第12話

「……お前、その量じゃ足りないんじゃないのか」


森の入り口あたりで私はミミに追いついた。

ミミはこちらに背中をむけたまま答えない。

すっかり日は落ち、森は暗く静かだった。

私はそのまま動かずにいるミミに歩み寄った。


「触るぞ」


そう声を掛けてから、ゆっくりと――ミミが簡単に振り払えるような速さで、静かにミミの服の襟に手を掛ける。

ミミはこらえるように固く目を閉じ、じっと動かない。

私は優しくミミの服の襟を引き下ろした。

露わになったミミの白い背中の上部には腕の内側あったのと同じような痣がいくつもできていた。

私は小さく息をつくと、服の襟を戻し、整えてやった。


「……母親か」

「やめて!」


ミミは殆ど絶叫した。

髪と同じ、栗色の大きな瞳に涙をいっぱいにためている。


「お母さんは悪くないもん! いつもはすごく優しいもん! このおさげだってお母さんが結ってくれたの。ミミが、ミミが悪い子だから――」

「それは違うぞ」


私は静かに否定した。

しんとした森に声が響き、ミミが息を飲むのが分かった。

火の落ちた森は暗く、星明りがぼんやりとあたりを照らしていた。


「どんな子どもも悪意や暴力からは守られなければいけない。

 それが産み落とされた者の権利だ。

その子どもの良し悪しに関わらない」

「……言ってること難しいよ」

「……毎月同じくらいの時期、と言ったな」


私はそれには答えず、つづけた。ミミは遠慮がちに頷く。


「母親がそうなってしまうのは1週間くらいで、そのあとある日から急に元通りになるか?」

「……なんでわかるの?」


ミミは驚いたように目を見開いた。


「多少身に覚えがあっただけだ」


私は短く答えると、ミミに小袋を二つ渡した。


「これはさっきと同じハーブだ。

そしてこっちは、母親に渡すと良い」

「……お母さんに?」


ミミが不安そうにこちらを見つめる。


「安心しろ、ただのハーブだ。煎じて飲め。それと、こう伝えてほしい」


ミミは両手で小袋を抱え、こちらを見つめている。

私は続けた。


「その気分の変調はお前のせいではない。

女という身体の仕組みだ。

 必要以上に畏れなくていい。

それでも助けが必要な時には――」


私はミミを見つめた。強い風が吹き、木々がざわめく。

雲に隠れていた月が顔を出し、冷たい月明かりが私たちを照らし出す。

風に流される銀髪をかき上げると、私はつづけた。


「エルノヴァを訪ねよ、と」

「……言ってること難しくてわかんないよ」


ミミはきょとんとした様子でこちらを見ていたが、くるりとこちらに背を向けると言った。


「意味は分からなくていい。そのまま伝えろ」

「ねえ、エマ」


ミミは小袋を両手で大事そうに抱えなおした。

前髪の下で、目を赤くしたまま、いたずらっぽく笑う。


「ありがとう! また遊ぼうね!」


それだけ言うと、森の出口に向かって駆けて行った。

小さな背中の上で、おさげがぱたぱたと飛び跳ねていた。


「だから子供は嫌いなんだ」


私はそれだけ呟くと、森の中へと引き返していった。



家に帰るとジュールが戻ってきていた。

一階のテーブルにつき、アンと一緒にお茶を飲んでいる。


「エマ!聞いたぞ!新しい友達ができたんだって?」

「友達じゃない」

「はっはっは!」


何が楽しいのか分からないがジュールもアンも上機嫌だ。

この人たちは私に友達ができると嬉しいらしい。

稀有な人たちである。


「そうだエマ、お前に土産があるぞ」


そう言うとジュールは鞄の中から分厚い本を一冊取り出した。


「本が好きだろう? 街で見つけたんだ。エマが読むものだと思うとどうにも決めきれなくてな。町中探し回ってたらこんなに遅くなってしまった」

「この人ったら、今日の売り上げを全部つぎ込んでしまったのよ?」


アンは困ったようにつづけた。


「またしっかり働かなきゃいけんな」


ジュールも困ったように眉毛を下げる。

本当に変わっている。困ったよう、なのに、二人ともそれ以上に嬉しそうだった。


「エマ?」


何も言わずにいる私を二人が心配そうにのぞき込んだ。

私は――、私は、何も言えなかった。


渡された本は建国のおとぎ話だった。

表紙には男性と女性とみられる二人のシルエットが描かれていた。

男性の髪は金、女性の髪は銀の箔が捺され、その二人を取り囲む森の動物や植物たちが細いインクで精緻に描かれている。


本は革紐で閉じられており、軽く中をめくるとどのページにも表紙と同様、丁寧な筆致で美しい挿絵が描かれていた。


おとぎ話なんて読んだことがなかった。

生きることに、必要がなかったから。

何かを買い与えてもらったこともなかった。

一人で生きていたから。


「エマ」


再び優しく呼びかけられて私は顔を上げた。


「気に入った?」


私は開いたページに、ミミから渡された花を挟んだ。

もらいすぎだ、と私は思った。

恥ずかしいような、居心地の悪いような、それでいて、どこかくすぐったいような気がする。

私はこのそわそわした気持ちをどうしてよいのか分からず、

本を両手で抱きしめるとただ小さくうなずいた。

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