頁伍__凶刃
辺りを、耳に突き刺さるような静寂が支配していました。
僕は震えているのにも関わらず、窓の隙間から覗くのを止められませんでした。
……単純に恐怖で固まってしまい、目を逸らす事すらできなくなっただけかもしれませんが。
彼女はただ静かに死体を見下ろしており、傍目からはそれが立ち上がるのを待っているようでした。
「──何の警告も無しに口内に向けて発砲とは、いささか乱暴すぎやしないかね?」
静寂を破り、聞こえないはずの声が響きました。
白咲さんは飛び退く形で死体と距離を取りました。
位置は窓の方角の……丁度、僕の目の前です。
「それに、特に驚くでもないその様子──なるほど、合点が行った」
彼女の背中越しに、立てるはずのない人が、下顎から上がない状態で立ち上がっていました。
千切れた筋線維がうねり、逆回しの形で頭の形が復元していきます。
数秒も経たないうちに元に戻ると、判道さんは悪魔じみた笑みを浮かべました。
「貴様、俺の正体を知っているな?」
「ええ、その通り。だからこそ私はここに来た。……貴方を、殺すために」
異常な光景を目前にしても白咲さんは微塵も動揺を見せず、再び銃を構えました。
「貴方の正体は『
彼女の言葉を聞いた判道さんは一瞬面食らったように目を見開いた後、腹を抱えて笑い出しました。
「いやはや、妄言もここまで至れば道化の極みだな! 殺す? 万死? どれも不死たる私には既に遠き言葉! ……故に、そのまま貴様に返してやろう!!」
判道さんはそう言うと、白咲さんに襲いかかりました。
白咲さんが拳銃で彼の頭を吹き飛ばしますが、今度は倒れず動きも止まりません。
それを見た彼女は拳銃を仕舞い、屈んで足払いする事で相手を転ばせました。
そして立ち上がれないようにすぐさま胴体を踏んで動きを封じると、懐から刀の柄を取り出しました。
はい、柄だけですね。日本刀のそれよりかは細く、柄巻もない……下地そのままといった様子です。
取り出すのと同時に錬金術を発動させたのか、彼女は柄から瞬時に伸びた刀身を、判道さんの胸に深々と突き立てました。
しかし、それでもなお判道さんの体は床ごと刺し貫く刃を抜こうと藻掻いており、『不死者』という呼び名の真実性と不気味さをより一層感じさせました。
白咲さんは、両手と再生しかけている頭部も先程と同様の刀で床に刺し貫いて固定すると、一瞬だけ僕の方向に視線を向けました。
真意はどうか分かりませんが、僕にはその視線が「今のうちに逃げなさい」と──そう警告しているように思えました。
少なくとも、僕がいた事はとっくの昔に気付いていたのでしょう。
そうでなければ、命のやり取りの最中に余所見のような真似はしません。
僕に言外の警告をしたあと、白咲さんは廊下の方へと走り去りました。
判道さんの方はしばらく刀の拘束から抜けようと藻掻いていましたが、現状のままだと抜け出せないと悟ったのか、固定された両腕を自力で引き千切ってから、新たに再生した両腕で頭部と胸部の刃を引き抜きました。
千切れた方の両腕やおびただしい量の血液などはいつの間にか同量の灰に変わっており、惨劇の様子を示す証拠はどこにもありませんでした。
運が良かったのか、判道さんは僕には気付いていないようで、白咲さんが移動した事を知ると嘲りの笑みを浮かべていました。
「ふっ、あれだけの啖呵を切っておきながらおめおめと逃げたのか? 良いだろう。そんな臆病者には灸をすえてやらんとなァ!?」
まるで悪戯をした子供を追い詰めるかのように、ゆっくりと歩きながら判道さんも部屋を後にしました。
彼が消えるのを見届けた瞬間、ずっと張り詰めていた緊張の糸が一気に解け、僕はようやく止まっていた呼吸を再開しました。
まだ肌寒い頃にも関わらず全身が汗で濡れており、恐怖と寒さで体が震えました。
とても恐ろしい、現実離れした世界。
常人は関わってはいけない……関わるべきではないもの。
白咲さんと判道さんの僅かな応酬で、僕はそれを本能的に察していました。
今するべき事は、白咲さんの警告通り逃げる事だと。
分かっていたのに──何を血迷ったのか、僕は真逆の行動を取っていました。
つまり、無謀にも窓から洋館に入り込み、二人の後を追ったのです。
何か策があった訳でも、戦う術があった訳でもありません。
良くて足手まとい、最悪の場合だと人質にされかねないでしょう。
もちろん、命の補償などあるはずもありません。
では何故、僕はそんな危険な事をしたのか?
白状すると……それは、今でもよく分からないのです。
少なくとも、普段の僕なら素直に逃げていたはずなので。
あえて分析するのであれば……若さ故の無鉄砲さや、白咲さんを強盗と疑っていた事に対する後ろめたさからの贖罪。
もしくは、彼女や判道さんの正体を本当の意味で確かめるため……。
そのどれもが合っているようにも、間違っているようにも思えます。
ただ一つ言える事は、そこが僕の人生を変える決定的な一歩だったという事です。
屋敷の中を息を殺して探索していると、外観の窓の数に反して部屋がやけに少ない事に気付きました。
いつも判道さんは屋敷の中に誰も招き入れず、招いたとしても案内するのは応接間だけだったので、誰も洋館の中がどうなっているのか知りませんでした。
廊下に面する扉の数からして一つの大きな部屋があるのは確かなようで、位置的に目前にある物だろうと当たりを付けた僕は、音を立てないように少しだけ扉を開け、隙間から中を覗きました。
その部屋は二階部分を吹き抜けにしているらしく、予想以上に広く見えました。
まず、部屋の中心に立つ判道さんの後ろ姿が見えて、同時に彼の姿や影が、何故かまばらに見える事に気が付きました。
上に何か……光を遮るものがあるのではないかと、目線をそちらに向けた僕は……思い出すことさえ、おぞましいものを、見ました。
おそらく、気分の良いものではないですよ。それでも聞きますか?
……そうですか。
天井に、数多の死体がぶら下がっていたのです。
どれもこれも人の形をしているとはとても言いづらく、辛うじて残っている肉片や筋線維の切れ端で骨がぶら下がっているような有様で、悪趣味な模型か何かであってくれたら良かったのですが──僕は、いくつかの事実に気付いてしまいました。
まず一つは、頭蓋骨にへばりつく髪の毛にお下げがある死体があった事。
もう一つは、大きさから考えるに僕より幼い子が被害者であろう事。
そして──死体の総数が、十五である事。
──そう、つまり判道さんこそがかの『少女神隠し事件』の犯人であると……。
『彼女達』が、その姿をもって証明していたのです。
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