第5話 新しい人生

 スープはすっかり冷めきっていて、銀色の皿もひんやりとしている。

「男であって、心底良かったとも思っている」

「良かった?」

「陛下は元々、男士より女人を好む人だ。織が男士ならば、第五夫人から外される可能性が高い」

「ですが、処刑は免れないのでは?」

「それは俺がなんとかする。織は俺の命を救ってくれた人だ。だがしばらくはここで待機していてくれ。現状を考えると外よりも監獄の方が居心地が良いと言える」

「瑛殿下は、陛下の嫡男なのですか?」

「陛下は俺の伯父にあたる。俺は父と共に国の政治を行っている。なんでも聞いてくれ」

「なんでも……ですか。どうしてそのように嬉しそうなのです?」

「お前に会えたからな」

「騙されたとしても、嬉しいものですか」

「先ほど言っていただろう。お前は気を使って言わなかっただけだ。驚きはしたが、騙されたとは思わない」

「随分と奇特な方ですね」

「それにお前は貴族相手であっても、臆せず物を言う。実に愉しい」

 織は残った夕餉を食べ終え、しばらく瑛と話に付き合った。




 牢獄生活が続くと思ったが、翌日に解放された。

 衛兵も側にいるためか、柏の表情は厳しい。

 織も感情を表に出さず、縄で繋がれたまま階段を上がっていく。

「この先は禧桜陛下がおられる」

 柏は声高らかに告げると、扉の向こうへ踏み出した。

 顔を伏せたまま膝をついて、頭を垂れる。

「遠路遙々、よくぞ参った」

「禧桜陛下から有り難き御言葉、恐れ多いことでございます」

「瑛から話は聞いた。女人ではなく、男士だそうだな」

「左様でございます」

「なぜ、本当のことを言わなかった?」

 ここは答えを間違えるわけにはいかなかった。

「私の村はここから遠く離れた山にございます。お貴族様がお住みになられている煌苑殿の話は入ってはきませぬ。また第五夫人候補との一報が届き、子を儲けるためではないと判断致しました。もう一つ、夜伽をできる男士をお探しであると考えました。村の者からは勘違いではないのかと言われ、私個人の判断であるが故、村の者は関係がございません。私の身勝手な言動により、皇后もご立腹でございました。どうぞ私の首をお斬り下さい」

「ひとまず、顔を上げよ」

 ここでようやく、織は顔を上げた。

 第一夫人が座っていた座には陛下がいた。年の割には若々しく、威厳と貫禄、それに品もある。だが顔色は良くはない。髭を蓄え、長髪を後ろに結び、垂れ流していた。言われれば瑛の面影もある。

 瑛も陛下の斜め後ろに立っているが、無表情のままだった。

「これはこれは……なかなか美しい顔立ちをしておる」

「痛み入ります」

「第五夫人……ふむ、そうか……」

 禧桜は咳を何度かした。乾いた咳で、やはり顔色の悪さが気になった。

「憚りながら禧桜陛下、顔色が良くありません。もしかしたら、喘息の症状が少しおありかもしれません」

「少し前から出るようになったのだ」

「数日前ではあれば風邪かもしれませんね」

「禧桜陛下、」

 間に瑛が入ってきた。

「こちらの織は、薬師の仕事をしていました。病にも精通しております」

「なんと、薬師か」

「憚りながら申し上げます。女人として煌苑殿へやってきた織ですが、男士であると広まっております。第五夫人として閨に入れるよりも、薬師として生かすべきではないかと思います。……元々、私が村で少女に助けられたと申し上げたからこそ、虚言が陛下のお耳に入ってしまいました。首を跳ねるなら、私もどうかお願い致したい」

「お前がいなくなったら、誰が政権を握るのだ。織、今ここで決断を下そう。汝の首を跳ねはしない。だが欺罔行為を行ったことは事実。村へ返しはせず、離れで薬師として勤めてもらう」

「有り難きお言葉。精いっぱい、努めさせて頂きます」




 寝静まった頃、柏は光が漏れる部屋を訝しみながら、肩を落とした。

「瑛殿下、失礼致します」

「そう不機嫌そうな顔をするな」

「明日に響きますよ」

「ああ、今休もうと思っていたところだ」

 瑛は筆を置き机の書類をまとめると、肩を回した。

 窓からは月明かりが漏れている。満月が欠けてしまっているが、変わらずに素晴らしい夜だ。

「まず始めに、織郭の様子はどうだと訊ねられるのかと思いました」

「お前に任せておけば問題ないだろう。織の様子は?」

「離れにある部屋は元々流行り病などを煩った貴族が使用していたものです。移住するのに一式揃っているとはいえ、使われなくなった部屋ですので手入れが必要です」

「ならば人手を送ろう」

「いえ、それが……織郭は自分で何とかすると頑なに譲らなかったのです」

 これには瑛も仕方ないと笑うしかない。

「薬の調合など、見られたくはないものがあるだろうからな」

「人手は要らないとのことですが、必要な道具は揃えてほしいと彼からの言伝です」

「判った。ならば明日、俺が直接様子を見にいこう」

「私もお供します」

「離れは煌苑殿の敷地内にある。必要ない。お前はそれとなく皇后の様子を見ていてくれ。殺したがっていた織が生かされているとなると、何を企むのか判らん」

「かしこまりました。……本当に寝て下さいね」

「判っている」

 彼が無理をする理由も判っていた。乱れた政治を正すには、彼のように心から民を平等に愛することができる人だ。

 今、この国は陛下を蝕む病と皇后のやりたい放題の振る舞いのせいでおかしくなっている。本来ならば貴族は誰からも愛され、また貴族も愛し返さなければならない。

 どうにもできないでいる柏は、もどかしい気持ちで歯ぎしりする日々だった。




 草をかき分ける足音が聞こえ、野生の生き物とは違い織は手紙を本の隙間に入れた。

「織、いるか?」

「瑛殿下?」

 織はすぐさま立ち上がると、扉を開けた。古くなった戸は、ここも手入れが必要であると大きな音を鳴らす。

「声で判るとはな」

「牢獄であれだけ話せば判ります」

「朝餉を持ってきたぞ」

 織は瑛とお盆の上の朝餉を交互に見る。牢獄で食べたものよりも豪華だった。干からびていない、焼きたての魚まである。

「瑛殿下……暇なのですか?」

「こう見えて忙しいぞ。今日も剣の稽古の後、机にかじりつかねばならないからな」

「……朝餉をどうしようかと悩んでおりました。ありがとうございます」

「立場がある故、俺と同じ朝餉とはいかないが、これで我慢してくれ」

「とんでもないです。充分にご馳走ですよ、ありがとうございます。入っていかれますか?」

「ああ、そうしよう」

 お盆を受け取り、瑛を中へ招き入れた。

 二人分のお茶を入れ、彼の手元に差し出した。

「これは……懐かしい香りだ。村で出してくれたものだろう?」

「ええ、そうです。覚えていらっしゃったのですね」

「あの味が忘れられなかった。持ってきたのか?」

「はい。どうしても飲みたかったので。向こうに見える山も、煌苑殿のものでしょうか? もしかしたらお茶に使う同じ植物が咲いていて、同じものを作れるかもしれません」

「この辺りは好きに散策してもらって構わないぞ。野生動物はいるが、危険を及ぼすようなものはいない。柏をつけよう」

「柏殿をそんなこき使わないで下さい。私も剣を学んできましたから大丈夫です」

「村では、女人も剣を振るうのか?」

「そうですね。自分の身は自分で守るようにと、子供も学校で学びます。体力もつきますし」

「あの村は、文明こそ我々よりも劣っているかもしれないが、ずっと先の未来を生きているな」

「あなたは政治家であり、為政者でしょう? 創ればいいのではありませんか」

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