第3話 お義兄さん、また明日ね
『
『お母さんほんと?』
『うん、本当だよ』
頭を柔らかく撫でられる。
その手は温かくて、とても心地よい。
ふわふわと幸せな気持ちになる。
『僕いらない子じゃないの?』
母の顔に一瞬、複雑そうな顔が浮かんだがすぐに消え、
『いらない子なんかじゃない、
『嬉しい! 僕もっと、もっといい子になる!』
これは子どものころの嬉しかった思い出。
でも、母はもういない。
夢からは覚めないといけない。
――
「うぅ……んん?」
まぶたをゆっくりと開ける。
まだ視界がもやがかかったようにはっきりとはしていないが、どうやら夢から覚めたみたいだ。
「み゛っっ!!」
ガタンと大きな音がした。
「なんだ! なにが起こった?!」
ガバッと体起こして辺りを見回す。
徐々にクリアになってきた視界に、俺の服を着ている
「いたた……」
どうして寧々ちゃんがここに?
どうして俺の服を着て?
「……これは夢か?」
俺はたしかめるように顔を近づける。
大きくて綺麗な瞳、薄く上品な唇。
頬に手を添えると少しひんやりとして柔らかい。
やけにリアルな夢だな。
「お義兄さん、おはよ……」
「うん、おはよう」
はて、つい最近同じことを言われたような。
思い出そうと頭を働かす。
ええと、花嫁略奪されて、散々な目にあって、寝付けないまま朝を迎えて、
そう考えていると、添えている手の温度がこころなしか上がっていることに気づく。
あ。これは夢ではなくて……現実?
「ご、ごめん!」
自分がなにをしているのか理解した俺は慌てて手を離し、
「大丈夫、安心して? 寝ぼけてるだけって分かってるから」
「いや、本当に悪いことをした。申し訳ない」
なんてことをやってしまったんだ。
おっさんが女子高生を触るなんて、一歩間違えたら犯罪だ。
「それよりもお義兄さん、さっきのこと覚えてる?」
「さっきのこと?」
目覚める前のことか?
「お弁当を食べて、制服をどう乾かそうかと立ち上がったところまでは覚えている」
「ふ、ふうん。そこまでは覚えてたんだね」
俺の記憶に混乱がないか心配してくれているのだろう、優しい子だ。
今一度、状況確認のためにあたりを見回すと枕と掛け布団が足元にあった。
俺の視線に気づいた
「お義兄さんおっきくて運べなかったから、寝室から持ってきたの。勝手にごめんね」
「それは気にしないでいい。用意してくれただけで有り難い」
と、いうことは――
「俺は眠ってしまったのか?」
「うん、そういうこと。急に倒れたときはびっくりしたよ」
でもすぐに寝息たててたから安心したけど、と寧々ちゃんは柔らかい笑みを浮かべた。
その大人びた表情に俺はつい
「いま何時だ!?」
「ん、昼の十二時だけど?」
「その、学校は……?」
「お義兄さんを放っておけるわけないじゃん」
なに言ってるの? と言いたげな顔で、さも当然のように
「そう、だよな……本当にごめん。俺のせいで」
「だいじょうぶ。
それはそれでどうなんだ、フォローになってないように思うが。
しかし、さっきの発言で気になることがひとつある。
「いや、
「ん……」
寧々ちゃんは口もとをきゅっと締め、じっとこっちを見つめてくる。
もしかして怒らせてしまったか?
高校生相手にいい子はまずかったか、まるっきり子ども扱いだもんな。
「急に変なことを言ってごめん」
「え、なんで謝るの?」
「いい子だなんて子ども扱いしたから怒らせてしまったのかと……」
「もう、気にしすぎ。てかお義兄さんってば、さっきから謝ってばっかだね」
ふふ、と楽しそうに
なぜ笑う?
年頃の子というのは難しいな。
とんとんとテーブルの向かいを手でたたく、俺はそれに
あれ、俺の方が子ども扱いされてないか? 気のせいだろうか。
俺がそんなことを考えていたのも
「もしかしてだけど、あれから一睡もしてなかったの?」
「え。ま、まあ……」
「あんなことがあったばかりだから当然だよね……ごめんなさい」
「
「ううん、家族の誰かが悪いことをしたら身内が謝るのは当然だよ」
そうなのか。
あいにく俺は家族というものには縁遠いから、その感覚がいまいち分からない。
自分のしたことは全部自己責任だ。
「でも、どうして急に寝ちゃったんだろうね」
恐らくだが、と前置きを置いて俺は話す。
「度重なる連勤と残業、その合間を縫って式の準備。ようやくってときにああなってしまって、ずっと心が休まってない状況だったんだ」
ときおり頷いてくれるのが心地よい。
「そこであのお弁当を食べたら、とても美味しくて、心が温かくなって、そこで緊張の糸が切れてこれまでの疲労が一気にきて、寝てしまったんだと思う」
「そうなんだ。あのお弁当がそんなに……」
「あぁ、作り手の優しさが込められたような丁寧な仕事ぶりが最高だった、いままで食べなかで一番美味しかったといっても過言ではない。だから」
――ありがとう。
「俺がとても感謝していたと、お義母さんに伝えてくれると嬉しい」
「ふ、ふうん。伝えとく」
しまった、喋りすぎたか?
さっきまでまっすぐに話を聞いてくれていた
「
そういって
ほどなくして制服に着替えて出てきた。
シンクから俺が寝ていたときに洗っていたのであろうお弁当を回収し、玄関で靴を履いた彼女は振り返る。
「
「いや、嬉しいよ。ありがとう」
「良かった。じゃあ、また明日ね」
「うん、また明日」
扉から出ていくその背中を俺は見送った。
また明日? 聞き間違いじゃないよな。
あまりにも自然な言葉に俺も当たり前のように返してしまったが。
まあ、あれはただの挨拶だ。
社交辞令のようなもので深い意味はないだろう。
ふと窓の外を眺めると雨はあがり、厚い雲間からは一筋の光が差していた。
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