復讐者

第14話 異変

 白い湯気が立ち昇っていた。

「ばばんば~」

 ゆっくりとお湯に浸かりながら、ミキは鼻歌を歌う。

 ドラム缶の風呂とはいえ、入浴をするのは上陸して以来である。例え立ちっ放しで身体をゆっくり休められなくても、湯に浸かるのはただひたすらに気持ちが良かった。

「早く代わってくれ」

 うずうずした様子で素っ裸のアサキが要求する。

「まだ入ってから一分も経ってないんだけれど」

「でももう皆行列作ってるぞ」

 見てみれば、なるほど、確かに長蛇の列が出来上がっている。

 ドラム缶風呂は五つなのに対して、第五中隊は百名近くいるのだから列が出来上がるのも当然だ。

 名残り惜しいがミキは風呂から上がった。

 僅かに一分程度の入浴だったが、それでも身体中に溜まっていた色々なモノが流されたようで気分は良い。

 いつもなら鬱陶しく感じる風が心地よく感じる程だ。

「おーい、誰か手空きの奴いないかー? あ、お前で良いや」

 見慣れない上等兵に手招きされ、まだ頭から湯気の出ているミキは首を傾げる。

「なんでしょう?」

「ちょっと付いて来い」

 なんだか解らずに付いて行くと、到着した場所は下士官浴場であった。

 軍隊では何でも階級で区別する。それは前線でも同様であり、所有物や使用出来る施設などが明確に別けられていた。

 当然のように風呂も下士官と兵では別である。

 もっとも別けられているといっても何か特別な風呂があるわけではない。ミキたち兵隊と同じドラム缶風呂である。それでも長蛇の列を作らず、ゆっくり入れるわけだからかなり優遇されていると言えるだろう。

「シラセ軍曹」

 尚も上等兵に付いて行くと、一つのドラム缶風呂に着いた。それが当然であるかのように、ドラム缶風呂には女性の下士官が入浴している。

「んぁ? どした?」

 余ほどリラックスしていたのだろう。入浴中の軍曹は変ちくりんな声を出した。

「当番兵をつれて来ました。お背中でも」

「いいって。自分でやるよ」

「駄目です。下士官としての威厳が示せません」

「わーったよ」

 面倒臭そうに言いながら軍曹はドラム缶風呂から出て、地面に敷かれている茣蓙に置かれた椅子に座った。

「では自分は失礼します」

「おーう」

 立ち去っていく上等兵。どうやら体よく仕事を押し付けられたらしい。

「じゃあ流してくれ」

「はぁ」

 ミキは腕を捲り、石鹸と手拭いを取った。

「背中流させないと示せない威厳ってなんだよなぁ?」

「はぁ」

 曖昧に返事をして、ミキは石鹸を付けた手ぬぐいで軍曹の背中を洗う。

 女性兵士には大きく別けて二つの人種が存在している。

 一つは「女性であろう」とする兵士で、髪を伸ばしたり、外出の時は化粧やお洒落をしたりして意識的に女性である事を忘れない。そしてあくまで「女性」である事に強いプライドがある。

 そしてもう一つは「男化した」兵士だ。

 前者に対し、こちらは「女性としての」身嗜みに無頓着であり、髪や服装なども利便性を優先している。そのせいか動作や口調も何処となく男っぽくなっており、時折り「女」を忘れているような態度を見せる事すらあった。

 軍曹はまさしく後者の典型で、口調は男そのもので髪もバッサリと切った短髪である。

 軍曹――彼女はシラセ・キリカといい、戦死した第二分隊長の後任としてやって来た新しい指揮官だ。

 大狼原野の戦いで第五中隊は敵の飛行場への突入と旅団の全滅を救う活躍をしたが、同時にそれだけの犠牲も出していた。

 正確な損失数は知らないが、ミキの体感では二割か三割の兵士がいなくなっているように思える。

 第二分隊の被害も甚大で、分隊長である軍曹が戦死しただけでなく、半分以上の分隊員を失っていた。

 見知った顔がいきなりゴッソリといなくなったわけであるからミキが受けた衝撃は小さくない。しかしそれは他の分隊も同様である。一人だけメソメソ哀しんでいるわけにもいかなかった。

 そんな中で着任したのがシラセである。

 元々は他の分隊で分隊長の補佐をしていたが、今回の人員不足を補うために急きょ昇進させられた下士官としては出来立てのホヤホヤだ。もっとも戦前より優秀な兵士は下士官候補として教育を受けているのをミキも知っていたので不安はあまりなかった。

「この休暇はいつまでなんでしょうか」

「さぁな。そこは中さんにでも訊いてくれ」

 大狼原野での活躍を認められ、中さん――中隊長の地位にはマイハマが収まった。今まで仮だったのが、正式に中隊をまとめる立場になったのである。

 これまでは「女士官は……」と文句を言っていた者もいたが、原野での戦い以降は誰もがマイハマを認めており、彼女が中隊長になったのに異論を挟む者ような莫迦はいなかった。近く大尉に昇進するという噂もある。

 また第五中隊は再編成の為に一度飛行場近くまで後退。疑似的な「休暇」が与えられていた。

 防御陣地から僅かに数キロも離れていない場所であるが、ここには仮とはいえ兵舎が存在する。野戦陣地に比べると乞食村と高級住宅地くらいの差があった。

「誰かがいなくなったと思ったら誰かが偉くなって……戦争っていうのは忙しいですね」

「まぁなぁー。敵さんにも合わせないといけないし、色々と面倒な事が多……いてて」

 シラセは眉間に皺を寄せて振り返った。

「そこ怪我してんだ。あんまり石鹸付けないでくれ」

「あっ、申し訳なくあります」

「そこまで口調堅くなくて良いぞ。どうもくすぐったい」

 言ってからシラセは欠伸をした。

「ねみーな」

「今日は嫌がらせ爆撃が無ければいいですが」

 少し前よりドウメキ島周辺に哨戒網が作られ、近海に空母が常駐するようになっていた。そのおかげで空襲があっても迎撃出来るようになったのであるが、敵は懲りずに夜間の嫌がらせ爆撃を続けている。

 邀撃も空母の艦載機が行っているため、敵機が爆弾を落とすまで間に合わない場合も多々あった。夜間の離着艦は危険だというので、そもそも飛んでこない時すらある。

 飛行場設営隊の連中いわく飛行場修繕の資材も到着しており、飛行場の修復が終われば陸上航空隊も来る。そうすれば敵が空爆する前に撃墜出来る……らしいのだが、今の様子だと飛行場修復が完了するのは未だしばらく掛かりそうだ。

 お湯で石鹸を洗い流し、身体を拭く。例によって「いいよ」と言われたが、やらないと怒られるのはミキなのである。半ば無理やり身体拭きをした。

「では片付けしておきます」

「悪いな」

 バツが悪そうに後頭部を掻くシラセ。

 何しろ今まで兵隊だったのが、いきなり世話係が付くような階級になったわけだから勝手がイマイチ解らないのだろう。

 シラセがいなくなるのを確認し、さらに周囲を見渡す。

 他の下士官たちも引き揚げており、残っているのはミキや他の当番兵しかいない。

 ミキはさっさと服を脱ぎ、ドラム缶風呂の中に飛び込んだ。

「あ~生き返る~」

 風呂を早々に引き上げて、背中流しをやらされたのである。これくらいの役得はあっても良い筈だ。他の当番兵たちも同様に、皆これ幸いとドラム缶風呂に飛び込んでいる。

 ゆっくりと湯に浸かり、少しウトウトした。陣地構築をしていた時などは夢想すらしていなかった風呂だ。まさに天国にいるような心地であった。


   ◇


 風呂から上がり、後片付けを済ましてからミキは真っ直ぐ兵舎に戻った。

 兵舎というと立派だが、実際は掘っ立て小屋のような物である。しかし中には簡素とはいえ寝台と寝具があり、前線の陣地に比べると豪邸のようだ。

 もっともこの狭い小屋に兵士を詰め込めるだけ詰めているので中は恐ろしいほど窮屈である。二段になっている寝台以外は自分のスペースなどなく、上下共に荷物を兵士が寝ているので蚕棚のようだ。

 真ん中を突き抜ける狭い通路には装具や背嚢が置かれているので通行するにはかなりの無理をしなければならない。ミキに割り当てられた寝台は奥の方だったので、そこに行くだけで一苦労であった。

「ミキ、お前の分も取っといてやったぞ」

 ミキを見るなり、寝台に寝転がっていたアサキが紙包みを投げて寄越す。

 何かと開けてみると、中には白い小石のような物がコロリと入っていた。

「氷砂糖? 何処で手に入れたの?」

「お前が出ている間に支給があったんだよ」

 風呂に入っている間に危うく貰い損ねるところだったらしい。

 預かって置いてくれたアサキに感謝しつつ、ミキは紙袋から取り出した氷砂糖を口の中に放り込む。

 何しろ最後に食べた甘味といえばマイハマに貰ったドロップスくらいだ。あまりにも甘味という物に縁が無さ過ぎたせいか、口の中に砂糖の甘みが広がった瞬間、思わず目が潤んで来た。

 口内一杯に甘みが広がるの釣られるように、目に涙が溢れてくる。

「莫迦。なに泣いてんだよ」

「だって…………だって……!」

 何度拭ってもボロボロと大粒の涙が零れる。

 口の中の氷砂糖が無くなっても、しばらく涙が収まる事はなかった。

「あー! ゼンザイがベニキリのこと泣かしたー!」

 誰かが茶化し、やいのやいのと皆がアサキに野次を飛ばす。

「ばッ……ちげぇよ!」

 アサキが弁明するが、皆はわいわい騒ぎながら茶化す。

 僅かとはいえ前線から離れ、寝食にある程度の充足してきたからか兵隊たちの顔にも余裕が見られるようになっていた。

「上官ッ」

 出入口近くの兵隊が大声で言い、全員寝台から降りて整列しようとしたが「そのまま」という声が行動を遮った。

 ミキのいる位置からでは見えないが、声から察するにどうやら指揮班付の下士官であるようだ。

「先ほど連隊命令が出た。撃退した敵はマムシ高地に撤退し、現在陣地を構築している様子だ。そのため第二大隊は明日の正午にここを出発し、マムシ高地の敵を掃討する」

 兵隊たちの顔から表情が消えた。

「手負いとはいえ、敵はまだ充分な兵力を有していると思われる。絶対に気を抜かないように。詳細は追って知らせる。終わり」

 話しはそれで終わった。

 先ほどまで茶化し合っていた兵隊たちは皆沈鬱な面持ちで自分の寝台に潜る。もう先ほどのような明るい雰囲気はなく、暗い雰囲気の中を愚痴や文句が飛び交っていた。

「休暇も終わりか」

 ミキも寝台に横になる。残念であるが、しかし仕方のない事だ。何しろまだ戦争は終わってないのである。

「ちょうど良いじゃないスか」

「え?」

 少しミキが顔を上げると、隣の寝台で銃剣を研いでいるアカツキの姿が目に入った。

「ちょうど良いって……何が?」

 アカツキは答えない。ただひたすらに自分の銃剣を研いでいる。

「…………傷は大丈夫なの?」

「軍医にはもう少し安静にしていろって言われたっス」

「じゃあ休んでいれば?」

 アカツキは答えない。

 ミキは酷い違和感を覚えた。割り切ってこそいるが、アカツキはミキと同様に「命令」だから戦争をやっている口である。

 だから怪我が癒えてもいないのに復帰するだけでなく、今から銃剣を研ぎ直すほど「やる気」になっているのが不思議だった。

「……何かあったの?」

「…………」

 やはりアカツキは答えない。

 ミキは訊ねるのを止め、改めて寝台に横になる。

 しかし銃剣を研ぐ音は消灯時間になるまで止む事はなかった。

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