待宵
週末、貫井はさっそく美容室『待宵』へ行ったらしい。
かなりすっきりとしたヘアスタイルになっていた。心なしか表情も明るい。昇進したせいで仕事を抱え込み、疲れた顔が平常運転だったのが嘘みたいだ。
ヘアスタイルが軽やかになると、心まで軽くなるのだろうか。
そう思ったのは千影だけではなかったらしい。朝、食堂に姿を見せた陽汰も「雰囲気かわりましたね」と貫井に声をかけている。
「似合う髪型になったからな。断然、男前になっただろう」
手鏡で確認しながら、貫井が短い襟足をさらりと撫でた。CMか何かの撮影でもしているのかと思うような仕草を見せる。かなり大げさなポージングだ。
「……う、うん。そうですね」
めずらしく、陽太がドン引きする側になっている。
千影は朝食のサンドイッチをカットしながら、ポージングする貫井の様子をちらりと盗み見る。
「顔型によって似合うスタイルってあるらしいんだが、あのひとはそれが瞬時に分かるらしくてな。彼女のいう通り、思い切って流行のスタイルにしてみたんだ」
貫井の新しいヘアスタイルは、マッシュヘアというらしい。丸みのある形状が特徴的だ。
「細部に至るまで相談して決めたんだ。話も弾んで楽しかったよ」
かなり新しい髪型が気に入っているようだ。にこにこしながら、貫井は頭頂部やら襟足やらを弄んでいる。
「貫井さんって、そんなに髪型にこだわるひとでした? というか、めちゃくちゃしゃべってるじゃないですか美容師さんと。話すのが嫌で美容院に行きたくないって、あんなに駄々こねてたのに」
千影も同じことを思っていた。陽汰がツッコんでくれたおかげでスッキリした。
「俺は、分かったんだ。気づいたんだよ。話しかけられるのが嫌なんじゃない。客がどんな仕事をしているのか遠慮なく知ろうとしたり、休日の予定を根掘り葉掘り聞いたりする美容師が苦手だったんだ」
「根掘り葉掘りって……美容師さんだって、コミュケーションを取ろうと頑張ってくれてるんですよ」
「小夜さんには、気遣いがあった!!」
急に貫井が大きな声を出した。声を張る必要のない近距離で陽汰としゃべっているのにもかかわらずだ。驚いて、千影は洗っていたミニトマトを落としそうになった。
「さよさん? 誰ですか?」
陽汰が怪訝な顔をする。
「美容師だよ。『待宵』の店主で、美容師の小夜さん」
「名前まで聞いてるし」
苦笑いしながら、陽汰が配膳台のほうへ来る。
「うわ、サンドイッチうまそーー!」
陽汰の顔がパッと明るくなる。
千影は洋皿にサンドイッチを乗せた。空いたスペースにミニトマトのバジル和えと、ヨーグルトの入った硝子製の器を置く。
「いただきます」
陽汰がニコニコしながら、洋皿を受け取って自分の席に着く。
今朝のメニューはサンドイッチ。カリカリに焼いたベーコンがおいしい贅沢な一品だ。
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【今日の朝食】
・厚焼きたまごとカリカリベーコンのサンドイッチ
・ミニトマトのバジル和え
・ヨーグルト ~すももジャム添え~
※コーヒーor紅茶あります
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もうすっかり食べ終えた貫井は、まだまだ話が尽きないらしく『待宵』での出来事を陽汰に語っている。
「まず、声質がいい! 落ち着いてるんだ!」
「……俺は今まで、美容師の声質を気にしたことがないんですけど」
「雰囲気もいい。静かで、ゆったりしていて!!」
「店内の話ですか? 落ち着ける店で良かったですね」
「小夜さん自身のことだ!!」
若干、貫井の目が血走っている気がするのは気のせいだろうか。
「夜の海みたいなんだ……。静かで、しんとした雰囲気があって、まるで凪のような……」
「貫井さん、いつから詩人になったんですか」
興奮気味に話す貫井と、落ち着き払っている陽汰の対比がおもしろい。いつもとは真逆なので、少々違和感があるけれど。
貫井は『待宵』がそうとう気に入ったらしく、定期的に通うようになった。それもかなりの頻度で。
カットする必要もないくらいに通い詰めているので、最近ではトリートメントのみの予約だという。
「……艶めいてますね」
「うるつや髪だねぇ……」
貫井の髪を見ながら、陽汰と結野がなんともいえない顔をする。
相変わらず、貫井の『小夜さん』語りは続いている。
初めは彼女の良いところをひたすら語っていた。けれど月日が経つにつれて、貫井の主張には「彼女の気になる点」というのが混じるようになった。気になる点というのは、もう少し改善したほうが良いのでは、という貫井なりの提案というか、要はお節介だ。
「美容師なのに髪が傷んでいるというのはいただけない。何とかしたほうがいいと俺は思う」
腕組みをしながら、貫井がひとり頷いている。
「……なんか、怖い方向にいってないですか?」
「俺は彼女を分かってる感を出すの、マジでやめてください」
結野は心配そうな顔、陽汰はあきれ顔だ。
けれど、貫井が指摘する「傷んでいる」というのは、実際のところ本当の話だ。小夜の髪は決して綺麗な状態ではない。艶はなくパサパサで、ひどく傷んでいる。
初めて見たとき、実は千影も少し驚いた。美容師の髪といえば、常に手入れが行き届いているイメージがあった。
なぜ彼女の髪は傷んでいるのか。
千影は、その理由を知っている。一言でいえば、美容師としての矜持だ。
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