おむすび

 小ぶりの三角おむすびを配膳台に置いた。連絡用のSNSで陽汰あてにメッセージを入れる。


『夕食の余りで作ったおむすびがあります。よかったらどうぞ』


 あえて「余り」という文言を入れたのは、夕食は不要と連絡をくれた陽汰に気を使わせないためだった。わざわざ材料を準備してこしらえたわけではなく、残っていたから作っただけ。その程度に思ってもらえたら良い。


 翌朝、スマートフォンのアラームで目を覚ました千影は、陽汰からメッセージが届いていることに気づいた。


 ごしごしと眠い目をこすりながら、SNSを確認する。


『千影さんありがとう! 美味しかった~!』


 短い文章だけれど、何となく元気な陽汰の姿が想像できる。千影はうれしくなって、勢いよくベッドから出た。ぐいぐいと体を伸ばし、軽く体操をする。そうするとしゃっきりと目が覚めるのだ。


 出勤して朝食の準備をしていると、陽汰が一番に起きてきた。

 

「おはようございます。あの、昨日は遅くまでお疲れさまでした」


「ありがとう。ちょっと大変なことになって……。貫井さんと結野さんから聞いてる?」


「……はい」


「しばらくは、残業続きになると思う。何時に帰れるか分からないから、俺の分の夕食はなしでいいです」


 ネクタイをきっちりと結びながら、陽汰が言う。


 今にも出勤しようとする陽汰に、千影は慌ててお弁当を手渡す。


「あの、よかったら今日もおむすび作っていいですか」


「うれしいけど、俺の分だけ作るの面倒じゃない? 仕事を増やすみたいで申し訳ないんだけど……」


「おかずとごはんが余ったら、なので……。それに、手間はかからないです。握るのは一瞬です」


 両手でそれぞれ山を作り、ぎゅっぎゅっとおむすびを握る仕草をする。一瞬で握れるので手間はかからない、という事実を伝えたかったのだけど、無表情でぎゅっぎゅっとする千影の姿が面白かったのだろう。陽汰は一瞬だけきょとんとしたあと、豪快にふき出した。


 おむすびを握る素振りをしただけなのになぁ……と、無表情のまま千影は思う。


「あー、なんか元気出たなぁ」


 笑い過ぎて、陽汰は涙目になっている。


 おむすびを握る姿を見るだけで元気が出るなんて、陽汰は変わっている。貫井が言っていた「ズレてるんだあいつは」という言葉を思い出して、今さら納得する。


「今日の夕食はエビチリなので、エビチリおむすびになる予定です。天むすに近いイメージです」


 そう言いながら、千影はぎゅっぎゅっと両手で握る動作を試みる。もちろん無表情で。無表情が千影の平常運転なので仕方がない。


 それを見た陽汰は、またしても笑い出した。腹を抱えながら「いってきます」と言って、出勤していった。


 夕食の献立は、陽汰に宣言した通りエビチリだ。


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【今日の夕食】


・ごはん(白米)

・ふんわり卵のエビチリ

・ミニトマトのマリネ

・きゅうりの味噌マヨディップ

・肉団子が入ったわかめともやしの中華スープ


※ごはんとスープはおかわり自由です

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 ふっくら卵を入れてボリュームアップしたエビチリは、マイルドな辛味が食欲をそそる。調味料を合わせて、ふっくら卵とささっと炒めると、今日のメインの完成だ。


 そのエビチリのエビをごはんで握る。エビは薄く衣をつけて揚げているので、天むすのイメージに近い。三角おむすびのかたちに整えながら、エビが頂上で顔を出すようにする。


 あとは海苔を巻くだけ。天むす風エビチリおむすびの出来上がり。


 そんな風にして、千影は毎日せっせとおむすびをこしらえた。


 牛肉の甘辛炒めがメインの日は、コーンを足してバター風味のおむすびにした。ベーコン入りピラフの日は、にんにくが強めのアレンジを施して、ガーリックライス風おむすびに。炊き込みご飯の日は、鶏五目おむすび。ごはんしか残らなかった日は、棚の奥に転がっていたツナ缶でツナマヨおむすびを作った。


 陽汰が所属する企画広報部には、他の部署から臨時で社員が配置されたらしい。


 補填された社員たちでなんとか急場を凌いでいると、陽汰からのメッセージで知った。相変わらず、彼は連日遅くまで働いている。


 夏の盛りになっても状況は変わらなかったけれど、しばらくすると帰宅時間が早くなった。途中入社してきた社員たちも仕事に慣れはじめたようだった。


 結局、女性上司は退職したらしい。


「当然だろう。パワハラをしてたわけだから」


 夕食のガパオライスを食べながら、貫井がぴしゃりと言う。


「パワハラがダメなのは当然だけど。寮を作ったり副業を認めたり、会社としては社員たちの労働環境を良くしようとしてるわけだからね……。会社の思惑と正反対のことを責任者がしちゃったんだから、そうなるのも仕方ないよ」


 結野の口ぶりからすると、促されての退職だったのだろう。


「これからは企画広報部の社員も気持ち良く働けるだろうし、陽汰もほぼほぼ残業はなしで帰れるようになったし、ひと安心だね」


「あいつ、もうすぐ退勤できるみたいだな」


 貫井がスマートフォンを確認している。陽汰から連絡があったのだろう。

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