第一部 第八章 聖都への旅路

草原の国ヤーラン

第209話 草原の王国

 見渡す限りの草原が広がっている光景だった。

 起伏もそれほどではなく、美しい緑色の大平原が、見える限りずっと広がっている。

 これほど雄大な光景は、コウはちょっと見たことがない。

 モンゴルの大平原などがこういうものだろうか、思えてくる。

 地平線の彼方まで草原しか見えない光景など、そうそうあるものでもないだろう。

 方角によって、なんとか遥か彼方の山がうっすらと見えるくらいだ。


「そういえば、ヤーランは草原妖精グラファトが多いんですよね」


 エルフィナが思い出したように言った。


「ぐらふぁと?」


 ティナが首を傾げる。


「うん。草原妖精グラファト。草原に生きる妖精族フェリア妖精族フェリアの中でも特に小柄で、大人でも今のティナちゃんより小さいの」

「私より小さいの? ずっと子供?」

「子供っていうか、大人でもそんなに大きくならないの。不思議だけどね」


 あの帝都近郊にあった湖底遺跡の記録からすれば、おそらく草原妖精グラファトも元は人間。それが、おそらく保護されていた施設周辺の影響を受けて変化した種族である可能性は高い。

 草原に適応したということは、おそらくこの様な大草原のどこかに、似たような施設があったのか。

 草原の真ん中にあのような施設があったら目立つ気もしたが、色だけカムフラージュすれば、むしろこの広い草原のただなかにあのような施設があっても、空から見たところで気付かない気もする。


 草原妖精グラファトの最大の特徴は、その体の小ささだ。

 エルフィナが言ったように、身長は大人でも百三十センチ六十五セテスからせいぜい百五十センチ七十五セテス程度。体格も細く、人間エリルの子供のような体格だ。

 ただ、それに見合うだけ手足も細く、そしてとても器用である。

 力は妖精族フェリアの中でも特に弱く、同じ体格の人間と比してもやや低い――つまり子供より非力――のだが、その分非常に細かい作業を得意とする。

 そのためか、草原妖精グラファトは特に織物などの縫製品の生産を得意としている者が多い。


 特に、ヤーラン王国は広い草原の国であり、放牧による畜産が盛んで、さらに綿花シーズの栽培でも有名である。

 ヤーランで作られる毛織物や綿織物は非常に評価が高く、大陸中で重宝されているらしい。その生産を支えているのが、草原妖精グラファトの職人たちだ。


 ちなみに石細工や金属細工はあまり得意ではない。そのあたりは洞妖精ドワーフの得意分野だ。


 故に、ヤーランはいくつも有名な織物工房があり、草原妖精グラファトも多くいるという。

 基本的に草原妖精グラファトはお祭り好きで陽気な種族が多く、それゆえか織物工房はいつも陽気な歌で満ちているものらしい。


「ヤーラン王国もグラスベルク帝国の一つなの?」

「そうだな。もう……八百年くらいは帝国の一国だ。現存する国の中では、ドルヴェグに次いで古い国でもある」

「そんなに古いのか」


 ドルヴェグの歴史は、確か帝国のそれとほぼ同じだったはずだ。それに次ぐということは、相当なものになる。


「ヤーラン王国は九百年の歴史を持つ古き王国だ。帝国に従ったのは八百年ほど前で、それまでは牽制しあってはいても、衝突することはなかったらしいが……」


 御者台にいたランベルトが補足してくれた。


 ヤーラン王国の建国は帝歴だと一〇一年。今から九百年あまり前だ。

 帝国とヤーランの間には今回通ってきた荒涼とした大地が広がっていて、人の行き来はあまり盛んではなかったという。

 この荒地が事実上の防壁となって、帝国の建国当時、領土拡大の矛先はもっぱら西方以外へ向けられていた。

 当初帝国はヤーラン王国とは隣国でありながらほとんど付き合いはなかったらしい。そのまま百年ほどが経過する。


 それが変わったのは、帝国の皇帝が代替わりした直後。

 領土拡大を掲げ、南部に侵攻していた時の皇帝ウィラスティア帝が、戦場で死亡し、その後をわずか十三歳の皇太子が継いだ。

 即位した皇太子の名は、第十二代皇帝、ヴィルフィルト・レイル・グラスベルク。

 軍事に優れた先帝から、十三歳の若い皇帝に替わった時を、ヤーラン王国では好機と見たらしい。帝国への侵攻を開始したのである。


 ところが、この侵攻は完全に失敗する。

 さらに、ヤーラン王国はそのまま帝国の逆侵攻を受けて、わずか半年後に帝国に臣従することになった。

 これが、後に征服帝と呼ばれ、大陸の七割をその支配下に置いたヴィルフィルト帝の、初陣とされる。

 以後、ヤーラン王国はグラスベルク帝国の一国として、臣従し続けている。


 草原の国とも呼ばれるヤーラン王国だが、当然産業はある。

 主な特産品は綿織物、毛織物。それに乳製品。そして、帝国にとって最も重要な産物がもう一つある。それが馬だ。

 ヤーランの大草原で育った馬は非常に丈夫かつ走るのが早く、かつ耐久力に富んでいる最高の馬として、大陸でも名高い。


「実際、この馬もヤーランの馬なんだよ」


 御者台から、ランベルトが説明してくれた。


「ヤーラン王国の騎兵部隊は実際すごいらしい。八百年前、ヴィルフィルト帝がどうやって勝ったのか、今でも謎とされているくらいだからな」

「それはそれですごいな……しかしそんなに強いのか?」

「騎馬の上での武器の扱いで、ヤーラン人に勝てる人間はそうはいない。特に、騎射の技術は桁違いだという。ヤーラン人は歩くより先に乗馬を覚えるとすらいわれるほどだからな」


 それはそれで極端すぎる話だ。


「まあでも、海妖精ネレウス湖河妖精リヴィニウは、歩くより先に泳ぐとも聞きますし……そう言うのもありなんでしょう」

「それはそれですごいですね」


 エルフィナの言葉にミレアが驚いている。


「しかし……エルフィナさん、先ほど草原妖精グラファトは身体が小さいと言ってましたが、彼らも乗馬を?」

「いえ。さすがにその大きさですから、彼らが乗馬に長けてるとは聞いたことはないです。というか……彼ら草原妖精グラファトは、走るのがものすごく速いそうで。しかも全然疲れないとか」

「ああ、それは私も聞いたことがある。草原妖精グラファトでたまに、軍の伝令を引き受けている者がいるそうなんだが、下手すると馬より速いらしい」

「は?」


 ランベルトの言葉に、コウは目が点になった。


「厳密には、速度は劣るんだが、彼らは俺たちの全力疾走並の速さで、一昼夜走り続けることすら出来るらしい」


 なんともデタラメな身体能力だ。

 だがそれを言うと、水と光だけあれば食事がほとんど不要な森妖精エルフだって、十分デタラメと言える。

 海妖精ネレウス湖河妖精リヴィニウは、水中での活動時間が最大で一時間ともいわれるし、基本的に妖精族フェリアは、どこか人間離れしているのは確かだ。

 ちゃんと調べていないが、洞妖精ドワーフ山岳妖精ドゥスティルも、おそらく人間離れした特徴がどこかにあるのだろう。


「まあ、俺たちが行くのはヤーランの王都ホスティールだ。そこから、第二都市クベルシアを抜けて、次のオルスバーグ王国を目指すルートだな」


 コウはもう一度、窓の外を見た。

 やはり外に見えるのは、延々と広がる草原と、遥か彼方に見える山嶺しかない。

 ただ、見える草原の草は瑞々しく、この台地が恵み豊かなことを示している。

 まだ見ぬ新しい国の期待に、コウは少しだけ気持ちを高揚させ、それに気付いたのか、エルフィナはそのコウを嬉しそうに見つめていた。



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