第172話 魔獣退治とこの世界の魔法
「これはまた……」
「ひどいですね……」
二人は唖然として目の前の惨状を眺めていた。
教えられた水場の近くは、適度に木々があり、村からも歩いて一時間弱と、ちょっとした散歩にもいい距離だ。
水は美しく澄んでいて、適度な木陰などもある、いい憩いの場所だっただろう。
だが今は、その木々はことごとくなぎ倒され、水場には折れた木が逆さまになって突き出ている。
見るも無残な有様だ。
そして、それをやったであろう存在が、少し離れた場所にいた。そして今も走り回って、周囲を破壊し続けている。
「ヴィグニア……ですね。間違いありません。結構大きそうですね。
「でかいな。ま、最初から接近戦をするつもりはないというか、やってられないな」
見た目の大きさは、重さといいサイズといい、文字通り大型のトラックかトレーラーだと思えた。
ついでに走る速度すらトラック並と言える。
見た目はまさしく巨大カバだ。強いて言えば少し細長い。
ただ、カバの様な大きな口はなく、代わりにくちばしの様に巨大な口がある。それが鋼鉄並みの強度を持つらしい。ちなみにくちばしではなく鼻らしい。
ちなみに実際の口はくちばしめいたその突起の根元に、小さいのがあるという。
攻撃方法は単純で、高速の突撃のみ。
ただ、攻撃手段である鼻以外の皮膚も非常に硬く、並の武器ではかすり傷程度しかつけられないという。
多少の方向転換はできるが、その超重巨体ゆえ、急激な方向転換はできない。
ただ、その加速力はすさまじいという。
「まあ、走ってくるトラックに対処するだけと言えるか」
「……なんです?」
「なんでもない。とりあえず作戦通りいくか」
「わかりました」
言うが早いか、エルフィナが弓を構える。
彼我の距離は軽く
ヒュン、という風切り音と共に、矢が山なりに飛来し――ヴィグニアに突き刺さった。といっても、固い表皮の表面を、わずかに傷つけたに過ぎない。
だが、ヴィグニアを怒らせるにはそれで十分だった。
「なるほど、これはすごい」
コウの使う[縮地]ほどではないが、わずか数歩でおそらく最高速に達している。地球で言えばチーター並の加速を、あの巨体でやるのは驚愕するしかない。ただ、その割には地響きなどの音は思ったより小さい。
突っ込んでくるヴィグニアに対して、コウとエルフィナはそれぞれに
直後、二人の前に大穴が空く。
さすがに慌ててヴィグニアが急制動を掛けようとするが――全く速度は落ちない。
全く減速できなかったヴィグニアは、まっすにコウとエルフィナに迫り――その手前に空いた、直径
勢いが付きすぎて穴の壁に正面から激突したが、その穴の壁の強度は文字通りの意味で鋼鉄とほぼ同じになっている。さすがのヴィグニアでも砕くことはできず、跳ね返ったまま穴の底に落ちる。
穴の深さは同じく
ヴィグニアは移動速度は非常に速いが、跳躍を行うことはできない。
さらにエルフィナが、手早く穴の大きさを、落ちたヴィグニアを中心に直径
これで、ヴィグニアは加速するための距離すら稼げなくなった。
「あっさり成功しましたね」
「だな。さてと。どうしたものか……」
事実上、完全に無力化したようなものだが、さすがに放置するわけにはいかないだろう。
ヴィグニアは穴の底でのびている。さすがにあの衝撃はかなり堪えたらしい。
これでおとなしくなってくれれば助かるが、回復したらまた暴れる可能性もある。
先ほどから何とかならないかと《
トルレイラ村で遭遇したガーゼルがそうで、あれは交渉の余地は全くなかった。
獰猛期故だったのかもしれないが。
「倒すのは簡単ですけど、ちょっとかわいそうですしね……」
「だよなぁ」
あまりにもあっさりと罠にかかったので、逆にかわいそうになってしまった。
二人が取った手は簡単である。
まずエルフィナが弓でこちらに注意を引いて、その後エルフィナが自分たちの前に
当然ヴィグニアは急制動をかけるが、コウがそこで地面を硬質化して、さらに摩擦係数をほぼゼロにしたため、停止はおろか減速すら出来ずに穴に飛び込んだのだ。
自動車並の速度で突っ込んで、固く加工された壁に正面衝突したにも関わらず目を回すだけなのだから、相当頑丈だと思わされる。
とりあえずヴィグニアが気付くのを待つことにして、二人はその間に荒れた周囲を少しだけ片付けていた。
とはいえ、倒れた木をどけたりといった程度ではあるが。
「あ、コウ。気づいたみたいです」
エルフィナの呼びかけで、コウが穴のそばにいくと、戸惑ったようなヴィグニアが上を見上げていた。
少なくとも、その様子からは先ほどまでのような興奮状態ではなさそうだ。
《
さすがに獰猛期のガーゼルよりは、まだ何とかなる気がした。
『取り押さえさせてもらったが、話ができるか?』
ヴィグニアが驚いたようにキョロキョロと周囲を見回す。
その姿が、なぜかとてもコミカルに見えると思ったら、隣でエルフィナが「なんか可愛い」などと呟いていた。
『だれ、だ』
『お前を取り押さえた者だ。これ以上暴れず、遠くへ行くのなら殺しはしない』
『わかった。人の近く、いかない』
魔獣にとってどのくらいが『人の近く』なのかというのによってはダメかもしれないが、この魔獣の移動速度だと、この地は、ルレ村は数刻でついてしまう距離だ。
それはさすがに近いという認識になるだろう。
一応、もし突然暴れた場合に備えて用心しつつ、コウはエルフィナに頼んで穴の底を、ゆっくりと上にずらしていってもらった。
ある種のエレベーターのようなものだが、ヴィグニアはまたひどく戸惑っているようだ。
『感謝、する。恐ろしくて、暴れてしまった』
『……まて。何かに脅えていたのか?』
『そう、だ。なに、かはわからない。何か、恐ろしいと感じた。それで、暴れたくなって、いた』
「コウ?」
エルフィナがコウの表情からただならぬことを察したのだろう。
不安げな表情を見せるが、とりあえずコウは「大丈夫だ」とだけ言うと、ヴィグニアに向き直る。
『感謝する、人間。人の里には、もう、近寄らない』
ヴィグニアはそれを最後に歩き去っていった。
そしてすぐ気づいたが、足音がほとんどしない。
よく見ると、あの超重巨体のわりに、地面につく足跡は草を踏みしめた程度だ。おそらくあれが、ヴィグニアの能力。自重を恐ろしく軽くしているのだろう。それが、あの爆発的な加速力の理由なのか。
「コウ、ヴィグニアはなんて?」
「何か恐ろしいと思うものがあって、それで暴れずにいられなかったらしい。ここ最近、魔獣が活性化してるという話だが、もしそれが全部同じだとすれば……」
「魔獣たちは、何かに脅えている?」
「可能性はある」
魔獣が何かに恐怖を感じるという状況。
エルフィナの言う、精霊がざわついているという話。
何かが、この地域で起きようとしているのかもしれない。
ただ、その『何か』はまだ全く見えない。
思い出されるのは、バーランドに向かう途中にあった、紅竜キルセアの存在だ。
あるいは、あれに似た強大な存在がこの周辺に現れているのか。
「考えにくいですね……竜は確かにキルセア、夜の王以外にもう一体いるとされています。ただ、その生息地はクリスティア大陸の西方に浮かぶ、もう一つの大陸ともされるニア・クリスティアの南部と云われてます。さすがに遠すぎるし、伝承通りならその竜は強力な雪と氷の力を誇るそうなので、現れたら影響がありそうですし」
「名は知られてないのか」
「はい。というか、他の二体と違い、どこかを滅ぼしたという話もありません。ただ、その地域一帯は本来相当に暖かい地域であるはずにも関わらず、氷雪に閉ざされた地となっているそうです」
氷竜といったところか。
いずれにせよ、今回はさすがに関係ないと思われる。
それに、キルセアを見る限り、竜は基本的に非常に理知的な存在だ。
少なくとも、意味もなくこんな人里にまでくる存在ではないだろう。
「とりあえずルレ村に戻りましょうか」
「だな」
二人は並んで村へ戻る道を歩き始める。
「そういえばなんだが……俺は
「私も言った通り、実際に見たのはファイゼルさんが初めてですよ」
「
「ですね……そういえば。あんな小さな村にいるのは、確かに珍しいかもです」
その数は、
さらに言えば、
なので、実際にはもう少し使い手が多いのかもしれないが、神殿に入らない限りその才能に気付くことはない。
そのため、神殿でも
「帝都に近いからでしょうかね。あとは、実は生まれ故郷とか」
「後者はありそうだな。周りの人に慕われていたようだし」
「確かに。でも、何か気になることでも?」
「ああ、気になるというか……」
コウは魔力、特に
意識せずとも近くに法印――文字があればすぐ気付くし、集中すればその内容までわかる。
そしてあの時、
だがもちろん、ファイゼルは
祈りの直後に結果が『発動』しただけだ。
そして傷が回復し、望み通りの結果を得られている。
考えてみれば奇妙だとは思っていた。
この世界における、三種類の魔法といえる能力。
だが、この三種類の力には、共通した制約がある。
生命体の内面に影響を与えるには、原則対象の同意が必要、という点だ。
それがない場合、効果は著しく減退する。
回復魔法ですらこれが必要であるがゆえに、対象の意識がないと回復魔法をかけられずに死に至ることもあるという。
かつてコウが死にかけた時が実際そうで、あれが回復できたのは、エルフィナのきわめて強力な回復魔法のおかげだ。おそらく意識があれば一瞬で回復していたのだろうが、コウの意識がなかったがゆえに数日を要したのである。
一方、エルフィナがバーランドで死んだ時は、エルフィナが死んでいたからこそ、呪いを解除する法術も、そのあとの心臓マッサージの法術も、逆に十全に効果を発揮した。死体に対しては、内面に効果を及ぼせないという制約がないからだ。
これを逆に利用して、意識のない対象が死んだ直後に傷を回復して、心臓マッサージで助けるということが、ごくまれに行われるという記録もあった。
三つの魔法は、それぞれ使う力の根源は違うと今まで思っていた。
だが、考えてみれば三つとも同じ制約があり、そして、
思い出すのはドルヴェグの遺跡で見た、ほとんどすべての人が
あるいは、もしかしたら。
少なくとも、その力の根源は同じである可能性がある。
「でも、それに気づくのって、たぶんコウと……いてもアクレットさんだけでしょうね。普通の人は、離れた
「……そういえば、そうか」
あるいは、いつかアルガンド王国に戻ったら、この辺りを調べてみたくもなってきた。一人では難しいが、アクレットならあるいは、と思う。
それに、この魔法めいた力は、やはり地球へ戻るための足掛かりになる可能性はあると思う。
帰りたいかどうかはともかく、だが。
「さて、とりあえず早く戻りましょう。お腹すきました」
「……村の食糧食い尽くすなよ」
「失礼な。帝都につくまでは普通にしますっ」
頬を膨らませたエルフィナが、とても可愛いと思ったコウだが、それを言うとさらにむくれるだろうな、などとコウは考えていた。
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