カオの過去②

前作「俺得?仕事中に転移した世界はゲームの魔法使えるし?アイテムボックスあるし?何この世界、俺得なんですが!」の番外編です。



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『カオの過去②』


 俺はとある山間にある小さな村に生まれた。

 遡るとほぼ縁戚関係のような家が十数軒だけ、山に囲まれた麓に点在しているような村だった。


 どの家も小さな畑と田んぼを持ち、周りの山々はほぼ本家の物だ。

 その本家の家長が親父だった。

 親父は9人の兄弟姉妹の長男だった。


 俺が生まれた本家には、両親と俺のひとつ上の兄、曾祖母と祖父母、それから父の兄弟である叔父叔母達7人も一緒に住んでいた。

 昔は大家族が当たり前の時代だったようで、父の兄弟で一番下の叔父は俺の兄と同い年だった。


 父のすぐ下の叔父は、父に2人目の息子つまり俺が生まれたと同時に本家を出された。

 その事は後に知ったのだが、昔は長男に何かあった時のための予備として次男は家の隅に置かれていたのだとか。


 父が本家を継ぎ、兄が産まれ、兄の予備としての俺が産まれた事で叔父さんは解放されたそうだ。

 もちろん村の中に分家として家と畑を持たされ、嫁を娶らされるコースだ。

 他の叔父叔母達も中学を卒業すると分家に養子か嫁に行くコースだったらしい。


 俺は0歳にして『予備置き』コースが決定したわけだ。


 兄は大事な長男であるから曾祖母、祖父母、両親に可愛がられた。

と言っても産まれたばかりの俺がその辺を理解するはずはなく、物心がついてから兄との違いに気づいたのはずっと後だった。


 俺の一番遠い記憶は二歳だったと思う。

 俺は兄や皆がいる部屋に入ると部屋から叩き出された。

 暖かい部屋、家族の団欒の部屋に入る事は許されなかった。

 今思い出すと、階段下の狭い物入れだったと思うが、そこが俺の部屋、俺の居場所だった。


 幼児からしたら充分な広さだし、子供は狭い場所が好きだったりするよな?

 俺はあの頃の『俺の部屋』を不思議に思う事はなかった。

 雑多な物が詰められた狭い空間と、その天井にぶら下がる小さい豆電球のような照明、お下がりの服や毛布なども放り込まれていたな。


 古く大きな家は、もちろんエアコンなどはなく、夏は開け放しで何とか涼む事が出来るが冬は厳しかった。


 皆が集まる部屋にはストーブや炬燵があった。

 が、廊下も客間も台所も玄関も冬は寒さが半端ない。

 それを思うと、あの狭い物入れは物が詰め込まれていた事でそこまで寒さは感じなかったと思う。(まぁ、寒いは寒いがな)


 ただ、食事を貰えるのが台所の隅なのだが、台所が土間なので外と変わりない寒さは堪えた。

 曾祖母、祖父、父、叔父、兄と兄の世話をする母はストーブや炬燵がありそれなりに暖かい部屋で食事を摂っていた。

 食事の準備を終えた叔母達や幼い叔父らは、台所に近い部屋で食事をしていた。そこにも一応ストーブはあった。


 俺も小学校に上がる前まではそこで一緒に食事をした記憶がある。

 自分が幼かった事もあり、『親』とか『母』とかをよく理解出来ていなかった。

 ただ、『大人』とか『怖い人』とか『優しい人』『子供』などで括って見ていたと思う。


 親父は9人兄弟姉妹の長男、その下に4人の弟と4人の妹がいた。

 俺が生まれた時は親父は20歳、次男政治が19、三男満政が14、四男信政が6歳、五男春政はまだ1歳で兄と同い年だ。

 長女の政子は18歳、次女明美が16、三女美喜が10、四女雪美が9歳。


 次男の政治叔父さんは本家を出ていたので、当初一緒に食事を摂っていたのは、高校生の政子叔母と明美叔母、中学生の満政叔父と小学生の美喜叔母と雪美叔母、それと小学前の信政叔父と、俺より一歳上の春政叔父だ。


 この頃の俺はずっとこの叔父叔母を自分の兄弟と思っていた。

 服や肌着もこの叔父達のお下がりだったし。父達男衆と会う事もほとんど無かった。もちろん兄とも。

 俺は叔母達に付いて台所の手伝いなどをしていた。


 ただひとつ、長女の政子叔母が『怖い人』という刷り込みは早くからあった。

 よく蹴飛ばされたり張り飛ばされたりしたからだ。

 彼女は何故か俺に当たり散らす事が多かった。

 だが当時は叔父や叔母が庇ってくれていたので、とにかく政子には近づかないように注意をはらっていた。



 俺が小学校へ上がった頃、三男の満政叔父は分家として本家を出ていた。

 次女の明美叔母と三女の美喜叔母も分家へと嫁いでいった。


 本家に残されていたのは、中2の信政叔父と小2の春ちゃん、高1の雪美叔母さんと、そして俺を目の敵にしている政子叔母だった。

 食事を共にしているあの部屋で政子に逆らえる者はいなかった。


 小学校に上がると、俺は完全に政子達の食事の部屋から追い出された。

 幼い頃は叔母達に付いて台所で手伝いをしていたが、学校に入学すると畑作業や家事がどんどんと増えて行った。


 学校から戻り、外の小屋で作業をして日が暮れて家に戻ると俺の食事はもう無くなっていた。

 春ちゃんに呼ばれて作業途中で食事に戻った事もあるが、政子に怒鳴られて追い出されるのであった。


 中学生だった信政叔父さんも政子を怖がって、俺には関わらないようにしているようだった。

 春ちゃんや雪姉さん(叔母)が俺を庇って政子にヒステリックに罵られるのが我慢ならず、俺は皆と一緒の食事を諦めた。


 小学校では給食も出ていたので、朝と晩の食事が無くても何とか我慢出来た。

 春ちゃんや雪姉さんがこっそり握り飯を隠して俺の部屋(階段下の納戸)に持ってきてくれる事も多かった。



 小学校は山ひとつ越えた所にあり、他の村の子供らと合同だ。

 それでも1年から6年までで18人しかいなかった。

 俺はそこで初めて政一が俺の『兄』だと知った。


 政一はあの家では跡取りとして大事に扱われていた。

 家ではほとんど会わないので気にしていなかったのだが、あちらはずっと気にかけていたらしい。

 いや、良い意味ではなく逆の意味でだ。


 小学校で一年遅れで入学してきた俺に子供にありがちなマウントを取ろうとしたのだが、結果、よく先生に叱られていた。

 俺の事を召使いとか奴隷とか言い給食を俺の頭にぶちまけるのだ。

 先生が「何でそんな事をするの!弟でしょ!」と言った事で真実が明らかになった。


 俺は春ちゃんの弟じゃないの?雪姉さんと兄弟じゃないの?


 それを聞いた政一は馬鹿にしたように大笑いしていた。

 先生が俺の家族の事、本家の人間の事をわかりやすく説明してくれた。

 ショーゲキだった。


 ほとんど会った事がないふたりが俺の両親。

 その日の帰り道、いつもは一緒に帰らない政一が後ろから俺を棒で突きながら、


「俺は本家の後継だけど、お前はいらない人間なんだぞ。俺のおかげであのうちに置いてもらえるんだからな」


とかなんとか、色々言われたが、よく覚えていない。

 そうか、台所でたまに会うあの人が俺の母さんなのか。

 チラッと俺を見るだけで声かけてきた事もないあのおばさんが…。


 実は、春ちゃんや雪姉さんと兄弟だと思いながらも、祖母の俺を見る目が冷たくて、春ちゃん達とは親が違うのではとボンヤリと思ったものだ。

 子供にありがちな妄想なのだけど、俺の両親は俺をあの家に預けて出稼ぎに行ってるだけで、いつか迎えに来てくれる、とか思ってたんだ、俺。

 本当の父さんと母さんが「かおる、遅くなってごめんな」って。


 将和時代の子供にはありがちだったかも知れない。大人になって見た昔のTVドラマでそんな場面があったりしたな。

 平静や怜和では考えられないだろうが、将和の戦後からの経済復帰にもがいている時代には『暖かい家庭、家族』を目指した核家族化が進んでいた。


 村から街へ、街から都会へと、生活の場は広がり、それに伴い家族は小さくなっていった。



 俺が8歳の時に妹が生まれた。


 父の弟の信政は分家に養子に、残った3人、政子叔母さんと雪姉さんと春ちゃんは、男たちと同じ部屋で食事を摂るようになった。

 俺の母さんが生まれたばかりの妹に手を取られていたので、政子叔母さんや雪姉さんが毎日のお産丼に加わった。もちろん春ちゃんも一緒だ。


 俺は相変わらず跡取りを含む男衆の部屋には入らせてもらえなかった。

 阻んだのは政子叔母と、兄の政一だ。

 食事時間には相変わらず用事を言い付けられた。


 分家への事付けやら、近くの山での山菜採り、果ては山向こうの商店まで夕方から買い物に行かされて戻るのは深夜になったりした。

 よく政一が「明日学校で必要だ」とごねたからだ。


 雪姉さんは嫁に行った叔母達に変わり家事をしていたので俺を気遣う余裕が減った。

 それを狙い政子叔母の俺への執拗な体罰が増えていった。

 隣町から夜中に戻り、台所で食べ物を漁っていると、まるで待っていたかのように現れた政子叔母に叩き飛ばされるのであった。


「本当に意地汚い子だよ、お前は!こじ◯は家に入ってくるな!」


 そう言って蹴り飛ばされて勝手口から外へ出された。


 よくある事なので諦めて裏の納屋で寝ようかと行くと、納屋には大きな南京錠がかけられていた。

 暫くは風を避けられる所を探したが見つからず、途方に暮れた。

 近くの分家までは歩いても1時間はかかる。あたりは真っ暗だ。


 そして見つけたのが風呂場だ。

 当時の村は、皆、家の外に風呂場があった。

 風呂の入り口にも外から南京錠がかけられていたが、窓から入り込む事が出来た。風呂桶の中に入り上から蓋をすると、外にいるより数倍寒さを凌ぐ事ができた。


 俺にとって『家』は居たくない場所になっていた。

 寒い、お腹が空いた、痛い、辛い……。


『ここ(家)を出たい』と確実に意識するようになったのは、8歳の頃だったな。


 給食があり誰にも打たれない、学校にいる時が一番安心して過ごせた。

 だがそれも長くは続かなかった。

 ある日担任の先生(若い女の先生だったと思う)が、俺のアザや擦り傷に気がついた。


 政子叔母に叩かれたり突き飛ばされて出来た傷だ。

 それに当時はガリガリに痩せていたため、先生は虐待を疑った。

 現代のように虐待が世間一般で騒がれているような時代ではなかったのにもかかわらず、先生の目に付いたのはかなり酷い症状だったのだろう。

 当時の俺はもう麻痺していて、ただ『家を出たいなぁ』とぼんやり思うくらいだった。



 先生はまず俺の母に連絡を取ろうとした。

 だが、兄の政一を通したのがまずかった。

 兄から父へ、父から祖父母へと、話は悪い伝わり方をした。


 畑仕事を終わらせて勝手口から入った俺を待っていたのは、上がり框で仁王立ちした祖父だった。

 鬼のような形相をした祖父、その後ろに似た顔の男性、多分父だろう、そして廊下の隅に兄の政一が何故かニヤついて立っていた。


 祖父は素足のまま土間に降りたかと思うと俺を渾身の力で殴りつけた。

 俺は何が起こったのかわからないまま隅の釜戸へと叩きつけられていた。

 その時点で意識を失っていたので、詳しい話を聞いたのは町の病院でだった。


 そう、目が覚めたら知らない天井だった。

 目が覚めても顔中晴れ上がり瞼は殆ど開かなかったのだが、隙間から雪姉さんが見えた。

 身体中から一気に痛みが押し寄せて来て、その時に聞いた話は一割ほどしか理解出来なかった。


 俺が祖父から折檻という名の暴力を受けている時、雪姉さんや春ちゃんが分家に助けを呼びに行き、分家から叔父さんらが祖父を止めに、叔母さんらは隣町の駐在さんを呼びに行ったそうだ。


 俺の入院は長期に渡った。

頭蓋骨、肋骨、頬骨、鼻、右腕、左手指などの骨折、打撲が多数だ。

 どうやら竈門に頭を打ち付けて気を失った後も、俺の胸ぐらを掴んで顔を殴りつけていたらしい。

 俺は意識が無いながらも顔を庇おうとしたようで腕や手指も折られたらしい。

 因みに、歯も数本折れたが乳歯だったのが幸いだった。


 駆けつけた分家の男衆も祖父が何故あそこまで激昂したのか頭を傾げていたそうだ。

 ただ、退院しても本家には戻らず、親父のすぐ下の弟である政治叔父さんの家に預けられた。


 学校に通えるようになるまでに半年くらいかかった。

 それまでは政治叔父さんの家の手伝いをしながら過ごした。

 雪姉さんや春ちゃんもこちらに顔を出してくれていた。


 漸く学校通い始めた9歳の時、雪姉さんが都会の大学へ行くのでこの村を出る事を教えられた。

 寂しいけど雪姉さんは『姉』ではないから仕方がない。



 俺が11歳になった頃、本家の俺の母親に子供が産まれたらしい。

 男の子で俺の弟だそうだ。

 そう言えば俺には妹もいたはずだが、顔を見た事もなかった。


 政治叔父さんに「いつまでここに居ていいの?」と聞いたら、「居たいだけ居ろ」と言われた。

 叔父さんちに居ると朝晩メシが貰える。昼は学校給食がある。

 腹が空く事は減った。


 叔父さんちの畑の手伝いや家の手伝いもやったが、「そんなにやらんでええよ」とおばさん(叔父さんの奥さん)に言われた。

 叔父さんちの子の勉強と遊び相手もした。

 俺はここのうちの子ではないが、何となく「家族」ってこう言うのかな?と初めて実感した。



 中学に上がる時、本家から金は出すが代わりに仕事の手伝いをするように言われた。

 叔父さんから「必要な金は出してやる」と言われたが、「毎日ご飯貰えて、温かい部屋で寝させて貰えるだけで充分だ」と断った。


 中学の三年間は政治叔父さんのうちに置いてもらう。

 だが学校に必要な金は本家で出してもらい、代わりに本家の仕事の手伝いに行くと決めた。


 中学は兄の政一と別なのが嬉しかった。小学校では政一に何かと絡まれるのが鬱陶しかったのだ。

 俺は隣町の公立中学だが、兄は私立の中学に通っているそうだ。

 本家の跡取りで、父も同じ中学だったらしい。


 久しぶりに本家に顔を出した。

 人が減り閑散とした感じがした。

 今は曾祖母、祖父母、父母、政子叔母、春ちゃん、政一、妹の弘子、弟の健人の10人だそうだ。


 改めて見ても、政子叔母と春ちゃんと政一の三人以外は見覚えがあまり無い。

 祖父を見る時にあの鬼の形相を一瞬思い出したが、鬼は見る影も無くなっていた。ただ、祖父、父、政一の三人は顔を背けていた。


 言葉を交わすわけでもなく顔合わせは終わり、祖母に裏の畑へと連れられて行った。

 祖父は昨年、脳溢血で身体に多少の麻痺が出て農作業がままならないそうだ。

 母は子供の世話、政一は勉強で部屋に篭り、政子は何もしない。

 今は祖母と父が農作業やら何やらをしている。


「本家の跡取りの兄さんがやればいい」


「政一は勉強が大変なんよ。お前と違って頭の良い学校だからね」


「照政だけでは畑が終わらんから私も手伝っとるが、家の事もやらなならんし」


「照政?」


「あんたん父さん」


 ああ、本家の俺の親父は照政って言うのか。いや、この家「政」が多すぎる。


「家の事、母さんと政子叔母さんは?」


「政子は何もせんよ。あんたん母さんは健人と弘子の世話で手一杯や」


 そうだな、昔は叔父さんや叔母さんが沢山いた。


 俺と父さんが畑仕事をする事で、祖母は家事に専念出来るようだ。

 作業は日曜日と土曜日の午後(この頃は土曜日も学校があった)、平日の夕方と決まった。


 本家へ作業の手伝いに行くようになり、政治叔父さんの家の作業時間が減ってしまった。

 俺は朝から学校へ行くまでを叔父さんちの作業時間に当てて、夕方からは本家の作業をした。


 叔父さんからは「無理せんでええ」と言われたが、本家の父からは「ちゃんと終わらしてから帰れ」と言われた。

 そして陽が暮れて道具を片付けている頃、母さんが父さんを呼びに来る。


「晩御飯出来てるからそろそろ上がって」


 それは、父に『仕事を切り上げて上がって』と言う意味で、『晩御飯出来たからうちで一緒に食べていきなさい』と俺に向けた言葉ではない。


 初日に勘違いした俺が家に上がると、例の部屋に俺の席は無かった。


「なに、アンタ、食べて行く気なの?図々しいわね!アンタの席なんて無いわよ」


 春ちゃんが席をつめようとするより早くに政子が言い放った。

 祖父母も横を向く。

 後ろから入ってきた父も祖父の横に空いている座布団にドカリと腰を下ろした。


 俺は踵を返してその部屋を出た。

 政治叔父さんちでの晩飯の方がゆっくり美味しく食えるからな。


 この家に俺の居場所がないのは元からだ。

「政一の予備」と言われていたが、健人が生まれた今はもう俺は不要なんだろう。


 それからの俺は、ただ通いの農作業人に徹した。

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