5話、住宅街でも感じた匂い

「私、メリーさん。今、麦茶を飲んでいるの」


『走ってきた後だし、水より美味しく感じるでしょ?』


「そうね、悪くないわ」


 テーブルの前に座った後。春茜はるあかねが水の代わりに出してくれた、濃い琥珀色をした麦茶という飲み物。香ばしい匂いをしているのに、味は爽やかで喉をスッと通っていく。

 無味の水とは比べものにならないほど、何倍もおいしい。あと少しで飲み干しちゃうから、もう一杯だけ貰おうかしら?


「あら? この匂いは……」


 部屋内に漂ってきた、一度嗅ぐとしばらく印象に残る重厚な匂い。間違いない。夕方頃の住宅街を歩いていると、かなりの頻度で感じた匂いだ。

 ちょっと気になっていたのよね、この匂い。そうだ! これから料理を食べられるという事は、今まで気になっていた匂いの正体も分かるって訳よね。

 答え合わせが出来てモヤモヤも晴れるし、おいしい物も食べられる。まさに一石二鳥だわ。


「お待たせー」


 白い湯気を昇らせている丸い皿を持った春茜が、私の前に皿とスプーンを置いた。麦茶を飲み終えてから、皿の中身を覗いてみると───。


「これは……、カレーっていうやつね」


 右側にある、山盛りのご飯。左側には、皿から溢れんばかりに盛られたカレー。そのカレーには、大きな具材がゴロゴロ転がっている。

 具材は、じゃがいも、ニンジン、玉ねぎ、豚肉。うん。春茜が作ったカレーにも、料理本に載っていたカレーと同じ具材が使われている。

 けど、福神漬けっていう赤い物と、白いらっきょが見当たらないわね。せっかく得た知識だし、春茜に催促してみよう。


「メリーさん、カレーは知ってたんだ」


「当たり前でしょ? 私は孤高で気高く、なメリーさんよ? もちろん、カレーの具材も知ってるわ。じゃがいもでしょ? それとニンジンに玉ねぎ、あとは豚肉。常識じゃない」


「おお、全部合ってるや。……へぇ~」


 意外だという顔になり、握った左手を口元に添え、視線を下へ落とす春茜。なによ、全然驚いていないじゃない。つまらないわね。

 それに私を差し置いて、何か考え事をしているようだ。やけに真剣な眼差しをしているけど、一体何を考えているのかしら?


「カレーは知ってるのにさ。なんで昨日は、唐揚げを石だなんて言ったの?」


「あれは、一種のジョークよ。真に受けないでちょうだい」


「ああ、ジョークだったんだ。ふ~ん……」


 どうやら、カレーを食べる前に汚名は返上できたようだけれども。春茜は、また難しい顔を浮かべてしまった。このまま待つと長引きそうだし、私から話を進めてしまおう。


「それと、福神漬けとらっきょはあるかしら?」


「え? 福神漬けと、らっきょ?」


「ええ、あったら欲しいんだけども」


「ごめん、福神漬けは買ってないから無いけど……。メリーさん、らっきょなんて食べて大丈夫なの?」


 なに? この、やたらと不安そうな春茜の声色は? ……ああ、そうか。私が欲しいと催促したのにも関わらず、もし合わなくて「まずい」と言ってしまったら、私は春茜を殺さなければならない。

 私は当初、春茜を殺す為にここへ来た。しかし、今は違う。ただ料理を食べたいが為だけに、わざわざ春茜の部屋へ来ている。そして、春茜が提案してきたゲームが始まった。

 ルールは至極単純だけど、配慮が難しいわね。私は絶対に『まずい』と言えないし、言うつもりもない。ならば、こうすればいいか。


「らっきょはゲームのルールから除外してあげるわ。これならいいでしょ?」


「えっ? ああ、ならいいよ。待ってて、今用意するね」


 あの抜けた反応。やはり、私が『まずい』と言う事を危惧していたようね。面倒臭いったらありゃしない。これじゃあ、おいしい物が気軽に食べられなくなっちゃうわ。

 まあ、これについては仕方ない。春茜が料理を出すのに躊躇ったら、ゲームのルールから除外してしまえばいい。

 そうすれば、春茜は安心して料理を出せて、私も気兼ねなく『まずい』と言える。よし、これでいこう。


「さて、そろそろ食べようかしらね」


 冷めてしまうと勿体ないので、湯気が立っている内に食べないと。皿の前にあったスプーンを手に取り、ご飯とカレーの境界をすくう。

 匂いを嗅いでみると、涎が湧いてきて、早く食べてみたいという欲が湧いてきた。

 今なら、この欲の意味が分かる気がする。たぶん、食欲というやつだ。二度息を吹きかけて冷まし、ゆっくり口の中へ運んだ。


「んっ……」


 香りもさながらだけど、味はもっと濃くて重厚だ。ご飯の甘さを吹き飛ばす、ピリッとしたスパイシーな刺激。

 けど、すぐに収まっちゃった。数回噛むと、だんだん刺激がまろやかになっていって、ご飯の甘さが顔を出してきた。

 カレーって、辛い食べ物だと書いてあったけど。春茜が作ったこのカレーは、とても食べやすい。


 じゃがいもは、中がホクホクしている。ニンジンは食感が柔らかくて、ご飯よりもしっとりとした丸い甘さ。玉ねぎはしんなりとしていて、噛まなくてもホロッと崩れていく。

 豚肉は、プリプリした部分と、やや弾力があって噛み応えのある二つの食感が楽しめるわね。

 プリプリしている方は、脂身かしら? 飲み込むタイミングがいまいち掴めないけど、カレーの辛さを上回るクセのない甘みを含んだサラサラとした油が、どんどん溢れてくる。


「うん、おいしい」


「おっ、今度こそ私の勝ちだね。はい、らっきょ」


 まるで、タイミングを見計らっていたかのように戻ってきた春茜が、私の近くに小皿を置いた。その皿には、細いひょうたんみたい形で、みずみずしい光沢を放つ白いらっきょが複数個あった。

 これも、料理本に載っていたまんまの形だ。味は、甘酸っぱいと書いてあったっけ。確かに、匂いがそれっぽい。カレーとはまた違った、食欲をくすぐる匂いだ。


「まあ、今回は負けを認めてあげるわ。けど、次はこうもいかないわよ」


 そう。こうして雰囲気だけは匂わせておいて、春茜に緊張感を持たせておかないと。もちろん、明日も『まずい』と言うつもりは、これっぽっちも無い。


「おー、怖い怖い。それでなんだけどさ、メリーさん。嫌いな食べ物って、ある?」


「嫌いな食べ物?」


 らっきょを口に運びながら、視線だけ春茜に移す。あっ、結構固くてカリカリとした歯応えがする。

 ほんのりと辛味があるけど、弱い酸味と強めの甘みが混じった汁と絡まり、カレーの辛さを更に和らげてくれていっている。

 カレーの強烈な後味も、すんなり消えていったし。らっきょって言うのは、サラダみたいに箸休めが出来る食べ物と見た。しかも、単品だけでも十分おいしい。


「そうそう。ついでに、食べたい料理のリクエストもあれば、是非教えてほしいんだ。お願いっ」


 両手を前に合わせた春茜が、頭を軽く下げた。これはきっと、私に『まずい』と言わせない為に、嫌いな物を出さないつもりでいるわね。

 こういった情報は、私も率先して教えてあげたいんだけれども。生憎、私も嫌いな食べ物が何なのか分かっていない。

 リクエストについては……、そうね。これについて教えるのは、私にとっても都合がいい。

 結構あるのよね、気になっている料理が。麺類、丼物、スープ類。特に、肉を使った料理が食べてみたい。けど、いっぱいあり過ぎて、これ! っていうのが決められないわ。


「なら、肉をふんだんに使った料理が食べてみたいわ」


「肉! 肉ならなんでもいいの?」


「ええ、それはあんたに任せるわ」


「オッケー! 期待して待っててね」


 よしよし。明日は一体、どんな肉料理が出てくるんだろう? からあげも肉料理だし、出てくる可能性は十二分にある。もっと食べたいから、ちょくちょく突っついておこう。

 っと、忘れていた。あと数口でカレーを完食してしまうので、そろそろ私の一番好きな、お味噌汁を頼んでおかないと。


「春茜、お味噌汁をちょうだい」


「お味噌汁? ごめん。白味噌が切れちゃったから、今日は作ってないんだ」


「えっ、嘘……? お味噌汁が、無い……?」


 春茜の素っ気なくも鋭い返答が、私の耳を通り、心を簡単に打ち砕いた。

 途端に頭が真っ白になって、スプーンを持っていた手が軽くなり、どこか遠くで『カチャン』という金属音が反響した。

 視線が、空になった皿へと落ちていく。そして気が付けば、私の空いた両手は握り拳を作っていて、テーブルを激しく叩いた後。春茜に指を差していた。


「あんた、ふざけるのも大概にしときなさいよ!? 私に何年料理を作ってるのよ!?」


「うおっと!? えと……、今日で二日目に、なりますね」


「そうだったわ! あんたね、私は知ってるわよ! 人間っていうのは、家に客や友人を招いた時、決まってお茶とか出すらしいじゃない! 私だって客なのよ!? お味噌汁を出さないなんて、無礼にもほどがあるわ!!」


「客は客でも、刺客なんですが……」


「言い訳無用! 材料が無いなら仕方ないけど、もし明日! お味噌汁を出さなかったら、あんたを───」


 『あんたを殺す』と言いかけた瞬間。冷静を取り戻してしまった私の視界が、勝手に右へ流れていった。

 ……危ない。お味噌汁を飲めないという現実が受け入れられず、怒りで我を失っていた。そもそも、こんなくだらない事で春茜を殺したら、本末転倒もいい所だわ。

 けど、どうしよう。この気まずい空気。このまま座り直して、無かった事にするだなんて到底不可能。

 ここは、メリーさんらしい罰を、春茜に与えなければならない。……本当にどうしよう。


「……あんた、何をされるのが一番嫌?」


「えっ? えっとー……。くすぐられるのとかが、嫌ですね」


「そう。なら、今度お味噌汁を忘れたら、あんたに金縛りをかけた後、宙に浮かせてくすぐり続けてやるわ」


「うわっ、生き地獄じゃん……。分かりました、今後気を付けます」


「長ネギと豆腐も忘れずに頼むわよ?」


「……うぃっす」


 なんとかこの場を誤魔化せて、春茜と同時にため息を漏らす私。人間に下した罰が、くすぐり続ける事だなんて。

 春茜と出会う前の私が知ったら、問答無用で殺されているかもしれない。なんだか、ここ数日で、すごく丸くなっちゃったわね、私。

 しかし、これで一番好きなお味噌汁が、毎日飲めるようになるんだ。私にとって悪い条件じゃない。多少の醜態を晒してしまったけど、前向きに捉えていこう。

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