第16話

「バス釣りなんだけど、それでも良い?」

「バス……釣り?」

「ブラックバスっていう大きめの魚だよ。ほら、地元に湖あるだろ?あそこはバス釣りで有名な場所だからさ」

 そう言われ、ユイトは若干面倒になってしまう。まさか、地元まで早起きして帰るというのだろうか。

「え、もしかして……早起きとかすんの?」

「あー、うん。なるべく早い方がいいかな。無理そう?」

 ユイトは夜職だから日曜でも前夜から仕事があるので、朝から釣りに行くのはしんどい。だから、行くとしたら店休となる金曜に早く寝るようにして、土曜の朝に行くという方法はある。

「土曜なら平気。前の夜仕事ないから」

「そか。じゃ、今度の土曜日はどう?」

「次か……急だけど、まぁ、予定はねぇし、いいよ。

 けどさ、俺、竿とか持ってねぇ……」

 自宅はおろか、実家にもまだ釣り竿があるか思い出せない。

「それなら大丈夫。実家にもう一本あるから、湖に行く前に寄って取っていこう」

「え、いいの?竿借りて……」

「もちろん!使ってもらえたら竿も喜ぶよ」

 そう言って、奏一は満面の笑みを浮かべた。

「あ、あぁ……サンキュ……悪い、何から何まで……」

 ユイトの胸はさざめいた。けれど、それがいったい何なのかわけがわからず、内心困惑してしまう。

「いいんだよ。俺がしたくて色々してるんだから。まぁ、独りよがりかもしれないけどね」

「そんなことねぇって。美味かったし、シチュー。今日は嬉しかったよ、一緒に食えて」

 それは、ユイトの口から素直に出た言葉だった。

 その言葉を聞いて、奏一は目をぱちくりとさせた。

「んじゃ、そろそろ帰るな、俺」

 気付けば既に午後十時。夜の仕事をしているユイトにとっては、まだまだ”早い時間”に入ると思うが、初めて訪ねた家にこれ以上長居するのもどうかと思い、帰ることにした。

 

 ユイトが椅子から立ち上がると、奏一は一瞬淋しそうな顔をした。

「え、あ……もう帰っちゃうの?」

「いや、もう十分遅いだろ。初めて来た家にこれ以上遅くまでいられねぇよ」

 こういった常識はユイトも持ち合わせていた。

「そう?」

「あぁ。シチューはマジ美味かった。もし次一緒に食う時は、作るの俺にも手伝わせてくれ」

 玄関で靴を履き、ユイトが言う。

「そうだね。じゃ、今度は一緒に作ろうか。それじゃ、土曜日楽しみにしているよ。詳しくはまた連絡するから」

「わかった。じゃ、おじゃましました」

 そう言って、ユイトは奏一の部屋を出た。そして、地下鉄の駅に向かう。しかしそこで、自分から言った『次一緒に食う時は』という言葉を思い出した。ごく自然に出た言葉だったが、自分からも、”次”という奏一とのこの先の繋がりを希望していることに気付く。そして、自分の本心で奏一と一緒にいたいと思っていることにも気付いた。

『俺……どうしたんだ?』

 自分の気持ちの変化にも戸惑うけれど、その先を突き詰めることはしなかった。もし、突き詰めたとしても、ろくなことにならないのではないかと思ってしまうから。前のように、傷つきたくないから。自分は臆病なのだなとつくづく思った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る