第22話 翻る飛龍旗

 結論から言うと。

 総攻撃は行われなかった。

 攻撃再開の少し前に高地に白旗が立ったからだ。

 包囲している兵士たちが狐につままれたような面持ちで見ていると、高地の彼方此方に作られた地下陣地から両手を上げた敵兵たちが出てくる。何処にいたのか、と聞きたくなるほどの量だった。

 みんな一様にやつれ、死んだ魚のような虚ろな目をしており、ボロ雑巾のようになった青い筈の軍服は泥に塗れて真っ茶色である。敵兵たちはまるで魂が抜けた夢遊病者のような足取りで近くのヨモツ兵に降伏した。

 昨日まで激戦を繰り広げていたとは思えないような姿である。もしかして戦っていた相手は彼らではないのではないか? まだ敵は残っているのではないか? と疑うような有様だった。

 とにかく放置するわけにもいかないので、指揮班と二個小隊が塹壕に残って敵兵たちの武装解除を行う。残りは全員で高地頂上を目指した。

 敵兵たちは頂上から列を成すようにして、亀の如き鈍さで高地を下って来る。

「……なんで降伏したんッスかね?」

 信じられないという様子でアカツキが言う。無理もない。これまでずっと苛烈な抵抗を続け、降伏を拒絶して毒ガスまで撒いてきた連中である。それがこんな至極あっさりと手を上げて出てくるとは誰も思ってもいなかった。

「誰か昨晩白旗を上げていた奴を見てないか」

 一人の敵兵が大声でしきりに訊ねている。声は若いが顔は髭と土に塗れているせいで年齢どころか人相すら解らなかった。

 ミキとアカツキは顔を見合わせる。昨晩白旗を上げていた兵隊となればもしかしたらミキが射殺した敵兵の事かもしれない。

「知り合い?」

 止せば良いのに、ミキは髭面の敵兵に近寄って訊ねていた。我ながら莫迦な事をしていると思う。どうせどういう理由であっても、待っているのは胸糞悪い結末だけの筈だ。

「知り合いというか、なんというか……知っているのか?」

 ミキは一瞬答えようか迷った。

 しかし誤魔化しても仕方がない。ミキは首肯した。

「私が撃った」

 白旗を上げていなかったから、とミキは付け足す。自分でも言い訳臭いな、と思った。

「…………死んだのか?」

 再びミキは首肯する。

「そうか、死んだか」

 残念そうに髭面の敵兵は二、三度頷いた。

「死にたくないと壕から逃げた奴が死んで、死のうと残った奴らがみんな生き残っちまった」

 髭面の敵兵は深い溜息を吐く。

「ままならんな、人生ってやつは」

「全くだ」

 いつの間に来ていたのか、アサキが同意する。

「で、なんでお前らは降伏した? 死のうと壕に残ったンじゃないのか?」

「死のうと思っていたさ。最後まで全員で戦おうと思っていた」

「じゃあ、なぜ?」

 ミキが訊ねると、髭面の敵兵は深い溜息を吐いた。

「ガーヴィッツ少佐が……ああ、俺たちの指揮官が、一人だけで缶詰を食いやがった」

「なに?」

「缶詰だよ。餓死する奴までいたのに、あいつは一人で缶詰を食いやがった」

 髭面の敵兵は忌々し気に首を横に振る。

「そんな奴と一緒に死ねるか」

 ミキとアサキ、アカツキは三人で顔を見合わせる。降伏をするには些か拍子抜けするような理由だった。

「その何とか少佐って言うのは?」

 無言で髭面の敵兵は近くの洞穴の入り口を指差す。

 髭面の敵兵には下で武装解除を受けるようにと伝え、ミキとアサキ、アカツキは三人で教えてもらった洞穴の中に入った。

「うっ……」

 思わずミキは顔を顰めた。

 酷い臭いだ。籠城していた兵士たちの体臭だけではない。負傷者の血臭や膿の臭い、さらに排泄物の臭いまでもがゴッチャに混ざった凄まじい臭気が籠っていた。

 吐き気を催したが中を確認しなければならない。

 アカツキに懐中電灯で照らしてもらいながら中を進むと、個室のように区切られた狭い空間に出た。そしてその奥に一人の男が倒れている。服装から察するに例の少佐だろう。

「ヒデーなこりゃあ」

 どうやら部下たちに殺されたらしい。滅多撃ちの滅多刺しにされたらしく、身体中穴だらけで肉片が周囲に飛び散っていた。

 三人で死体の周囲を確認、触りたくないが死体の物入の中なども確認する。相手が指揮官であるならば命令書などの類を持っている筈だ。

 はたして直ぐ近くに図嚢が落ちており、その中に何枚かの書類が収められていた。内容は解らないが、そういうのを調べるのは将校たちの仕事である。

「出ようか」

 こんな臭い所は堪らんと三人は洞穴を後にする。途中、何かが足元でカロンと音を立てたので見てみると、一つの空き缶が転がっていた。

「……例の缶詰か」

 それは至極小さな、魚の缶詰だった。

 たった一つ。それも握り拳程度の大きさしかない缶詰を独り占めした事によって、最後まで戦おうとしていた兵士たちの戦意と団結は崩れ去ったのである。

 逆にいえばこの小さな缶詰のほんの一切れ、いや、爪の先程度の欠片でも兵士たちに分け与えていたら、彼らは最後の一兵になるまで抵抗したかもしれないのだ。

「ままならないね」

 ミキは空き缶を捨て、洞穴から外に出た。

 高地頂上には白旗の代わりにヨモツ国の国旗である「飛龍旗」が翻り、各所で万歳三唱の声が上がっている。

 この日、籠城していた全ての敵が降伏、マムシ高地は陥落した。高地に籠城していたのは約三千名。そのうちの三分の一が餓死していたという。

 飛龍旗の翻る空は突き抜けるほど青かった。

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