56話、人間と関係を築いていく
「商店街をじっくり歩くのは、これが初めてになるわね」
いつもなら、目もくれず素通りしてしまう場所だったのに。目的を持ってここに訪れたのは、今日が初めてだわ。
目的と言っても、ハルが百円をくれた事で、二つになってしまったけども。一つは、本来の目的である、ネギの買い物。買い物袋の中に五百円玉が一枚あるので、三本ぐらい買っておけばいいわね。
もう一つは、メインになった食べ歩き! 何を食べようかなぁ。この商店街って、意外とお店が多いから目移りしちゃうのよ。
あんみつがおいしそうなわらび餅、果物を丸ごと入れた大福。三色、みたらし、あんダンゴなどを取り扱った和菓子専門店。その近くには、たい焼き屋やせんべい屋もある。
駄菓子屋も捨て難い。安いお菓子を大量に買って、じっくり味わうのもアリだ。うんめえ棒、こぉ~んポタージュ、タラタラしなすって、ビッグバンかつ。種類も豊富だし、悩んじゃうわねぇ。
店先でウナギを焼いている所もあるけど、テレビの情報によれば、天然物だと三千円以上したはず。
「三千円って、百円玉が三十枚も必要じゃない……」
私の手持ちは、現在百円のみ。どう足掻いても足りない。あの辺りを漂う煙には、タレの香ばしい匂いがふんだんに含まれている。吸ってしまわないように、さっさとお店から離れよう。
そこから点在しているお店は、肉屋、魚屋、花屋、散髪屋、本屋、雑貨店。この時間帯だと、どのお店にも人間が必ず居る。特に多いのが、私と同じく腕に買い物袋を提げた女性。
どの女性も、買い物袋をパンパンに膨らませているわね。……ちょっと羨ましいかも。その内、私もあれだけ買い物をこなしてみたいわ。
「ああいう人間って、あまり驚かないのよね」
恰好からして、主婦と言えばいいのかしら? あの手の人間は、怯えるどころか抵抗、もしくは反撃をしてくる可能性が高い。しかも、二回目以降の電話を出ない奴だって居る。
やはり狙うなら、見た目からして大人しそうな女性に限るわ。一人暮らしだったら、なお良し! 時間帯は、夕陽が沈み切る前が好ましい。
完全な夜では駄目。残紅が散らばり、夜闇に染まる手前の日没時がベスト。雰囲気も出るし、窓の向こう側から差す仄暗い夕陽かりが、私という存在を際立たせてくれる───。
「いやいや、血を騒がせてる場合じゃない。早くネギを買って、食べたい物を決め……、あら?」
顔を左右に振り、本業の誘惑を振り払っている中。やたらと気になる光景がチラリと見えたので、顔をそっちに向けていく。
人間が行き交う視界の先。ショーケースの中にある商品の並びが、やたらと悪い揚げ物専門店があった。
割烹着に似た服を着た人間が、奥に複数人居るけども……。どうやら、何かを作っているようね。
「もしかして、商品を揚げてる最中なのかしら?」
だとすればよ? もう少し経てば、ショーケースに出来立ての商品が並ぶ。これだ! 目的の八百屋は、もうすぐそこ。歩いて三十秒以内に行ける。
そして、ネギを買った頃には、熱々の揚げ物が買えるって寸法よ! 値段は、コロッケが一個九十円。別売りのソースが一袋十円。税込みなので、手持ちのお金でちょうど買える!
「こうしちゃいられないわ!」
食べる物が決まった瞬間、口の中がコロッケ一色に染まった。コロッケ自体は食べた事がないけど、出来立てなら絶対においしいはず!
でも、焦っちゃ駄目よ。この商店街では、目立つ行為はなるべく避けたい。あくまで私も、人間として振る舞っていかないと。変に目立つと、ハルに恥を掻かせてしまうからね。
コロッケを食べたい欲求を抑えつつ、一応目的地である八百屋へ向かう。客が居なくなった所を見計らい、ネギの近くで歩みを止めた。
「らっしゃい! 嬢ちゃん、何が欲しいんだい?」
……この店員、やけに馴れ馴れしく接してくるわね。声がやたらと大きいから、体が少しビクッてしちゃったじゃない。
あんた、命拾いしたわね。一昔の私だったら、今日の内に電話をしていたわよ?
「長ネギを三本欲しいんだけども」
「長ネギを三本ね! 嬢ちゃん。初めて見る顔だけど、近くに引っ越してきたばかりなのかい?」
初めて見る顔? もしかして、いちいち客の顔を覚えているというの? ……これは、どう答えるべきなんだろう?
私は、ハルの家に泊まっているだけの存在だ。ここへ引っ越してきた訳ではないし、私の家なんて元々無い。バカ正直に経緯を話すのも、なんだか違う気がする。
しかも、買い物をするからには、今後この商店街を頻繫に活用する訳でしょ? ならば、なおさら適当な事は言えない。
……ハルもとい、
「い、一応、そのつもりでいるんだけども。まだ、家を決めてる最中なの。だから、今は春茜の家に泊まらせてもらってるわ」
「はるあかね?」
「えと、ほらっ。褐色肌で、見た目が男っぽい奴よ」
「褐色肌……、ああ~っ! あの元気いっぱいな子かあ! へぇ~、春茜ちゃんっていうんだねえ」
納得した様子で、手をポンッと叩く八百屋の人。どうやら、無事にやり過ごせたようね。しかし、褐色肌と男っぽい見た目という情報だけで、ハルだと通じてしまうんだ。
なら、ハルの顔は広く知れ渡っているのかもしれない。ならば、次から同じ質問をされた時は、またハルの名前を出しちゃおっと。
「ええ、そうよ。それで、長ネギを三本欲しいんだけども」
「ああっと、そうだったね。春茜ちゃんには、いつもお世話になってるし! ほらこれ、一本おまけで持ってきなあ!」
「え、おまけ?」
「そうそう! 代金は、三本分でいいからねえ!」
ニッと清々しい笑顔をした八百屋の人が、私に差し出してきたネギの本数は、どこからどう見ても四本。
しかも、四本ともすごく新鮮だ。白と緑の境目がはっきりしていて、しっかり固い。
「い、いいの? お金なら、四本分持ってるけども」
「いいのいいの! 春茜ちゃんには、いつものお礼だって言っておきな!」
「ああ、そう……」
とてもじゃないけど、四本分の代金を支払う空気じゃない。いつものお礼って、ハルはこの人間に何をしているのかしら? ちょっと気になるわね。
「じゃあ、春茜に伝えておくわ。代金は、五百円玉一枚でいいかしら?」
「五百円ね。一本七十円だから、はい! 二百九十円のおつりだよ!」
八百屋の人が渡してきたのは、やはりネギ三本分のおつりだった。思わぬ収穫になってしまったけど、本当に貰っても大丈夫よね? なんだか、ものすごく気が引けるわ。
これが、日頃から成せる人付き合いの関係ってやつなのかしら? 私も、これから築いていかないといけないのよね。……出来るかなぁ、心配だわ。
「ありがとう。おまけの長ネギは、春茜と一緒においしい頂くわ」
「おお、是非そうしてくれ! 毎度ありー!」
八百屋の人が大きく手を振ってきたので、軽く会釈をする。部屋に戻ったら、ハルに事情を説明しないと。いつものお礼だと言われて、長ネギを一本おまけしてくれたってね。
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