好きなところ

 自分は陽汰が好きなのかもしれない。そのことに気づいてからも、千影は慎重だった。彼のどこが好きなのか、ひとつひとつ根拠を積み重ねていった。


 いつも前向きだから、仕事に一生懸命だから、明るく元気だから、仲間思いだから、気さくで周囲の人間を和ませてくれるから、よく笑うから、やさしいから、そして何より千影が作ったものを本当においしそうに食べてくれるから……。


 考えれば考えるほど、鼓動がトクトクと速くなる。


『返事はいつでも大丈夫なので』


 やさしい声が耳の奥でよみがえる。


 上手に伝えられるだろうか。自分の気持ちを表すのは苦手だ。でも、ちゃんと目を見て言いたい。緊張する。いつ言えばいいのだろう。杉野館にいる間は、仕事中だからダメだ。


 次の休日なら……。


 今週末も、陽汰は荷物持ちをしてくれる予定になっている。そのときに伝えよう。決意したものの、週末が近づいてくると不安になってきた。


 当日ともなると、気持ちを伝える勇気がすっかりしぼんでしまっていた。


 もしかしたら、陽汰の気持ちが変わっているのではないか。もう千影のことなど何とも思っていないかもしれない。


 ……でも、休日の買い出しに付き合ってくれているし。不安と期待で息苦しい。緊張しながら陽汰と宮川沿いを歩く。

 

 大勢の観光客をかき分けるようにして、なんとか馴染みの店にたどり着いた。


「相変わらず若夫婦さんやねぇ」


 店主の冗談を、以前のように受け流すことができない。


「い、いえ。あ、あの……」


 挙動不審な態度を見せる千影の代わりに、陽汰が店主とやりとりして購入してくれた。


 蕗の薹、タケノコ、青梗菜、セリ、アスパラガス。早春が旬の野菜たちが番重いっぱいに並べられている。今日はタケノコと青梗菜を目当てに来た。


 貫井から「担々麺が食べたい」とリクエストがあったのだ。担々麺に青梗菜は欠かせない。タケノコは細かく刻んで、肉味噌のかさ増しに利用しようと思っている。


 あとは、タケノコの土佐煮。多めにこしらえて、天ぷらにリメイクする算段もある。濃い下味が沁み込んだタケノコの天ぷらは絶品なのだ。


「千影ちゃんは、26歳になったとは思えないくらい子供みたいだねぇ」


 本当に小さな子供に言うみたいに笑って、店主はおまけの野菜を千影に持たせてくれる。小柄で童顔だから、彼女には幼く見えるのだろう。なんとなく去年の今頃も、同じようなやり取りをした記憶がある。


 つい先日、千影は誕生日を迎えた。二月が千影の誕生月だ。大阪に行ってバタバタしているうちにすっかり自分の誕生日を忘れていた。


 陽汰のおかげで、予定通りの買物が出来てほっとする。


「朝市に来るたびに思うんですけど、みだらしだんごって良い匂いですよね。食欲をダイレクトに刺激してくる感じで」


 にこにこと笑う陽汰を見上げる。


「そ、そうですね……」


 正直なところ、千影は今、みだらしだんごどころではない。心臓が激しく脈を打ち過ぎて、食欲は完全にゼロだった。ひとを好きになると食欲が無くなるらしい。あんなに食いしん坊だったのに驚きだ。


 食材が入ったエコバックを抱えて、宮川沿いを歩く。ふいに上を見ると、桜のつぼみを発見した。


「あ、桜……」


 千影の視線の先にある小さなつぼみが、陽汰にも分かったのだろう。


「ほんとだ。ありますね」


「そういば、結野さんなんですけど。お花見、来れるか微妙らしいです」


 締め切りに追われる日々らしい。最近は、オンラインで繋ぐ時間も短くなった。


「……結野さんと、仲良いですね」


「先生と生徒みたいな関係です」


「えっと、どっちが先生……? というか、何を教えてるんですか?」


「料理ですよ」


 それ以外に何があるというのだ。千影が即答すると、幾分ほっとした表情になった。


「でも、仲が良いのは間違いないですよね」


 神妙な顔で陽汰が見下ろしてくる。


 もしかして。これは、まさか、嫉妬というやつだろうか。心臓がまたしても尋常ではないスピードでどくどくと主張を始めた。


 今しかない!!


「そっ、そういう風に思う必要ないですから」


 嫉妬する必要はない。誤解だ、ということを伝えたかったのだけど、初めの「そ」で思いっきり噛んでしまった。


「……すみません、嫉妬する資格もないのに変なことを言って」


 背中を向けて歩き出す陽汰に、慌てて「違います!」と叫んだ。


「結野さんは友人です! でも、先生と生徒というほうがしっくりくるなと私が勝手に思っているだけで。し、しっと、とか、そういうのは必要なくて。あの、でも、陽汰さんが嫉妬してくれるのはうれしいです……」


 全然きちんと言えなかった気がする。一気にまくしたてたせいで、千影の呼吸はぜぇぜぇと荒い。


「それって……返事ですか?」


 信じられないような表情で、陽汰が千影を見る。


 千影は力いっぱい頷いた。何度も、何度も。呼吸が苦しくて、もう何もしゃべれない。


 陽汰が近づいてくる。そして、思いっきり抱きすくめられた。近くで見るよりもずっと、陽汰の体は大きいのだと知った。ぎゅうぎゅうと腕に力を込められる。


 自分も抱き返したいけれど、エコバックで両腕がふさがっているから出来ない。それなのに、陽汰はエコバックを抱えたまま千影の体にも腕をまわしている。自分とは何もかもが違うのだなと、たくましい腕のなかで思った。

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