裏庭に何かいる

戸成よう子

第1話

10月12日 11時34分 (久地修太からの電話。固定電話に録音)

 よう。久地だけど。

 ――これ、ちゃんと録音されてるのかな。俺、留守録に向かって喋るの初めてでさ。友達にも、お前みたいに家に固定電話置いてる奴って少ないし、スマホだとそもそも電話をかけないし。万一、電話して留守でも、スマホならすぐ折り返しが来るから問題ないわけで。

 でも、今は留守録の機能があって助かったかも。まさか、こういう形でお世話になるとは思わなかったけどさ。

 あ、もし聞いてるなら、気にしないで寝ててくれ。こっちは勝手に用件を喋るし、お前は、後で具合のいい時に聞いてくれればいいんだから。留守録って、そういう使い方をするもんだろ。

 それにしても、まさかお前がなぁ。今頃、流行り病に罹っちまうなんて。

 まあ、この二年? 三年? の間に罹ってる奴を大勢見かけたから、お前がそうなっても別に不思議はないんだけど。

 ――っていうか、これ、何分録音できるんだ? さっさと用件を話したほうがいいのかな。

 あのな。――もう、誰かから連絡がいってるかもしれないけど、俺からも知らせとく。今朝、教授が亡くなったんだ。柳沢教授が。信じられないけど、ほんとらしい。俺もまだ、話を聞いただけでまったく実感がないんだよ。なんかこう、感情もなく、頭だけで喋ってる感じなんだけど、とにかくそういうことらしいんだ……

 ええと、なんで死んだのか、だよな。事故らしい。交通事故。それしか聞いてない。学内の誰も、それ以上のことは知らない。

 研究所の人達が警察に電話を入れたりして動いてるようだけど、あまりしつこく聞けないし。ラテン・アメリカ研究所の人達って、まとまりがないよな。

 柳沢教授の研究室のほうは、先輩達が―― あれこれやってくれてる。俺も、やれることがあれば手伝わないと。

 で、とりあえず、わかってることだけでも知らせとこうと思って、電話したんだ。ほら、昨日言ってただろ、メッセージ・アプリだと字が霞んでよく見えない、って。字が霞むなんて、よっぽどだな。今も、高熱でうなされてるんだろ。どうにかしてやりたいけど―― 自宅療養中の患者の家に行くなんて、やっぱりよくないんだろうな。

 でも、連絡や、差し入れくらいはできるからさ。どうしても具合が悪いってなったら、すぐに救急車を呼ぶか、連絡をくれよ。そしたら、駆けつけて―― まあ、どうにかなるだろ。

 留守録、結構長い時間、録音できるのな。

 とにかく、今は安静にしてろよ。教授のこと、詳しい話がわかったらまた連絡する。それから、昨日も言ったけど、必要なものがあったらすぐ知らせろよ。ドア前に届けてやるから。コロナ、治るのにどのくらいかかるんだろうな。一週間はかかるのか? もっと? まあ、いずれにせよ寝てればよくなるさ。寝てろ。



10月12日 16時12分 (久地修太からの電話。固定電話に録音)

 よう、また電話しちまった。――留守録だし、後でまとめて聞けばいいんだから、別にいいよな。

 ――あのな、教授、ガードレールにぶつかったらしい。今朝、大学へ向かう途中のことだって。教授の家って、山の中のだいぶ不便なところにあっただろ。春先にみんなでバーベキューしに行った時、お前も一緒だったよな。あの時、研究室のみんな、教授ってほんと物好きですね、なんて笑い合ってたっけ。教授の家へ向かう道、いかにも山道って感じで、こう、ぐねぐね蛇行してたろ。あの道沿いのガードレールに、ぶつかったんだと。

 まったく、なんでなんだろうな。天気はよかったから、視界は悪くなかったはずなのに。

 車、ガードレールを突き破って。その、大破してたらしい。ほんと、酷いよな……

 そういえば、お前あの時、言ってたよな。ほら、バーベキューで、みんなが教授は物好きだって話してた時、さ。あの時、お前、教授はやっぱりジャングルが性に合ってるんですね、って言ってたっけ。

 そうなんだよ。教授って、そういう人なんだよ。一昨日もさ、旅行の話をしてくれたんだよな。教授、ブラジルから帰ってきたところだったろ。現地では、アマゾンの奥地にまで足を伸ばしたらしいぜ。その話、もっと聞いておけばよかったな。

 まあ、とにかくそういうことだから。じゃあな、また。



10月12日 17時5分 (星井京香からの電話。固定電話に録音)

 こんにちは、星井です。

 児島君、聞いてくれてるかな。一方的に喋るから、後で聞いてね。

 久地君から聞いたんだけど、児島君、字を読むのが辛いんだってね。そりゃそうよね、熱でダルい時に文字の羅列なんて、見るだけで気分が悪くなるよね。だから、留守録には慣れてないけど、わたしも吹き込んでみます。

 あのね、教授のことだけど。とりあえず、わかってることは久地君が知らせてくれたんだよね。今は、わたしと耳野さんが連絡係というか、情報収集をしてる。教授のご家族への連絡とか、そういうことをね。知ってのとおり、教授は一人暮らしで、家族と言えるのは離れて暮らしてる娘さんだけだった。娘さん、長野県に住んでるの。しかも、連絡がつくのが遅れて、早くても明日にならないとこっちに来れないみたい。それに、状況が状況だから、遺族への遺体の引き渡しには時間がかかるらしいの。警察からの連絡は明日以降になるようだから、お葬式は数日後になるでしょうね。

 あ、いいんだよ。お葬式に出席できなくても。

 事情が事情だし、今は安静にしてるのが一番なんだから。――それに、お葬式っていっても、こぢんまりしたものになるかもしれない。あまり大勢、人を呼べないかもしれない、って娘さんもおっしゃってたし。

 そのぐらい、遺体が酷い状態かもしれない、っていうことなの。あ、ごめんね、病気の人にこんな話。とりあえず、報告できるのはこんなところかな。明日また連絡するかもしれないけど、ダルければ無視していいからね。

 じゃあ、お大事に。

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