秋の朝市

 夏から秋に向かう季節。飛騨高山の酒蔵が立ち並ぶエリアは、観光客の姿がいつにも増して多くなる。目当ては「ひやおろし」だ。


 秋を告げる日本酒とも呼ばれる、ひやおろし。搾りたての新酒を蔵の中で夏のあいだ熟成させることで、香りや味わいに深みが出るのだ。


 杉野館の住人たちも、各々でお気に入りのひやおろしを手に入れているらしい。今日の夕食は酒の肴にもなって、尚且つ秋を感じるような献立にしたい。


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【今日の夕食】


・ごはん(白米)

・かつおのたたき ~香味野菜添え~

・たっぷり明太子の出汁巻き

・ほくほく揚げ里芋の甘辛和え

・きのこづくしの味噌汁


※ごはんと味噌汁はおかわり自由です

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 かつおは戻り鰹、秋の味覚のきのこと里芋。甘辛い味付けにすることで酒の肴になるだろうし、何と言っても明太子の出汁巻きはおつまみにもおかずにもなる万能な一品だ。


 無事に夕食のメニューが決まったところで、千影は割烹後をすっぽりと脱いだ。食材を仕入れるために、出かける準備をする。


 すっかり涼しくなった空気に、秋の気配を感じた。ひと仕事を終えた午前中、千影はいつものように宮川朝市に向かった。


 町屋建築が連なる通りを過ぎ、小路を抜ける。見慣れた風景だけど、今日は少しだけ違う。ちらりと横を見ると、すらりと背の高い人物が視界に入った。


 陽汰が千影の隣を歩いている。


 今日は一緒に買物をする予定なのだ。なぜこのような状況になったのかというと、それは彼の不器用さに理由がある。


 野菜の皮むきが苦手だった陽汰は、それ以降も上達する兆しを見せなかった。ひとには向き不向きがあるらしい。


 ぷるぷると震える手でピーラーを持つ陽汰は、一生懸命だし応援したくなる子供みたいだし、いつまでも見守っていたい感じがした。


 けれども、あまり頻繁に手伝わせるのは申し訳ない。もう十分に手伝ってもらったのだし、そろそろ……と「手伝い係」の卒業を促してみた。


 気を利かせたつもりの千影だったけれど、陽汰はどういうわけか首を横に振った。妙に意固地になって「まだまだ出来ますから」と言った。


 皮むきが思うように出来なかったことが、よほど悔しかったのだろうか。ピーラーを使いこなせないくらいの料理苦手人間に、包丁を握らせるわけにもいかない。


 陽汰にも出来そうな、何か良い手伝いはないだろうか。考えていたところで思いついたのが、買物に同行してもらうことだった。


 杉野館で暮らすのは男性社員ばかり。それも若手なので基本は食欲旺盛。必然的に食材は大量になる。


 荷物を持ってもらえたらうれしいです、とお願いすると、かなり前のめりで「やります!」と陽汰は返事をしてくれた。


 そうして、今日。初めて陽汰と一緒に朝市に行くことになった。


「せっかくのお休みなのに、すみません」


「何言ってるんですか。代休だから手伝えますって声をかけたの、俺のほうですよ」


 千影がぺこりと頭を下げると、陽汰はニコリと爽やかな笑顔を見せる。


 陽汰は、かなり整った顔立ちをしている。目と鼻と口、それぞれのパーツが美しい。そして配置が完璧なのだ。笑うとその完璧さがわずかに崩れて、愛嬌が加わる。うらやましいくらいに見目麗しいひとだな、と今さら千影は思う。


「陽汰さんって、義理堅いんですね」


 こんなに外見が良いのに、陽汰は義理堅い性分をしている。貴重な休日を投げうってまで、千影の手伝い係を全うしようとしているのだ。


「……自分のためですから」


 千影を見て、それから視線を逸らした陽汰が拗ねたようにつぶやく。


 自分のためというのは、どういう意味だろう。朝市で買物をする予定でもあったのだろうか。そんなことを考えていたら、ずらりと並ぶ白いテントが見えてきた。


 今日も宮川朝市は、観光客で賑わっている。


 朝市は初体験らしい陽汰が、店先に並んだ野菜や果物を物珍しそうに見ている。しばらく歩くと、急にきょろきょろと視線を動かし始めた。


「なんかすごく良い匂いがしませんか?」


 陽汰はくんくんしながら、良い匂いの元を探している。おいしい匂いの正体はきっと、あれだ。


「醤油が焦げるような、香ばしい……あ、みたらし団子がありますよ!」


 陽汰がうれしそうに指をさす先には千影の予想した通り、みたらし団子の店があった。


 ちなみに飛騨高山では、みたらしではなく「みだらし」と濁って呼ばれる。一般的なみたらし団子は、甘くてとろっとしたタレがかかっているけれど、ここでは少し違う。甘くない醤油だれを団子の表面につけて、香ばしく焼くのが飛騨高山スタイルなのだ。


 少し焦げ目のついた醤油の香ばしさが漂ってくる。口の中からよだれがあふれそうになった。


「食べて行きましょう」


 にこにこしながら、財布と取り出そうとする陽汰を千影は恨みがましい目で見上げる。


「おひとりでどうぞ」


「千影さんは食べないんですか?」


「仕事中ですから」


 食材の買い出しは、立派な業務だ。食べたいけれど、今は仕事中。なので我慢。香ばしい匂いを嗅ぎながら、ぐっと耐えていると陽汰がふきだした。


「千影さん、真面目すぎませんか?」


 くすくすと笑われ、急に頬がカッと熱を持つ。なぜだか、妙に恥ずかしい。


「真面目のどこが悪いんですか」


 むすっとしながら答える。


「真面目なのは、すごく良いことだと思いますけど。なんか時々、その真面目さが面白いというか……」


 真面目が面白いとはどういう意味だろう。よく分からないけど、悪いようには捉えられていないらしいので、まぁいいかと納得する。


 陽汰の隣にいると、彼との身長差を思い知る。すらりとした高身長を羨ましく感じて、じっとりとした視線で陽汰を見上げた。

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