初めての味
前回と同じように、弓削を談話室に案内した。
それから作業場に戻って鍋に火を入れる。温まったら器に盛り、準備しておいた柚子の皮を添える。出汁と柚子のおいしい湯気がふんわりと立った。
敵陣である貫井と陽汰は、弓削がやって来てから不機嫌な表情のままだ。千影は彼らを避けるように、すばやく二人分の器をのせた盆を手に談話室に向かった。
向かい合って座る二人は、対照的な様子だった。結野は膨れっ面をしている。反対に、弓削はにこにことしながら一生懸命にプレゼンをしていた。
「京都は、とても良いところですよ。観光地が至るところにあって」
愛想よく地元京都をアピールする姿は、敏腕編集者というより営業マンのようだった。
「飛騨高山もいいところです。その証拠に、今日も観光客が大勢いました。酒蔵とか宮川朝市とか、観光スポットもたくさんあるし、食べ歩きグルメも豊富です」
拗ねた声で結野が反論する。
「結野くんは創作に行き詰ると、よく散歩をしているでしょう。京都には歴史的建造物が多いですから、散歩コースには困りません」
「散歩というか、俺の場合は『宮川沿いを歩く』と頭の中がクリアになるので、休日はよく歩いています。そもそも今暮らしているのが歴史的町屋建築なので、特に歴史的建造物に惹かれる気持ちはありません」
外から眺めるだけの歴史的建造物より、実際に住める歴史的町屋建築のほうが強い気がする。明らかに弓削の旗色が悪い。千影は器を置いて部屋を出ようとしたのだけど、結野に阻まれた。
「千影ちゃんが弓削さんと繋がってるとは思わなかった」
連絡を取っていたのは事実なので、気まずさを感じる。
「すみません」
「千影ちゃんには怒ってないけど。もしかして、千影ちゃんが言ってた『行き過ぎてる』って、こういうこと?」
「まぁ、そうです。将来、束縛系になる可能性は否めないかと……」
「片鱗見えてるよね。やっぱり止めたほうがいい気がしてきた」
オーバーな仕草で、結野が自分の体を両腕でぎゅっと抱き締める。それを見た弓削が、慌てて言い募る。
「食べましょう! せっかく千影さんが作ってくださったんですから! 冷めないうちにいただきましょう」
露骨に話の流れをかえようとする弓削に、しぶしぶ結野も従う。
「……いただきます」
「これってもしかして京野菜ですか?」
「そうです。聖護院かぶです」
結野が少し驚いた顔で、器の中をじっと見ている。
「優しい味ですね。昔……それこそ地元にいた頃にはよく口にしていました。色々と思い出しますね」
しみじみと言いながら、そっとかぶを箸で口に運ぶ。
「美味しいですか?」
ゆっくりと咀嚼する弓削に、結野が問いかける。
「ええ」
「懐かしい?」
「そうですね」
結野が箸を置いた。悲しそうに、ふっと微笑む。
「俺は、そういう気持ちが分からないんです。皆の言う、懐かしいとか、ほっとするとか。何を食べてもそんな風に感じることはない。そういう人間ですよ、俺は」
故郷を持たないということが、彼にとっては引け目なのだ。
「俺には大切な場所がない……」
「これから作っていけばいいんじゃないですか?」
弓削が、何でもないことのように言う。
「二人で暮らしたら、どこでも思い出の場所になりますよ」
結野の肩が震えた。ぎゅっと胸を押さえる。しばらくして顔を上げると、どこかふっきれたような顔で弓削を正面から見た。
「どこでも? さっきまで、めちゃくちゃ京都を推してませんでした?」
「もちろん、一番のおすすめです。何といっても野菜が美味しいです。京野菜は何種類もあるんですよ。
弓削は指を折りながら数えていく。
「僕の好みだと、壬生菜のからし和えとか、加茂なすは田楽にするのが美味しいです。お酒にも合いますよ」
「……今まで作ってもらってばかりだったけど、これからは自分でこしらえないといけませんね。千影ちゃんみたいに、美味しくできる気がしないけど」
弓削の表情がパッと明るくなる。うれしさが溢れんばかりの満面の笑みだ。
「大丈夫です。僕は一人暮らしが長いので、作れますよ。千影さんの腕には劣ると思いますけどね」
満面の笑みのまま、最後にちくりと千影を牽制する。
「結野さんの胃袋を掴んでしまって申し訳ないです。これからは、どうぞ弓削さんが頑張って美味しいものを作ってあげてくださいね!」
嫌味を言ってしまったけど、これくらいは許されるだろう。連絡を取り合うなかで、これはマウントでは? と思うくらい「自分は結野を知っている」アピールをしていた弓削だった。
「もちろんです」
力強く弓削が宣言する。
「いや……、俺も作るから。こういうのって当番制になるのかな? 一緒に暮らしているひとたちってどうしてるんだろう」
結野が苦笑いする。それから、まるで生まれ変わったような清々しい顔で、無表情で挑発するまかない係VS満面の笑みマウント男の小競り合い行方を見守っていた。
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