第20話 総攻撃開始

 毒ガスを用いた攻撃によって、マムシ高地を包囲していた部隊の意識は大きく変わった。これまで主流だった消極的な意見は軒並みなりをひそめ、替わりに「断固制圧」の声が次々と上がる。

 もはや情けも容赦もない。数発の毒ガス弾は包囲部隊の戦意と復讐心を最大限にまで引き出していた。

 司令部の方でもこれ以上の降伏勧告は意味がないと判断したのだろう。全部隊に対して「マムシ高地の敵を殲滅せよ」との命令が下された。

「いいか。高地の占領や敵の無力化が目的ではない。殲滅だ。徹底的にやり尽くすんだ」

 いつもと違う、やや興奮気味な様子でマイハマは中隊全員に訓示する。もともと彼女は穏健派で、戦闘せずに敵が降伏してくるのを願っていた。その結果が毒ガスという仕打ちなので余ほど頭に来ているのだろう。

 予定通り、明け方に空爆が始まった。

 近海を航行している空母から飛んできた急降下爆撃機が高地頂上を空爆する。

 ミキなどは航空機の知識がないので細かい事は解らないが、味方に誤爆しないように気を付けているのだろう。素人から見てもかなりの低空で爆弾を落としていった。

 凄まじい爆音。下からでも見えるほどの火柱が高地頂上に何本も立ち、見ていた兵士たちが歓声を上げる。余程の威力なのだろう。ミキたちのいる場所まで僅かに揺れ動いた。

 それが終わると続けて砲兵隊による一斉砲撃が始まった。

 まるで悪魔の高笑いのような爆音が続き、爆炎が頂上一帯を覆い尽くしているのが見て取れる。あれだけの砲撃だ。爆心地がどうなっているのか見なくても解る。

 総攻撃に先立ち、毒ガスに備えて全員が防毒面を装着した。当たり前であるが装着すれば呼吸が制限されるので息苦しい。これで斜面を登らねばならないのであるが、毒ガスを食らってのたうち回るよりはマシだろう。

「着け剣ッ!」

 号令で全員が銃剣を抜き放って銃先に取り付ける。

 周りと同じようにミキも愛銃に銃剣を取り付けた。アカツキのような復讐をするつもりは毛頭ない。しかし敵は降伏せず、そのうえ毒ガスまで撒いてきたのであるから容赦をする理由もない。

「第五中隊、前へ!」

 前進の号令。

 全員が銃を片手に姿勢を低くして高地へと登っていく。

 第五中隊が進む場所は急勾配なので登るだけでもなかなかシンドイ。しかも草が腰くらいまで伸びているので歩き辛い事この上なかった。お蔭で走ってもいないのに足が疲れてくる。

 そのうえ防毒面を付けているので呼吸も乱れがちだ。口と鼻を抑え込まれた状態で走っている感覚に近い。これでホントに頂上まで辿り着けるのか不安になる。

 それでも三分の一くらいを登るまでは何の支障も無かった。高地頂上からは丸見えだろうに、銃撃の一つもない。

 しかし半分ほど登った辺りから銃声が聞こえ始めてきた。音は疎らで別の隊を攻撃しているようだったが、総攻撃の意図を察知された事に違いはない。

 敵側は狙いやすいように予め遮蔽物を排除したらしく、高地は見渡す限り草、草、草で銃弾から身を守ってくれそうな物は何一つなかった。いざとなったら草の中に伏せて隠れ、這って登っていく事になるだろう。

 ややあって高地頂上付近に幾つも迫撃砲の砲弾が落ち、ブワッと雲のような物が広がった。友軍の発射した煙幕である。これで敵の視界はほぼ閉ざされた筈だ。

 ここまで敵に接近すればもはやガスの使用はないだろう、という事で防毒面を外すように指示が出る。外すと同時に深呼吸して新鮮な空気を吸おうと思ったが、既に硝煙の臭いが漂っていたのであまり新鮮とは言えなかった。

「第二小隊駆け足ッ!」

 小隊長の命令一下、全員一斉に走り出す。

 急勾配と足にまとわりつく草という走るには悪い条件であるが、モタモタ歩いていれば敵に狙われる恐れがある。みんな小銃を片手に全力で走った。

「伏せッ!」

 何かを見つけたのか、不意にシラセが叫ぶ。ほとんど反射で、ミキは滑り込むようにその場に伏せた。

「ベニキリ、手榴弾」

 言われてミキは雑嚢カバンの中から手榴弾を一発取り出す。

「あそこら辺にぶん投げろ」

 安全栓を抜き、信管を叩いてからミキは指示された場所に向かって手榴弾を思いきり投げた。しょうじき何があるのかは解らないが、投げろと言われたからには投げるまでである。

 やや間が合ってからダーンッという手榴弾の炸裂音が響き渡った。

 途端、連続した銃撃音が鳴り、手榴弾が爆発した付近に銃弾が襲い掛かる。

「莫迦め。引っ掛かったな」

 双眼鏡で銃声の主を確認し、伝令を使って擲弾筒分隊に位置を伝える。即座に擲弾筒から発射された榴弾が指示された通りの位置に落着して派手な爆音を奏でた。

「第二分隊、目標いまの爆発位置、前へ!」

 全員で指示された場所まで走っていく。

 しかし相互で援助し合えるような陣地を組んでいたのだろう。走っているミキたち目掛けて機関銃の弾が襲い掛かる。幸いにしてミキは既の事で窪地の中に転がり込む事が出来た。というより転がり落ちたと言った方が正しいかもしれない。

 しかし後ろを走っていた仲間がやられたらしく、近くで「うーん」という唸り声が聞こえてきた。

「誰かやられたようです!」

 大きな声でミキはシラセに報告。即座に確認が取られたが、しかし負傷した者はいないようである。はてな、とミキが首を傾げると再び近くで再び唸り声がした。

 驚いて周囲を見渡すと、直ぐ近くに焼け焦げた青い軍服を着た兵士が倒れている。窪地だとばかり思っていたが、どうやら砲撃痕であったらしい。倒れている兵士は準備砲撃でやられたようである。

 ミキは焼け爛れて動けなくなった兵士の胸元に銃剣の切っ先を置き、そのまま思いきり突き刺した。銃剣は肋骨の隙間を抜け、そのままの勢いで心臓を貫く。刺された兵士は一度ビクンッと大きく痙攣をして、それっきり動かなくなった。

 赤い液体の付着した銃剣を引き抜き、ミキは窪地から僅かに頭を出して周囲を見渡す。近くには誰か伏せている筈なのだが、草のせいでサッパリ何も見えない。しかし敵からは見えているのか、しきりに銃声が鳴り続いている。

「莫迦が」

 近くからアサキの罵倒が聞こえる。

 もっとも彼女が言うのも当然だ。あれだけ機関銃を撃っているのだから嫌でも場所は解る。そして位置が露見した機関銃など良い的だ。

 擲弾筒が榴弾を発射した音が耳に届き、続いて派手な爆音が響いた。

「第三分隊、目標いまの爆発位置、前へッ!」

 隣の分隊長の号令。さらにシラセの「第二分隊前へッ!」という号令も続く。

 第二分隊は姿勢を低くしたまま、最初に指示された位置にまで前進した。どうやら機関銃陣地か何かだったらしい。バラバラになった機関銃と弾薬箱が転がり、そこら中に銃弾が散乱している。もちろん身体の一部が吹き飛んで絶命した兵士も数人転がっていた。

 そしてこれが入口なのだろう。奥に塹壕が続いているのが見て取れる。随分と長く見えるので、もしかしたら頂上まで繋がっているのかもしれない。

 そしてそれを確認した次の瞬間、ミキの直ぐ真横で敵兵が手榴弾の安全栓を抜いているのを発見した。どうやら敵は他に気を取られて傍にいるミキには気付いていないらしい。大きく振りかぶって前進中の第三分隊に向かって手榴弾を投げようとしている。

 ほとんど反射的にミキは銃床ストックで敵兵の顔面を殴っていた。衝撃で敵兵の手から手榴弾が抜け落ち、地面に転がる。

 避けるような場所はない。

 殴られて前後不覚に陥っている敵兵を手榴弾の上に押し倒し、その肉体を盾にしてミキは自分に被害が及ばない事を祈る。

 爆音。

 手榴弾の爆風でミキと敵兵は吹き飛び、陣地の中にゴロゴロと転がった。

「ベニキリッ!」

 慌ててアサキとアカツキが駆け寄り、倒れているミキを抱き起こす。

 クラクラする頭を抑えながらミキは心配そうな顔をしている二人に何度も「大丈夫」と繰り返した。

「……ホントに大丈夫かな?」

 実際に重傷を負った者は自分の身体の異変に気付かない事があるという。唐突に不安になったのでアサキに訊ねると、彼女はミキの身体をくまなく見た後に「大丈夫だ」と頷いた。

「手も足も付いてる。怪我もない。尻もデカいままだ」

 最後の余計だ、と思いながらミキは転がっていた自分の銃を取る。幸いにして銃にも故障はないようだ。

 ただ銃床には、べったりと血糊と砕けた歯が付着していた。

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