第21話

 季節は変わって、冬の足音が聞こえ始めた頃、アロンツォが聖女宮を訪れた。


「王太子殿下、ようこそ聖女宮へ」


「ロゼッタ様、突然の訪問、申し訳ありません。いつも、ドナがお世話になっているようで、ご迷惑をおかけしていませんか?」


「迷惑だなんてそんな、可愛いご令嬢たちが遊びに来てくれるのは、嬉しいですし、結婚式の準備も楽しいですよ」


「そう言っていただけて安心しました」


「今日はどうなさいましたか?」予定されていた訪問ではなく、今朝突然に、聖女宮を訪ねたいと王太子宮から知らせが来た。何か悪いことが起きたに違いないと、朝から覚悟を決めていた。


「悪い知らせです。魔族の襲撃があったようです。バルジュー地方で、魔物が確認されました」


「魔物——ですか」


 エルモンドも、ジェラルドも、アリーチェも、息を呑んだ。


 魔物とは、魔族が魔術を使い作り出した。歩兵隊のようなものだ。


 この70年、コロニラでは、魔物の確認はされていない。今まで大人しくしていた魔族が、動き出したのだとしたら……


「聖女の発現が魔族に伝わったのでしょうか?」


「確認は取れていませんが、その線が濃厚でしょう。聖女が出現した9か月後に襲撃。偶然とは思えません。貴族議会は、聖女を捕えようとしているのだろうという見解に至りました」


「私はどうしたらいいですか?」ロゼッタはアロンツォを真っ直ぐに見つめた。出征の覚悟はできている。


「バルジューへ行き、魔物と戦っていただかなければなりません」


「分かりました。覚悟していたことです」


「私も同行します」


「王太子殿下が自らですか?」


 王太子であるアロンツォの身に何かあれば、国の安寧に関わる、いくら弟がいるから後を任せられるとはいえ、ここは、騎士団長に指揮をとらせるのが、妥当に思えた。


「国を守るのが、我々王族の責務ですし、ロゼッタ様を、お守りせねばなりません。もしも、ロゼッタ様が連れ去られるようなら、この国は、暗黒時代に突入します。聖女がいなくなると何が起きるか、ご存知ですね?」


「ええ、聞きました。国中の水は干上がり、草木は枯れ、食料の供給が滞る。もし私が死ねば、聖女を死なせてしまった報いを、女神から受けることとなる。でしたわよね」


「そうなれば、この国は死んだも同然、お終いです。なので、私も同行します」


 もしも、聖女を失ったなら、王室は全責任を負うことになる。だから、国王は、教会派でもなく、王室派でもない、中立を保っている騎士団長ではなく、実の息子に指揮をとらせたい、といったところだろう。

 聖女の命は、王太子の命より、尊いということなのだろうと、ロゼッタは理解した。


「どうやら、私が行く意図に、お気づきになったようですね。やはり、あなたはとても賢い人だ。サルヴァトーレと結婚して、王室のブレーンになってほしいところですが、まだ、サルヴァトーレに興味はわきませんか?先日、観劇をご一緒させていただいたと聞きましたが」


「偶然一緒になっただけですわ。少しお話させていただきましたけど、私には勿体ない方ですわ」


「やはりダメですか、サルヴァトーレのエスコートを断り、エルモンド卿にエスコートをお願いされた時点で、脈なしとは思っていましたが」意味深長な視線を、エルモンドに向けた。「サルヴァトーレが、もう少し積極的だといいのですけどね、諦めましょう」


 それから、出征の準備が進められた。その間ロゼッタは、聖獣たちと戦闘の訓練に勤しんだ。


 知らせを受けて3日後、王太子アロンツォを筆頭に、騎士団100名、ロゼッタ、エルモンド、ジェラルド、アリーチェは、バルジューへと王都を後にした。


「バルジューまでは、7日もかかるのですって、それまでの間、バルジューの人たちは、心細いでしょうね」長時間馬車に揺られるのは、王都に初めてきた時以来、もう4年も前の話だ。あの時は、学院生活が楽しみでワクワクしていた。


(付き添ってくれた兄から、王都の男は危険だから絶対に近づくなって言われたっけ、懐かしいな)


「そうですわね、皆、逃げてくれているといいですわね」


「戦わなきゃいけない、だけど、死んでもいけない、なかなか無理難題ね」

 訓練はしてきたけれど、実戦は初めてだ。上手くやれるだろうかという不安と、魔物を恐れる気持ちが、混在している。


「皆がロゼッタ様を、お守りしますから、安心してください」アリーチェが言った。


「アリーチェは、外国に知り合いがいますか?」


「いいえ、家族や友人は、国内にしかおりません」


「私は隣国の『ルドベキア』に叔母がいるの。そこそこ裕福なのですよ。私にもしものことがあったら、姉たちに頼めば、ルドベキアに、連れて行ってくれると思いますわ」


「ロゼッタ様、そのような縁起の悪いことを、仰らないでください」


「大事な話なんです。ニコロからルドベキアは近いけれど、騒乱が起これば、家族たちが、無事にルドベキアへ辿り着けないかもしれない。心配なんです。守って欲しいんです。私のお金を、全部使っていいですから、聖女宮の侍女たちと、エルモンドとジェラルドで分け合えばいいわ。だから、どうかお願い、私の家族を守って欲しいの……」


「——分かりました。ですが、そんなことにはならないと、断言いたします」瞳を濡らしたアリーチェは、声を強くして言った。


「ええ、そうですね、きっと、そうはなりませんわ。私、結構運が良いほうだと思うわ。ジャムは食べられたし、白パンだって、チョコレートだって食べられたのですよ、平民が、こんなにいっぱい高価なものを食べられるなんて、運がいい証拠でしょう?ね」


「そうですわね。帰ったら、また皆で食べましょう」


 夕方になり、平地を見つけ野宿となった。

「さっき、馬車の中で何話してたんです?あなたもロゼッタ様も、泣いたような顔してます」


 ほんの少し泣いただけなのに、ジェラルド卿は目敏いと、アリーチェは思った。


「頼まれたのです。ロゼッタ様の財産を、全て聖女宮の侍女と、エルモンド卿とジェラルド卿にあげるから、自分にもしものことがあれば、ルドベキアに住む叔母様の所へ、ご家族を連れて行って欲しいと」


「そうでしたか——」エルモンドには、それ以上何も言えなかった。愛する人が命懸けで戦おうとしているのに、自分が生き残るなど、絶対にあり得ない。この命にかえても、守らなくてはならない。


 不安と恐怖に駆られ、早く辿り着きたいと、焦る気持ちが募った7日間の移動は、ロゼッタの体にこたえた。


 バルジューに入り、領主館に向かう道すがら、遺体を燃やした跡が、そこかしこに見られた。


 通常遺体は防腐処理をして、土葬するのが一般的だが、燃やさなければならないほど、遺体の数が多く、防腐処理が追いつかないということだろう。


 バルジューの領主は、ジャコモ・マンテーニャ伯爵という男で、南部の海沿いの街を拠点にしているだけあって、肌が黒く焼け、恰幅のいい海の男だった。


 マンテーニャは、ロゼッタの前に跪いた。

「聖女様、お会いでき至極光栄に存じます。此度の迅速な対応に、深謝いたします」


「たくさんの人の命が、失われたようですね。遺体を焼いた後を見てきましたわ」


「はい、突然の襲撃でした。10日前になります。日が沈み、しばらくした頃、魔物が海岸を襲いました」


「海から来たということか、船がついたのか?」アロンツォが訊いた。


「船を見た者はおりませんが、海岸から上がって来るのを見た者がおります。おそらく沖合まで艦艇で来て、そこから小舟に乗換え、上陸したのではないかと考えています。魔物が襲ってきたのは、その一度きりです」


 ロゼッタは、アロンツォと顔を見合わせた。考えていることは同じだろう。魔物は、ロゼッタが来るのを待っている。


「日没まで、どれくらいでしょうか?」


「3時間と30分といったところでしょうか」


「マルーン」マルーンがキーキーと鳴き声をあげて現れ、ロゼッタの肩に飛び乗った。


「魔物がどこに潜伏しているのか調べてきてくださる?無理はしなくていいですわ」マルーンは窓から外へ出て行った。


 鮮やかに光り輝く聖獣に、マンテーニャは感動し声を呑んだ。

「——あれが聖獣ですか」


「ええ、マルーンは警戒心が強く、何かを探すのが得意なのですわ。魔物が襲ってくるとしたら、今晩でしょうね」


「なぜです?」なぜ今晩なのか、マンテーニャは見当もつかなかった。


「私がいるからですわ、彼らは私を、魔族の地ヘリオトープに連れて行くつもりなのです。ヘリオトープは浄化ができず、瘴気に溢れている、そこで、私の神聖力を使って、浄化したいということなのでしょう」


「なるほど」聖女がここにいればいるほど、街は壊滅するということだ。聖女様に、お力添え願いたいが、長居はしてほしくない、厄介だなとマンテーニャは思った。


 アロンツォは、考え込んでいるマンテーニャの心が、手に取るように分かった。その気持ちを、理解できたからだ。

 街を守るためならば、この伯爵は、聖女を差し出すだろう。伯爵が馬鹿なことをしでかす前に、釘を刺して置いた方が良さそうだと考えた。


「ロゼッタ様を連れて行かれるわけにはいかない。なぜなら聖女を失った国は、女神エキナセアから報復を受けることになり、衰亡するからだ。そこで、我々はロゼッタ様の命を最優先とする」


 これは、ますます厄介な事態になってきた。ここで聖女様を守れなかったら、自分は首を刎ねられることになるのだろう。マンテーニャは、どつぼにはまった気分だった。

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