第2話 突然現れた

いつも通りの時間に学園を出て家に帰り、

本宅には寄らずに裏側にある離れへと向かう。


広大な敷地を持つアーンフェ公爵家は、

裏側は自然が残されたままの庭になっている。

道路に面した場所に本宅は建っているが、

それはあくまでも公爵家の表側。


敷地の奥には精霊王が住む庭があり、そのそばには離れが建てられている。

本宅は客人が来た時に対応するためにある形だけの屋敷。

裏側こそがアーンフェ公爵家の本体だった。


精霊の加護を受けた公爵家の直系、その者から許された場合以外は、

本宅から奥に進むことはできない。

そして、離れに住むことが許されているのは、

精霊王の加護を持つ公爵家唯一の直系エルヴィラだけだ。


本宅にはお父様と愛人、異母妹が住んでいるが、

ほとんど顔をあわせることはない。

異母妹のブランカも学園に通っているが、一緒の馬車に乗ることはない。

避けられているのか、学園で見かけることもなかった。


同じ敷地内にいるとはいえ家族ではない。

関わらなくても問題はないが、少しだけ不思議ではある。

なぜなら数年前までのブランカは、

しつこいくらいに私に関わってこようとしていたからだ。


「お姉様はどうして本宅に住まないの?」

「いつも一人でかわいそうだわ。家族みんなで夕食を食べましょう?」

「どうしてお母様のことをお母様と呼ばないの?」

「お姉様は私のことが嫌いだから遊んでくれないの?」


その都度、アーンフェ公爵家嫡子の自分とブランカは立場が違うこと、

公爵家を継ぐための勉強が忙しいと説明していたのだが、

まだ幼かったブランカには理解できないようだった。





離れでの生活は煩わしいことがなくて気が楽だ。

用事がなければ離れには誰も来ない。

刺繍の絵柄を決めて、針に糸を通す。

ひと針ひと針、丁寧に刺していく。

いつもなら心が落ち着いていくのだが、今日はいつまでも落ち着かない。

アロルドのことが頭から離れなかった。


ふとドアが開く音がした。

誰が離れに入って来たのだろう。侍女のカミラだろうか?

でも、紅茶はさっき淹れてくれたばかりだし、お茶菓子はいらないと言ってある。

刺繍をしている時間はいつもなら邪魔しないでくれるのに。

緊急の用事?何か王宮から呼び出しでも来たのだろうか?

カミラにしてはめずらしいと思って声をかけた。


「カミラ、どうかしたの?」


ソファに座ったまま振り向いたら、そこにいたのはありえない人物だった。


「…は?」


驚きのあまり手が当たって、テーブルに置かれていたティーカップが倒れる。

一口だけ飲んで置いてあった紅茶がこぼれてしまったが、それどころではない。


「エルヴィラ、頼む、落ち着いてくれ」


「あ?え?な、なんでアロルドがここにいるの?」


そこにいたのは一週間前から行方不明になっているはずの、

幼馴染の公爵令息アロルドだった。


自宅で急に姿が消え、どこを探しても見つからないと、

ようやく行方を探すように騎士団に要請したばかりだという。


その…アロルドが、アーンフェ公爵家の離れにいるのはなぜ?

しかも、ここは私の部屋で、侍女もいない部屋に入ってくるのはかなりまずい。

悲鳴を上げて騒ぎにしたら既成事実になってしまう。

第三王子の婚約者の私とそんなことになれば、アロルドの処罰は免れない。


焦っている私にアロルドは落ち着くように繰り返す。

これが落ち着いていられる状況だと思っているんだろうか。

幼い頃はふざけていたずらし合うこともあったけれど、これはいたずらで済まない。


「後で事情は説明する。

 だけど、一つだけ先に言わせて」


「…なに?」


「どうやら俺の姿が見えるのは君だけらしい」


「……は?」


「呪いをかけられたようなんだ。

 だから、誰にも俺の姿は見えないし、声も聞こえていない」


「嘘でしょう?」


こんな長身で目立つ容姿のアロルドが人から見えない?

…え?本当に?嘘をつくような人じゃないのはわかるけれど、信じられない。

私が疑いの目を向けたのがわかったのか、アロンドが目を伏せた。

いつもならキラキラしている緑目は光を失ったかのように暗い。


「嘘だったら良かったんだけどな…」


「アロルド…」


どうしたらいいのかと思っていると、部屋のドアがノックされる。


「エルヴィラ様、カミラです」


「あ…」


慌てたように部屋に入ってきたのはカミラだった。


「カ、カミラ。あ、あのね?」


「大きな音がしたようですが、どうかしましたか?

 あぁ、ティーカップを倒したのですね。お怪我はありませんか?

 すぐに片づけさせますね」


「え。あ、うん。お願い」


私がさっき倒したティーカップがそのままになっているのに気がついて、

もう一人の侍女ベティを呼んで片付けてくれる。

片付け終わると、もう一度紅茶を淹れるか聞かれたが断った。


カミラとベティは一礼すると何事も無かったかのように部屋から出て行く。

……部屋の真ん中に立っているアロルドには気が付かずに。



「…本当だったのね。アロルドが見えないって」


「誰も俺に気が付かなかっただろう?」


「ええ、真実だってことは理解したわ。

 とりあえず、座って?

 何があったのか、事情を説明してくれる?」



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