第10話 教育
一週間後、ミーティアが住む屋敷に届いたのは大きな箱だった。
送り主の名は無く、青いアイリスの花が一輪添えられている。
シエルとヴィンセントは届いた箱をいぶかしげに見つめた。
どこの誰が、どういう意図でこれを送ってきたのか。
純粋に善意と捉えるには、二人は人の悪意に触れすぎている。
「私が確認します。シエルは離れていてください」
ヴィンセントは警戒しつつ、箱の外部を注意深く点検していく。
(ひとまず外部に危険な兆候はない。添えられているのは青いアイリス。花言葉はたしか信念と希望)
箱に耳をあてる。
中から音はしない。
(爆薬の類いではない、か。あるとすれば毒ガスや生物兵器)
細心の注意を払いつつ、箱を開けたヴィンセントは中に入っていたものを見て唇を引き結んだ。
(保存が利く食料……)
頭をよぎったのは毒が入っている可能性。
少量を手に取り、口に含んで毒の有無を確認する。
エージェント時代に行われた訓練によって、ヴィンセントは二百種類以上の毒薬への耐性を獲得している。
(毒は入っていない)
そこまで確認して、ようやくそれが善意によって送られたものである確率が高いことを理解した。
(いったい誰が……)
詰められた保存食の種類から、送り主は高い地位にいる人間である可能性が高い。
そして、そこに該当する人物にヴィンセントは心当たりがあった。
(第二王子殿下……! まさか、先の会談でミーティア様のことを気に入って支援を)
仕事に熱心でない遊び人として知られ、国内での評価は低い第二王子だが、実際に目の前で見た彼は噂通りの人物には見えなかった。
(おそらく、不真面目な振る舞いは《三百人委員会》に警戒させないため)
そして、たった一度の会談で第二王子殿下の信頼を勝ち取った主人のことを思って頬をゆるめた。
(どんなに不遇な扱いをされても、あきらめずにずっと勉強を続けてましたね)
太陽が射さない埃っぽい地下書庫。
鍵付きの部屋の中で幽閉されながら、ずっと本に向かい続けていたその姿は、ヴィンセントの目に強く焼き付いていた。
(ミーティア様。貴方の努力は今、着実に実を結んでいますよ)
◇ ◇ ◇
(差出人不明の食料、こわ……)
届いたその大きな箱を、ミーティアはうろんな目で見つめた。
ヴィンセントから安全なものだと聞かされても、むしろその善意が恐怖を助長した。
(送り主って絶対この前会った商会長さんでしょ。貴族社会にたくさんいる無自覚系差別主義者を演じた私を気に入るとか、本物のやばいやつじゃない……)
どう考えても仲良くなれる相手じゃないと思うミーティア。
彼女は、商会長の正体が第二王子であることにまったく気づいていなかった。
(送り主を書かずに青い花を添えるセンスも大分痛いわ。ただのやばい人じゃない。痛くてやばい人よ)
きっとモテたくてロマンス小説で女子の好みを勉強した結果、かなり痛いことになってしまったのだろう。
お金持ちに生まれたせいで、誰も止めることができずに生まれてしまった悲しきモンスターなのだ。
(できるだけ関わらないようにしましょう)
ミーティアは、背筋に冷たいものを感じつつ思った。
◇ ◇ ◇
一ヶ月が過ぎた。
私は腐った貴族たちをぶっ飛ばすかっこいい悪女のポーズを考えてにやにやしたり、ほっかむりをかぶって荒れ地の開墾をしたりしながら、何にも縛られない自由な生活を満喫していた。
誰の顔色をうかがう必要も無く、のびのびとやりたいことをやりたいようにできる。
窮屈で息苦しかった前世とはまったく違う充実した毎日。
一方で周辺地域を治める領主達が、リネージュで行われていることに気づき始めているのを私は感じていた。
感染症の蔓延を防ぐために往来が制限されていたおかげで、情報が広まるのを遅らせることができていたのだけど、収束に伴って状況は変わりつつある。
どういう風に動いてくるかわからない。
加えて、競争力のある産業を作り出して領地経営を健全化する上でも周辺地域との交流は必要不可欠。
私は周辺地域とその領主について、ヴィンセントに調査をお願いした。
調査資料ができあがったのはその二日後だった。
「どこもひどい税額……搾り取れるだけ取ろうとしてるって感じね」
「その分領主たちは相当量の隠し資産を貯め込んでいるようです。共謀し、領民を刺激しないよう注意しながら少しずつ税額を上げ続けて今の状況が形成されたようでした」
ヴィンセントは言う。
「表向きはこの地に強い影響力を持つヒルトン子爵が主導していると言われているようです。しかし、そこにもいくつかの不審な点があります。あと数日いただければ、それについても正確な情報をお伝えできるかと」
落ち着き払った口調で報告してくれるヴィンセント。
さすが《優雅で完全なる執事》と言わざるを得ない完璧な仕事ぶり。
何より、至る所にあふれ出るプロフェッショナル感がすごかった。
気を抜くと忘れそうになるけれど、ヴィンセントは本物のエージェントでは無い。
私と同じで小説の中のエージェントに憧れて本気でごっこ遊びをしているだけなのだ。
にもかかわらず、この圧倒的な完成度。
本物を見たことがないから判断できないけれど、もはや本物を超えているのではとさえ思えるほど。
(すごいわ……かっこいいわ!)
同じ趣味を持つ一人として、ヴィンセントのエージェントに対する憧れの強さに感動せずにはいられない。
こんなに仕事が出来る大人の男性なのに、全力でエージェントなりきりを続け、一切の妥協をすること無く高みを目指しているのだ。
一般的な価値観から考えると変だと思えるような行動。
でも、だからこそかっこいい。
年齢や人の目を気にせず、自分の好きに純粋な姿勢が私の胸を打つ。
(ヴィンセントに会えてよかった。本当に素敵な人だわ……)
改めてヴィンセントの偉大さを再確認する。
加えて、侍女のシエルもヴィンセントの助手としてがんばってくれているらしい。
「先日初めて潜入のお手伝いをしたんですけど、スリル満点で本当に楽しくて。いけないことをしてる背徳感というのでしょうか。なんだかくせになっちゃいそうです」
興奮した様子でシエルは言う。
「難易度的にも幽閉されてたミーティア様にこっそり会いに行くのと変わらないなって感じて。もしかしたらこういうの、向いてるのかもしれないです」
毎日のように私への差し入れを持ってきてくれていたけれど、まさかそれがシエルの技術習得に繋がっていたとは。
「素晴らしいわ、シエル。貴方の力で計画はひとつ先の段階へ進んだ。誇りに思いなさい。最強の悪女であるこの私が貴方の努力を称えて――」
近くにあった木箱の上に立って、かっこいいポーズで言っていたそのときだった。
木箱に穴が開いて私は頭から転倒した。
目の奥で火花が散った。
涙で視界がにじんだ。
「シエルぅぅ、木箱さんがいじめたぁぁぁ!」
私は泣いた。
シエルはやさしく頭を撫でてよしよししてくれた。
思うようにいかないこともある。
だけどそれも含めて、十分すぎるくらいに心地良く平和な毎日。
(今日もとっても楽しかった。明日ももっと楽しい日になるといいな)
悪女らしく強欲なことをベッドの中で思って頬をゆるめる。
しかし、異変が起きたのはその翌日のことだった。
「井戸に獣の死体が投げ込まれていたんですか?」
私の言葉に、いつも一緒に鍬を振っているナディアおばあちゃんはうなずいた。
「はい。それも、領主様が使用する可能性のある井戸が重点的に狙われていました」
「私に対して恨みのある人の犯行ですかね」
「領地の中にミーティア様に対して恨みのある者なんているとは思えません。みんな、本当に感謝してるので」
「ありがとうございます。そう言ってもらえてうれしいです」
目を細めつつ、小声でヴィンセントに耳打ちする。
「ヴィンセントは気づいた?」
「犯人を追跡し、雇い主につながる手がかりを入手したところです。数日中には、首謀者を特定できるかと」
「さすがだね。ありがと」
こういった類いの嫌がらせがあることを私たちは予想していた。
常軌を逸した重税が当然のものと考えられているこの国で、リネージュだけ適正額まで税額を引き下げたのだ。
この情報が広まれば、他の地域の領主に対して領民たちの不満は強くなる。
足並みを揃えるよう圧力をかけるのは当然のこと。
増して、相手は子供。
少し脅せば世間知らずの小娘一人、簡単に言うことを聞かせられると思っているのだろう。
遂に始まった悪徳貴族の攻撃。
私はにやりと口角を上げて言った。
「本当の悪というのがどういうものなのか、教育してあげましょう」
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