第4話 秩父郡・雁坂峠越え

 荒川あらかわ沿いを進み、途中で橋を渡り、大輪おおわから山へ入るころにはもう日が暮れていた。

 この辺りのことは良くわかっているから、暗くなっても特に問題はないけれど……。

 滝の手前にある古びた庵で一晩明かすことにした。


 出やしないだろうけれど、念のために熊除けに結界を張っておく。

 火を焚いてゴロリと横になった。

 明日にはもう少し光葉山みつばやまの奥に入り、遠峯とおみねにお礼を言わなければ。


 置き去りになった鍋を手に、滝へ行って水を汲んだ。

 火にかけて湯を沸かし、カバンからみやげと一緒に買った蕎麦を出して、ゆでて食べる。

 満腹になると眠気が襲ってきて、あっという間に眠りについた。


 夜が明ける前、妙な気配で目が覚めた。

 そっと起きあがり、戸を開くと、すき間からハラリと人型の式神が落ちた。


『寄りなさい』


 それだけ書かれている。

 戻っていることがバレたか……。


「寄るわけない。無視無視。まずは遠峯と駿河するがが先だ」


 急いで支度をして火の始末をし、鍋を洗って戻す。

 庵を出てまた山道を登り、光葉山のいただき付近まで登ってきた。

 霧牙きりが火狩かがりも、深玖里の気配には気づいているだろう。

 それなのに迎えがないのはどうしてなのか。


「深玖里」


「霧牙! 来てくれてよかった。どこに向かえばいいかわからなくて、どうしようかと思ったよ。遠峯はどこ?」


「それが遠峯さまは今、長船山おさふねやまへ出ていらっしゃる」


「えぇ……それじゃあ、長船山まで行かなきゃじゃん……ってことは緋狐ひこもいるってこと?」


「ああ」


「うぅん……緋狐には飯能はんのうの守狐たちからも言伝ことづてを頼まれているし、まあいいんだけど……」


 とりあえず長船山へと歩き出す。

 遠峯や霧牙たちは山を簡単に越えていけるけれど、深玖里は山道を行くから時間がかかる。


「一日かかっちゃうな……」


 栃本とちもとの関を過ぎ、雁坂峠かりざかとうげの茶屋でひと休みする。

 もう目の前は甲斐国かいのくにで、そのまま山梨郡やまなしぐんに入った。

 長船山に入るころには、また夜を迎えていた。


「深玖里、この先に小屋がある。遠峯さまも緋狐さまも、そこで待っていらっしゃる」


「そうなの? そいつはありがたいね。明日の朝に会いに行くようかと思った」


 日が落ちると辺りはひんやりしてきて、空は満天の星だ。

 スウッと深玖里の手もとに、また式神が落ちてきた。


『寄りなさいといったのに』


 式神をクシャリと握りつぶす。

 見張られているようで気分が悪い。


「家からか?」


 霧牙が投げ捨てた式神に目を向けてそういう。


「まあね」


「放っておいてもいいのか?」


「だって、帰ったところで用はない。駿河に行った帰りにでも寄ればそれでいいよ」


 フンと鼻を鳴らして霧牙が駆けだした。

 その先に、もう小屋がみえてきている。


「深玖里、久しいな」


 戸を開くと遠峯と緋狐が待っていた。

 深玖里はまず手みやげを渡し、丁寧に挨拶の口上を述べた。


「遠峯さま、緋狐さま、ご無沙汰しております。先だっては野犬の件で情報をくださりありがとうございました」


 深々と頭をさげる。

 シンと山小屋の中が静まりかえった。


「まあまあ、しばらくみないあいだにずいぶんと礼儀正しくなったこと」


 緋狐がクスクスと笑う。


「まあ、一応? 挨拶くらいはちゃんとしておかなきゃじゃん?」


 カバンを放り出して腰をおろすと胡坐をかいて緋狐と遠峯をかき抱いた。


「ホントに久しぶりー! 二人とも元気そうでよかった!」


「なんだなんだ、成長したかと思ったら、やっぱり変わらないか」


 遠峯が尾を振って大笑いする。


「本当ならさ、ぬしに対してこの態度は良くないんだろうけど、友だちなんだからいいよね?」


 遠峯も緋狐も嫌とはいわない。

 ずっと以前から同じだ。

 深玖里はまず、本所ほんじょでのことを話し、そのあとは飯能のことを話した。


 守狐からの言伝もしっかりと伝える。

 遠峯も緋狐も満足そうにうなずいた。

 一通り話し終えると、緋狐が遠慮がちに話しをはじめた。


「どうも最近は、あちこちで妖獣や獣が暴れているようなんだよ」


「ああ。それに西のほうでは、西海道さいかいどう山陽道さんようどう南海道なんかいどうからもけものが移動をしているそうだ」


「移動って、どこに?」


畿内きないだ」


 遠峯と緋狐が口をそろえてそう答えた。


「……なんか、よくわからないけど不穏だなぁ」


「それとね、今、この辺りは熊が暴れてねぇ……」


「え……熊?」


 緋狐たち狐では撃退はできても倒せないという。

 山を下った麓の村で、依頼が出ているそうだ。

 それを深玖里に倒せというのか。


「熊かぁ……んん……うん、でもまあ……やるよ。ソイツ」


「深玖里ならそういってくれると思っていた」


 野犬の情報をくれたのはこのためか。

 高い代償だ。

 それでも、以前と違って太刀が使える今、熊が相手でもたやすい気がした。

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