第212話 クベルシアの空気

「思った以上だな、これは」


 その街の雰囲気に、コウは隣に座るランベルトに向けて小さく呟いた。

 ランベルトも、言葉にこそしないが、小さく頷いてそれを肯定する。


 ホスティールで体を休めた一行は、そこからさらに西に向かい、第二都市であるクベルシアに到着したのは、出発してから五日後。

 道中、小さな集落では食料補給などで世話になりつつ、時には馬車での寝泊まりもしつつではあるが、天気も良くまず快適な旅だと言えた。


 ただ、クベルシアに入って、そののんびりした雰囲気が一変する。


 クベルシアの街は事前に聞いていた通りだった。

 この辺りになると草原というより丘陵地帯という感じで、時折険しい山も見える。

街道も必然的に少し曲がりくねったようになっているが、多くは山を削ったのか、かなり大きな道が確保されていた。


 そして、その山間にある、明らかに自然物ではないとわかる巨大な建造物が、クベルシアである。

 ヤーランでは唯一といっていい、城壁に囲まれた街で、それ自体も小高い丘の上にある。広さは直径十キロ二十メルテほどで、人口は十二万人程度。うち二万ほどは軍人ということだから、文字通り軍事都市だ。

 軍人の家族らを除けば、実質の人口は五万人ほどだろう。


 街道の関所としても役割も兼ねていて、迂回できないわけではないが、このクベルシアを通る道以外、西に行く道はあまり多くはないらしい。


 大きな城門は開かれてはいたが、その両脇にはそれぞれ五人の兵が立っていて、身分の確認はすべての人々に行っているようだ。

 少し緊張感がありすぎではないかと思ったが、その印象は街の中でさらに強くなった。


 いたるところに武装した兵が立っている。

 無論、人々に何かをするというわけではない。普通に見回りをしているだけ、というところだろう。

 ただ、これまでのヤーラン王国の雰囲気を考えると、いくらこの街が唯一の城塞都市であるとはいえ、常に視界のどこかに兵が見えるという光景は異様だ。


 実際、クベルシアの住民も戸惑っている雰囲気は感じられる。


「予想以上だな……正直、なぜここまで、と思うが」


 ランベルトも不思議そうに首を傾げた。

 この街には二日ほど滞在して物資を補充し、次のオルスベール王国へ向かう予定だが、予定を早めるべきかと思えてくる。

 とはいえ、日はすでに落ちていて、空の支配が夜闇に変わりつつある以上、少なくとも今日はクベルシアに滞在するのは確定だ。


 クベルシアの神殿は街の中心から少し外れたところにある。

 街の中心にあるのは、街を囲む城壁よりさらに堅牢な城壁に囲まれた要塞。

 これがクベルシアの中心である行政府と、軍の施設を兼ねている。

 神殿はそれから二区画ほど離れたところあるが、窓からは威圧的な要塞の威容は良く見えた。


「ヴァンレク司祭。お世話になります」

「ようこそ、エヴァンス卿。再びの聖都巡礼、お手伝いできることを光栄に思います」


 神殿を預かると思われる、ヴァンレクという司祭は、年齢は五十歳くらいか。

 柔らかい雰囲気の男性だ。


「しかし……ずいぶん物々しい雰囲気ですね」

「ええ。傭兵グラスブなども集まってます。一応、理由としてはここ最近増えてきた魔獣ディスラングに対して、クベルシアや周辺地域の安全を守るためとされておりますが……」


 司祭は戸惑い気味だ。

 実際、それでは街の中にまで兵を配置する理由にはあまりならない。


「ホスティールでも良くない噂を聞きました。今のクベルシアの領主は、王弟ティグランド様ですよね」

「はい。ただ……噂では、ティグランド様と、軍事を実際に統括するラディオス将軍との間に行き違いあるという噂も。……いえ、これ以上は根拠のない話をするべきではないですね」


 そういって、司祭は口を噤んだ。


「いえ。ありがとうございます。私たちとしては、この地が平穏であることを祈るしか出来ぬ旅人ですが……クベルシアに良き光が在らんことを」


 ランベルトはそう言うと、聖具――この世界における神殿のシンボルである円の中に十字が描かれた意匠のアクセサリー――をかざし、祈っていた。

 地球の十字架のようだが、円の中なので四つの線の長さがいずれも等しいのが違う。


「さて、辛気臭い話はここまでにして……お食事はどうされますか? 神殿でも多少なら用意できますが……」

「あ……いえ。さすがにそこまでお世話になるのは。せっかくですので、クベルシアの食事も堪能したいと思いますから」

「そうですか。では、お部屋は用意されてますので、ごゆっくり」


 ランベルトは遠慮したが、おそらく遠慮した理由は言葉通りではないだろうというのは、コウにも分かっていた。

 ここに来るまでにも、食事処ティルナから漂ってくる美味しそうな匂いに釣られそうになっていた二人がいたのは、わかっている。


 一行は馬車を神殿に預けると、繁華街に戻っていった。

 外は完全に夜になっていて、かなり冷え込んでくる。

 そろそろ四月の半ば近いが、ヤーランは全体的に高地であるため、冷え込みは厳しいのだ。


 この街の繁華街は、ホスティールのようなテントハオルが並ぶ光景ではなく、どちらかというと帝都ヴェンテンブルグや王都アルガスの雰囲気に近い。ちゃんとした石造りの建物がほとんどである。

 建物の建材は、ホスティールでたまに見た『グラファンラント』とは違い、天然の石材のようだ。この辺りは山岳地帯も近いので、そこから切り出しているのだろう。


 コウ達はどの店に入ろうかと周りを見回していた。

 どこもだいたい似たような料理を出すのだろうが、どうせなら美味しいところが――と思っていたところで、コウは不意にある人物に注目してしまった。

 その後に頭を抱える。

 そしてその見られた人物は、コウが気付いたことに気付いたのだろう。満足げに頷くと、一人、細い裏路地に入っていく。

 意図していることは明らかだろう。


「コウ、どうした? 気になる店でもあったか?」

「……いや。すまん、ちょっと用事を思い出した。先に行っててくれ」


 そういうと、コウは走り出した。


「ちょ、おい、コウ!?」

「お兄ちゃん!?」


 そのままコウは雑踏に消える。


「……どうしたんだ、あいつ。だいたい用事って……」

「大丈夫だと思います。とりあえず私たちは、お店を探しましょう」

「エルフィナさん?」

「コウがああいう時は理由はありますし、大丈夫。合流できますから」

「あ、貴女がそういうならいいが……」


 ランベルトは不思議そうにしながらも、とりあえず店探しを再開するのだった。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


「来てくれましたか、コウ殿」


 その路地は、まるで人払いでも済ませてあるかのように、他に人がいなかった。

 いるのはコウと、そしてもう一人――。


「!?」


 その時になって、コウはさらにもう一人いるのに気が付いた。

 その男の影にいたのは――。


「子供?」

「失礼だな。これでも立派に成人だ。草原妖精グラファトを見るのは初めてか?」


 現れたのは、身長はせいぜい百四十センチ二十八セテス程度しかない男性、というよりコウには少年に見えた。実際、成人男性よりは、少し声が高い。

 しかし、普通の人間の子供ではないのは、明らかだった。

 外見的特徴だけでいっても、妖精族フェリア共通の特徴であるやや尖った耳があるし、それに身長と体のバランスそれ自体は、子供のそれではなく、大人だ。

 文字通り、背が低い大人である。

 何より、雰囲気が子供のそれではない。


「あんたの同僚ってところか? グーデンス」


 コウはそう言うと、もう一人の男に目を向ける。

 グーデンス・ファルケ・バストラード。

 かつてドルヴェグで、コウに帝都に来るように伝言してきた巡検士アライアの一人である。

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