第22話 窮地


 シェーンハイト伯との会談を終えた私は、リネージュに帰る馬車の中で計画を立てた。


 慕ってくれる領民さんたちに被害が出る前にお父様の動きを封じ込めないといけない。


「じっくり準備している時間は無い。第三議会が私を潰せなかったことは、おそらく数日も経てばお父様にも伝わるだろうから」

「リネージュのその周辺にも既に密偵が潜り込んでいる様子ですからね」

「動きを封じ込めるのは難しそう?」

「ある程度制限することはできると思いますが、それにも限界があります。まだ全容を把握できているわけでもありませんし。第三勢力の密偵も紛れ込んでいるようですから」

「第三勢力?」

「王室と繋がっている密偵が入り込んでいることを確認しています」

「王室の関係者が……」


 随分動きが速いな、と感心する。

 腐敗した貴族社会の中で、王室は比較的民のことを考えて動いている印象があった。


 誇りと矜持を持った良心的な人が内部にいるのだろう。


 しかし情報を封鎖したい今、未確定の第三勢力の存在は状況への対処を難しいものにしていた。


「こうなったら先制攻撃しかないわね。兵は拙速を尊ぶ。こちらから奇襲をかけて、相手の弱みを握り身動きできない状況にする。何か弱みになりそうな情報ってある? お父様が隠しているものとか」

「いくつか心当たりはあります」

「半端な情報では火に油を注ぐだけで終わってしまう可能性も高い。一撃で息の根を止められるものがいいんだけど」

「少しだけ時間をください。ラヴェル様邸宅の調査を行います」


 翌日、元暴徒の育成中エージェントを連れてヴィンセントとシエルは、お父様の邸宅の調査に出発した。


 私は日課になった畑仕事をしてその日を過ごした。

 生活魔法で荒れ地を開墾し、水やりをした。


 開墾作業と職業支援によってリネージュでは周辺地域に負けない品質の作物が採れるようになっていた。


 土壌の栄養も十分以上に確保できているみたいだし、既に立派な農園と言っても差し支えないレベル。


 このペースで開墾作業を続けることができれば、魔法国屈指の大規模農場ができあがる未来も夢じゃない。


「今でも信じられません。作物不毛の地だったのが嘘のようです」


 お昼休み。

 ヴィンセントが朝作って持たせてくれたパンを食べていると、声をかけてくれたのは一人の老婦人だった。


「ミーティア様のおかげでこの地は変わりました。孫も農園で働くことができてとても喜んでいます。貴族家の方が私たち魔法適性を持たない者に提供するものとしては、信じられないくらいに働きやすい条件ですし」

「いや、他の貴族がおかしいだけで普通ですからね」

「この国で魔法適性を持たない者を普通に扱ってくれるのはミーティア様だけです。本当になんとお礼を言えば……」


 老婦人はそこで泣き出してしまった。

 経験してきたつらい記憶がそこに滲んでいた。


(私は人として普通のことをしてるだけなのに)


 それでも、その普通さえ享受できない人がこの国にはたくさんいる。


 歴史と伝統。

 長い年月をかけてつくられた歪んだ価値観と既得権益。


(叩き潰さなければいけないわ。強く気高き悪女として、気に入らないものは徹底的にぶっ壊してやるんだから)


 決意を新たにしつつ、くわを振るう。

 日が暮れるまでたっぷり働いて、心地良い疲れと共に帰り道を歩いた。


 いつもはシエルとヴィンセントが迎えに来てくれるが今日はいない。

 お父様に先制攻撃するために、リュミオール家邸宅の調査に出かけているからだ。


 一人で過ごすのが少し寂しかった。

 変だな、と思う。

 幽閉されていた頃は、一人でいても何とも思わなかったのに。


 見慣れた家も今日はなんだか別物みたいに余所余所しく感じられた。

 まったく同じなのに、何かが少しずつ違っているような気がした。


 まるで現実とは違う間違った世界に迷い込んでしまったみたいな。


(待て。冷静に考えろ。本当にいつもと同じか?)


 見過ごしてはいけない何かがそこにある気がした。


 注意深く調度品の位置を点検する。

 私が出発した朝から何も変わっていないように見える。


 しかし、本当に変わっていないのか私には確信が持てなかった。

 そもそも、私は周囲のものの位置関係をどこまで正確に把握できているのだろう。


 少し違っていても多分気づかない。

 だったら違いを把握しようというこの試み自体意味があるかは怪しいことになる。


(ひとまずここを出て誰かと合流を――)


 家とその周辺を警備してくれている元暴徒さんたちに合流しようと身体を起こす。


 しかし、そう判断したときにはすべてが手遅れだった。


 首筋に添えられた刃物の冷たい感触。


「動くな。少しでも動けば殺す」


 感情のない声が耳元で響いた。






 ドアノブが回る音が聞こえたのはそのときだった。

 扉が開いて、男が部屋の中に入ってくる。


 背が高く手足の長い男だった。

 側近らしい二人の男女を引き連れている。


「警護していたやつは隣の部屋で寝ている。助けが来ることは期待しない方が良い」


 男は言って、私の向かいにあったソファーに腰掛けた。

 足を組み、慣れた所作でパイプ煙草に火を点けた。

 白い煙がパイプの先で揺れた。


 私は首筋に冷たい刃を感じながら、意識して身体を動かさないように努めた。

 しかし、それは予想していたよりも簡単なことではなかった。


 動かさないように意識すればするほど、身体はかすかに身じろぎして、私を悩ませた。


 もし少しでも変な動きをすれば、刃物は私の喉を裂くことだろう。


 一歩間違えば私の命はそこで終わる。

 こみ上げる恐怖と伝う冷たい汗。


 それでも取り乱さずにいられたのは、憧れる悪女の存在が心の中にあったからだった。


 あの人なら、この状況でも気高く優雅に振る舞うから。


 打開策を見つけだして、かっこよく窮地を脱するはずだから。


 私はあきらめないし、取り乱さない。


「気が乗らない仕事だ。こんな子供を殺すなんてな」


 男は冷めた口調で言った。


「では、見逃してもらえませんか?」

「悪いな。こちらも仕事なんだ」

「私も仕事の話をしています。見逃していただけるなら、お父様が支払った倍の金額をお渡ししましょう」

「面白いことを言う。お前にそれが用意できるのか?」

「奥の戸棚にあるケースを開けてみてください」


 私の言葉に、男は斜め後ろに立っていた女に目配せする。

 女はうなずいて戸棚を開けた。

 罠を警戒しつつ、慎重な手つきでケースを開けて息を呑んだ。


 男の足下に、ケースの中身を持ってきて広げる。

 並べられた金貨が魔術灯の灯りを反射してきらめいた。。


「足りないと言ったら?」

「戸棚の奥に隠し扉があります。倍の量の金貨がそこに隠してあります」


 女が戸棚の奥を確認する。

 隠し扉を見つけて、男に合図を送った。


「大したものだ。依頼主があんたを消したいと思う理由がわかったよ」


 男は言う。


「だが、相手が悪かったな。重要なのは金よりも信用だ。一度裏切ったやつは何度でも裏切る。俺はそういう人間を信用しない。何より自分がそうなりたくない」

「さらに多くの額をご用意できるとしてもですか?」

「人間は命乞いをする際なりふり構わず嘘をつくものだ。その類いの言葉は信用しないと決めている」


 懐柔できる相手ではないらしい。

 多分、裏社会では相当名の通った殺し屋なのだろう。


 とはいえ、ここまでは想定していた。

 チャンスがあるとしたら一度だけ――


 私は顔を俯け、静かに心を整えてその機会を待つ。

 前髪の隙間から横目で、金貨が詰まったケースを開ける女の動きに呼吸を合わせた。


 男は、はっと何かに気づいて鋭く言う。


「待て。開けるな」


 しかし、男の言葉は間に合わなかった。

 ケースから広がる白い煙。


 目くらましの白煙が広がる中、私は背後の殺し屋に魔力を叩きつける。

 至近距離からの強烈な魔力圧の暴力。


 意識を刈り取り刃物を奪い取って、ソファーに座る男を倒そうと反転して――


 しかし、次の瞬間私は組み伏せられていた。

 予想していない場所からの一撃。


 大人の体重に、子供の身体が軋む。

 必死で抵抗しようともがくけれど、逃れることができない。


 煙が晴れたとき、長身の男は変わらない様子でソファーに座っていた。

 私の身体を組み伏せているのは二人の男だった。

 他にも四人の男達が私を取り囲んでいる。


(伏兵――)


 私が認識していた他に、六人の殺し屋がこの部屋には潜んでいたのだ。


 明らかに過剰な戦力。

 お父様は絶対に私を殺そうと準備を整えたのだろう。


 戦いが始まった時点で私の敗北は決まっていた。


 振り下ろされる刃。

 まだやりたいことがたくさんあるのに。


(こんなところで――)


 迫る死の恐怖に目を閉じたそのときだった。


 鼻先をかすめる冷たい風。

 蹴り飛ばされた刃物が床を転がる音。


 目を開けた私が見たのは、スーツに身を包んだその人たちの後ろ姿だった。


「遅くなりました。ミーティア様」


 執事服の襟元を正すヴィンセント。

 さらに、スーツ姿の元暴徒さんたちが私を庇うように立っている。


「取り押さえろ」


 ソファーに座った男が言う。


 一斉に襲いかかる殺し屋たち。

 振り抜かれる刃をかわして、ヴィンセントは殺し屋を投げ飛ばす。


 投げた男の身体を利用して、一人を無力化しつつすぐ傍まで迫っていたもう一人に蹴りを入れた。


 芸術の域まで磨き上げられた美しい体術。


 その隣で、元暴徒さんたちが連係して殺し屋たちを無力化していく。


 魔法が使えずに育ったこともあって身体を使う機会は多く、元々体術の素養はあったのだろう。


 加えて、彼らの手には見たことのない特殊な武器が握られていた。


 麻酔針が仕込んである傘とステッキ。

 付与魔法と魔術繊維が編み込まれた防弾仕様のスーツ。

 踵から刃が飛び出す靴。

 高圧電流が流れる指輪。


「な、何者だこいつら……」


 呆然と一人の殺し屋がつぶやく。

 想定外の敵と特殊武器を前に、為す術無く撃退されていく殺し屋たち。


「なんとか武器を最低限扱えるところまでは持っていけていたのが幸いでした」


 ヴィンセントは手袋の裾を引き上げつつ言う。


「まだまだ物足りないところも多いですが、最低限戦力として計算することはできるかと」

「…………」


 いや、強いよ。

 強すぎだよ。


 エージェントなりきりごっこでやっていいレベルを完全に超えてるんだよ。


「大丈夫ですか、ミーティア様」


 気遣ってくれる元暴徒さんたちを呆然と見上げる。

 部屋の外から、シエルが駆け寄ってきて私を抱きしめた。


「怖かったですよね。もう心配ないですから」


(いや、驚きすぎて怖いみたいな気持ちが吹っ飛んじゃったというか……)


 目の前に広がる異常な光景。

 殺し屋たちを一方的に蹂躙したごっこ遊び仲間たちの姿を、呆然と見つめることしかできない私だった。



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