を破ったのはセツの声だった。
「……うん。昨日もらった資料だと僕の家は普通に使えるようになってるみたいだから」
「そうか。じゃあ、そこが当面の拠点ということで大丈夫か?」
「うん」
「よし、そうと決まれば出発出発ぅ!」
やけに上機嫌に門を潜っていく背中をジクは重苦しい足取りで追った。
※※※
「あー疲れた」
家にたどり着くやいなやセツは荷物を放り投げて居間のソファーに深々と座り込んだ。
「セツ、そのまま寝ないようにね」
「ははは、大丈夫だって。山道を歩き通しだったから、さすがにシャワーくらいは浴びておきたいし。たしか、ガス水道電気は全部使えるんだよな?」
「うん、そう聞いてる」
「じゃあ、さきにもらってもいいか?」
「分かった。場所分かる?」
「大丈夫、大丈夫。じゃあ、本格的に眠くなる前にいってくるよ。よっと」
華奢な身体がソファーから跳び降り、荷物からタオルと着替えを取り出して今を出ていく。
一人残されたジクは部屋の中を見回した。家具の種類も配置もかつて暮らしていた頃のままだ。思えば街の様子も住人がいないこと以外はなんら変わっていなかった。
自然と幼い頃の記憶が蘇ってくる。鎮静剤の副作用がないおかげで恐怖に錯乱することはないが、微かに息が苦しい。
「またここで、誰かの命を奪うのか」
思わず自分でも驚くほど悲しげな声がこぼれた。しかし、すぐに自嘲的な気分が胸の中を塗りつぶした。
今まで任務で無数のあやかしや加担していた人間たちを殺めてきた。それに、ずっと昔は何のためらいもなく人間を食い色々なものに加工してきた。今更、感傷などしてもしかたない。
それに。
「ジク、シャワー空いたぞ」
欲しがっていたものは手に入った。
たとえ、もうすぐ手放さないといけないものでも。
「……」
ジクはソファーから立つと、紺色の浴衣に隠された胸の飾りにそっと触れた。
「っ!?」
薄灰色の目が見開かれ、薄い肩が軽く跳ねる。目の前に浮かぶ激しい快楽への不安と期待が入り混じった表情がたまらなく愛おしい。
「……今日も、する、のか?」
薄い唇が微かに震えながら問いかける。その通りだと答え、その唇を塞ぎ口内を蹂躙しながら自分のものになった身体を好きに弄びたい衝動が込み上がってくる。しかし、ジクは目を軽く伏せて首を横に振った。
「ううん、今日は大丈夫。ここのところお仕置きが続いてたし、セツも疲れてるだろうから」
「……そうか。ありがとう」
手を胸から離すと、見下ろす顔に安堵の表情が浮かんだ。
淫らな姿ならばいつだって見ることができる。今欲しいのはもっと別の姿だ。
「ただ一つだけお願いがあるんだ」
「お願い?」
「そう。しばらくするときは好きな人に抱かれてるみたいに振る舞って欲しいんだ」
「ぇ……?」
戸惑いの表情とともに薄い唇が二、三度動かされた。しかし、声は伴っていない。
「僕、ちゃんとロカ本部長にはなにもしなかったよ。なら、セツのことは好きにしていいんでしょ?」
「……ああ、確かにそう言ったな」
黒い紋様が刻まれた右手が額をおさえ、深いため息がこぼれた。
「恋人みたいに抱いてくれと言われたことは何度かあったが、恋人みたいに抱かれろなんてややこしい注文ははじめてだよ、まったく」
「あはは、ごめん。難しいようならさ……、ロカ本部長に抱かれてるって思っていいから」
「……」
軽口まじりの拒否や否定が返ってくることもなく、セツの顔から表情が消える。覚悟していた反応だったが僅かに胸がざわついた。
「もちろん名前を呼び間違えたり、比べてどうこう言ったりするようならすぐにお仕置きだけど、そうじゃないなら優しく抱いてあげるから……最期まで」
「……」
「君の願いを叶えてあげるんだから、僕の願いも叶えて。ね?」
「……分かったよ」
諦念と落胆とその他諸々の感情が入り混じった表情が深いため息を吐く。
「ただ、そんなに面白いものでもないぞ?」
「うん、大丈夫。面白がりたいわけじゃないから」
「へえ? 城にいたころは少しでも反応が悪ければつまらないと言って打擲やらなんやらしてきたのに、随分と優しくなったんだな?」
挑発的な笑みがわざとらしく首をかしげた。
「それは……、その……、ごめん……」
「……まあ、いいさ」
どこか投げやりな声とともに、黒い紋様が刻まれた手が頬に添えられる。
「今目の前にいるのはジク以外の誰でもないもんな。今日はもうシャワーを浴びたら休もう」
「あ、うん。シャワーいってくる」
「そうしろ、そうしろ。じゃあ私は先に寝室に行っているよ。起きていたらまた子守唄を歌ってやるから」
「うん、ありがとう」
どういたしましてという言葉とともに頬を優しくひと撫でし、セツは寝室へ向かっていく。ジクも荷物から着替えを取り出し、家族写真があちらこちらに貼られた居間を出ていった。
※※※
翌日からジクたちは本格的に任務をはじめることになった。
「よし。しばらくは街の東側にいる小型のあやかしを一掃しようか。肩慣らしにはちょうどいいだろう」
「うん。分かった」
日中は任務の詳細資料に記載された地域のあやかしを塵に帰し二度と近寄られないように薬剤や道具で入念に処理をし、日没が近くなったら拠点に戻り休養する。
開始から数日の間、ジクは無数のあやかしを一気に相手取ることや、忌避処理の複雑さに疲労がかさみ食事を終えてシャワーを浴びたらすぐに眠ってしまうことが続いた。しかし、手始めにと選ばれた地域の処理が終わる頃には、日没が近づいてもさほど疲労を感じないようになっていた。
「ふむ。だいぶ一体多数の立ち回りが上手くなったか」
毒々しい夕焼け空の下、地面に広がる塵を眺めながらセツが軽くうなずく。
「しかも、忌避処理のほうはもう完璧にマスターしているな。すごいじゃないか、ジク」
「べつに……、セツが毎回分かりやすくアドバイスしてくれてたから上手くいっただけだし」
「はははは、変なところで謙虚だな。もっと『このくらいの雑魚相手なら当然だし』くらい言うかと思ったのに」
「言わないから、そんなこと」
「はいはい。ともかくお疲れ様」
夕陽の中で、銀色の髪も穏やかな微笑みも白い装束も朱に染まっている。その光景がどうしようもなく胸をざわつかせた。
「……」
「……ジク?」
気がつけば華奢な身体を抱きしめ、首筋に顔を埋めていた。
「……ねえ、今日は抱いてもいい?」
「……」
しがみつくような抱擁のなかで薄い肩が軽く跳ねる。しかし、腕から逃れようとする動きは感じられない。
「ここに来たとき約束したよね? 好きな人としてるときみたいに抱かれてくれるって」
「……そうだな」
微かな声とともに背中に腕が回されるのを感じた。首から顔をあげるとセツの顔にはいつもより寂しげな苦笑が浮かんでいる。
「今はお前のものなんだから、別に許可なんてとらずに好きにすればいいのに」
「それだと、恋人同士みたいなかんじにはならないじゃないか」
「ははっ、それもそうだな。じゃあ、家に戻ってシャワーを浴びたらしようか」
「……うん」
ジクは抱擁を解くと黒い紋様が刻まれた手に指を絡めた。
「……ふふ。なんだ、今日は随分と甘えたじゃないか」
「いいから、早く帰ろう」
「はいはい」
毒々しい夕焼けの中、二人は影を伸ばしながら手を繋いで家路についた。
※※※
照明を落とした寝室の中、ジクはバスローブ姿でベッドに腰掛けていた。
「さて、恋人同士のように、って話だったがまずは何をしてほしい?」
隣に座るセツが、挑発的な笑みを浮かべて腿を撫でてくる。このまま組み敷いて貪りたい衝動を堪えながら、黒い紋様が刻まれた手に手を重ねる。
「いつもは、どんな感じにしてたの?」
「いつも? そうだなぁ……」
重ねた手が腿の上を滑るようにして抜け出し頬に添えられた。
「キスは私の方からして、あとはロ……相手の好きなようにさせてたかな」
「じゃあ、まずキスして」
「ああ、分かった……ん」
薄い唇が軽く唇を食んでから離れ、すぐにまた唇を食む。
「っふ」
浅い口づけを繰り返しながら舌が少しずつ唇を撫でる。そのもどかしさに唇を開くと舌は一気に口内に滑り込んだ。
「っん、っぅ」
悩ましげな吐息とともに、口内に果実と薬とほんの少しの血が混ざり合った甘美な味が塗り込められていく。
「……っ」
「んっ」
舌を一気に吸い上げると薄灰色の目が細められ、薄い肩がビクリと震えた。それを皮切りに、舌を絡ませたままもつれるようにベッドに倒れ込む。
「……っは。ふふ、その気になってくれたみたいだな」
「それはそうでしょ。あとは、僕の好きにしていいんだよね?」
「ああ。まあ、できれば優しめにしてくれたほうがそれっぽくなると思うが」
「分かった……ん」
身体を重ねて再び唇を合わせる。
「んっ、ぅっ」
薄い唇から押し殺したような喘ぎが漏れ続ける。激しい快感を与え一心不乱に求めさせているときよりも感じる刺激は弱い。それでもなぜか今までにない充足感を感じた。
「っは、ジク」
唇を離すと見たこともないほど柔らかな笑みを浮かべた顔が耳元に近づいた。
「っなに?」
「ん」
薄い唇が軽く耳たぶを食む。
そして──。
「愛し、てる……っ」
「っ!?」
ずっと求めていた言葉が耳元で囁かれた。
※※※
「……どうだ。別に面白くもなかったろ?」
腕の中でセツが見慣れたへらりとした笑みを浮かべた。
「……全然。ん」
「ん」
軽く唇を食めば華奢なからだが軽く跳ねた。
「……だから、もっとしてくれる?」
「……ああ、分かったよ」
どこか諦めたような返事を聞きながら、ジクはさらにキツくセツを抱きしめた。
ようやく与えられた言葉が、本当は自分以外に向けられたものだとは分かっている。
「セツ、愛してる」
「……ああ、私もだよ」
甘い言葉が響く寝室の窓には、いつの間にか細く鋭い月が浮かんでいた。
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