第2話 田舎農家のオッサン、拡散される
「ん、寝てしまっていたか……」
誰にともなく独り呟き、岩の上に腰掛けていたゴーシュは眠い目を擦る。
「ふぅ……。あれからもう半年か……」
王都グラハムでの出来事――《炎天の大蛇》を追い出されることになった時のことを夢に見ていたようだ。
まどろみを払ったゴーシュの目の前には広大な風景が広がっている。
遠く離れた山の麓まで広がる大地と、その大地いっぱいに広がる農作物の数々。
それらはゴーシュが丹念を込めて育てた野菜や穀物だった。
「今日は良い陽気だなぁ。お前たち、いっぱい光を浴びて元気に育つんだぞ」
ゴーシュが今いる場所は王都グラハムから遠く離れた辺境の土地「モスリフ」の外れ。
自然豊かなこの土地で田畑を耕し、ゴーシュは新たな生活を送っていた。
「――さて、今日もやっていこうかな」
ゴーシュが何事かを念じると、目の前に半透明の絵が映し出される。
眼前に映し出された
咳払いを一つ。そしてゴーシュはその日の「配信」を始める。
「どうも皆さん、こんにちは。それでは今日も俺の育てている作物を紹介していきます」
ピロンと無機質な音が響き、ゴーシュの目の前に広がる映像に【ニャオチンさんが入室しました】との文字列が表示された。
「お、ニャオチンさんこんにちは。今日もこんなオッサンの配信を見に来てくれてありがとうな」
【こんにちはー♪】
ゴーシュが始めた配信に応じて新たな文字が表示され、手を挙げている猫の絵が浮かんでいた。
――半年前、ゴーシュは《炎天の大蛇》のギルド長アセルスにより突然の解雇を命じられた。
ただ解雇となっただけではない。
ギルドの中で不正を働いていたなどという濡れ衣を着せられ、あげくそれを配信のネタにされて……。
世の移り変わりも早く、人々の興味も次から次に移るこの世界では、幸いにもゴーシュの汚名が広がるようなことはなかったが、通常であれば苦い記憶として残ってもおかしくはない。
けれど、ゴーシュは前を向こうと思った。
そして両親が
「ほら見て、これが『あまあまトマト』。赤くて綺麗でしょう? ここにはね、元々『にがにがトマト』だった種を植えてたんだけど、近くにある洞窟で採れた石を肥料にしてやったらすっごく甘くなったんだよ。どれ、一口
【おおー、美味しそうですね!】
自分の発した言葉に返ってきた感想を見て、ゴーシュは思わず照れた顔になる。
しかしすぐさま、表示されていたある数字が目に映り、ゴーシュは心の中で溜息をついた。
【同時接続数:4】
「……」
同時接続数とは、今ゴーシュが行っている配信を視聴している人の数。
つまり今世界中にいる人間の内、ゴーシュの動画を見てくれている人間はたったの四人しかいないことを表していた。
【なんだよ。オススメ配信の欄にで出てきたから覗いてみたけど、田舎のオッサンが農作やってるだけの動画じゃねえか。ツマンネ】
【同時接続数:3】
(ふぅ……)
続けて表示された情報にゴーシュの憂鬱度は更に増す。
モスリフの地に来てから自分で配信を始めてみたものの、ずっとこんな感じだった。
今のゴーシュを評するなら「田舎の底辺配信者」という言葉が適切だろう。
――それでも、ゴーシュが愚直に動画配信を行っているのには二つのワケがある。
一つは感謝。
王都の大手ギルドを解雇された傷心の自分に安らぎを与えてくれたこの土地。そして穏やかながらも充実した日々を与えてくれた両親に、元気な姿で報いたいと思ったのだ。
そしてもう一つは、かつて自分に動画配信の素晴らしさを教えてくれた人物のようになりたいという憧れからだった。
(もっと『あの人』に近づくためにも頑張らないとな)
そんな風に自分を奮起させるゴーシュの目の前に、ある人物からのコメントが表示される。
【私は良いと思いますよ! 農家の皆さんのおかげで美味しいお野菜が食べられているわけですし。ゴーシュさんの配信には毎回癒やされています!】
「おおぅ……」
数少ないリスナーの一人、「ニャオチン」による書き込みを見て、ゴーシュは思わず目頭が熱くなるのを感じた。
「あ、ありがとうな、いつも見に来てくれて。ニャオチンさんには本当に励まされてるよ」
【いえいえ! 私が見たくて来ているだけですから。でも、喜んでいただけて嬉しいです!】
純粋なコメントに胸を打たれ、ゴーシュはうずくまる。
相手の顔は見えず、歳や性別も分からない。当然会ったことだってない。
それでもゴーシュは、自分の拙い配信を見てくれている人がいることに感動していた。
(あぁ、《炎天の大蛇》を解雇された時は色々あったけど、心優しい人も世の中にはいるんだなぁ)
リスナーの一人である「ニャオチン」の書き込みをデレデレと眺めながら、ゴーシュは改めて配信を続けていこうと決意した。
――ピロン。
「ん?」
無機質な音に反応して顔を上げたところ、ゴーシュの目の前に鐘の絵が表示される。
何かと思ったが、いつものフェアリー・チューブからの通知だった。
ゴーシュは「ちょっと待っててくださいねー」と告げて、念の為通知の内容を開いてみる。
「えーと、なになに? 『配信の切り忘れによるトラブルが多発しています。配信者の皆様は配信を終える際に注意しましょう』か……。」
どうやら、微精霊を介した交信を解除し忘れ、意図せずプライベートなシーンが流れるなどの事態が発生しているらしい。
「そっか、気を付けないとな。と言っても、俺みたいなオッサンの動画を見ている人は少ないから気にするまでもないだろうけど。ハハハ……」
と、その時――。
ゴーシュのいる辺り一帯が激しく揺れる。
見ると、遠くの方に巨大な魔物が出現していた。
「あっ! またあのデカい赤トカゲ!」
ゴーシュが叫んで立ち上がると、視線の先で赤い爬虫類系の魔物が暴れまわっている。
ゴーシュにとって、それは珍しいことではない。
珍しいことではないが、自分の田畑が魔物に荒らされるというのは、農家を営む人間にとって見過ごせない問題である。
ゴーシュはその光景を目にし、傍に立てかけてあった魔物駆除用の大剣を抱えて走り出した。
「こぉらああああ! 俺の大事な作物を荒らすんじゃなぁあああい!」
ゴーシュは赤い魔物に向けて疾駆する。
その一方で、ゴーシュの動画欄には慌てふためくリスナーのコメントが流れ始めた。
【お、おい。あれってフレイムドラゴンじゃねえか?】
【マジ? 最近になって冒険者教会が危険度A級に指定したっていうあの新種の魔物?】
【おいおい。これ、マズいんじゃね?】
【ああ。農家のオッサンなんかが太刀打ちできる魔物じゃねえ。専門の討伐隊を組むレベルだ】
そんな書き込みが流れているとは露知らず、ゴーシュは自分の作物を荒らす魔物を駆除しようと近づいていった。
【ゴーシュさん……!】
そして――。
「どぉりゃあああ!」
疾駆した勢いそのままに、ゴーシュは身の丈ほどもある大剣を振り回す。
赤い魔物の胴体に向けて一太刀を浴びせ――。
――ギャァアアアアアアス!!
その攻撃が放たれた後には、赤い魔物の断末魔が響き渡る。
ゴーシュの振るった大剣の勢いは凄まじく、巨大な赤い魔物をただ一撃のもとに屠ってみせた。
「ふぅ。……って、あっちにも出たな。最近多いなぁ、この赤トカゲの魔物。王都にいる時は見たこともなかったけど、新種かな?」
ゴーシュが別の場所に出現した赤い魔物を見やる。
今度は三匹だ。
「野放しにしておくとせっかく植えた作物を荒らされちゃうからな。やれやれ……」
ゴーシュは小さく嘆息した後、また駆け出していく。
そうして大剣を振るい、次々に巨大な魔物を殲滅していったのだが、ゴーシュは大切なことを失念していた。
【オッサンすげぇ!】
【フレイムドラゴンを一撃!? うわ、また倒した!?】
【ゴーシュさん、さすがです! カッコいい!】
【おいおい、とんでもねえぞこのオッサン】
【俺、友達に知らせてくるわ】
【俺も】
交信状態のままになっていた微精霊は、ゴーシュが次々に現れる赤い魔物を撃退する様子を映し続けていた。
【初見ですー】
【面白いものが見れると聞いてきました】
【って、ハァッ!? あれ、フレイムドラゴンじゃねえか!?】
【おいおい、何だこれ。オッサンがフレイムドラゴン屠ってるやんけ】
【これ配信ジャンルが農耕動画なんですが、間違ってませんの?】
【俺、この前フレイムドラゴンと遭遇して逃げ帰ってきたんですが……】
【そうか、ああやって一撃で倒せば良かったんだな。……ってできるかい!】
【これは何事?】
【動きが只者じゃない】
【もっと拡散されるべきだろ、これw】
いつしかコメント欄は盛況となり、人が人を呼んでいく。
そして、一時間ほどが経過した頃にはとんでもないことが起きていた――。
【同時接続数:17,190】
***
「うわ、マズい。配信繋ぎっ放しだった」
田畑を荒らす魔物を駆除し終えた後で、ゴーシュは微精霊との交信を切り忘れていたことに気付く。
「すみません、配信切り忘れてました! って、まだ見ている人なんていないか。えーと、とにかく、終わります! 失礼しますっ!」
ゴーシュは矢継ぎ早に言葉を投げかけて配信を終了する。
配信を切り忘れたという一念が頭を埋め尽くしていたため、同接数の確認をすることもなく、フェアリー・チューブの画面も閉じてしまった。
「あ、馬鹿だな俺。同接数をチェックすれば見てる人がいたかも分かっただろうに、慌てて切っちゃったよ。……まあ良いか。疲れたし、確認はまた今度にしよう」
独りごちて、ゴーシュは籠にいくつかの野菜を取り込む。
辺境のモスリフ村で自給自足生活を送っているゴーシュにとっては、自分の育てた作物で食事をするのが一番の楽しみなのである。
まだ収穫の時期には少し早いが、夕食でつまみ食いとしゃれ込もう。そんなことを考えながら呑気に鼻歌を歌い、ゴーシュは自分の家へと向かうことにした。
先程切り忘れた配信動画が、世界中で話題になっているとは思いもせずに――。
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