第92話 ヴェルヴスの正体

 溶岩の流れる音がわずかに響くのみで、重苦しいと言える沈黙がその場を満たす。

 それを破ったのは――キルセアの爆笑だった。


『くっくっく……あーっはっはっは。そうか、あやつ、人間に遅れを取ったのか。あの粗忽者そこつものらしい間抜けな展開だ!』


 笑い転げるのでないかというほど笑うと、『やるではないか、汝』と、コウの背中を激しく叩いた。

 言動から察するに、おそらくキルセアは軽く叩いただけのつもりだったのだろうが――コウは内臓が飛び出すのではないかという衝撃を受けて、地面に倒れこんでしまう。


「コウ、大丈夫ですか!?」

『うお、すまんすまん。あまりに笑いすぎて加減を間違えた。生きておるか?』

『……な、何とか……』


 正直に言えば、死ぬかと思った。

 確実に一瞬、意識は飛んだ。


『うむ、さすがにヴェルヴスを倒しただけあって頑丈だな。普通の人間なら死んでいても不思議はなかったわ。すまんすまん』


 それはまったく冗談になっていない。


『いやぁ、北滅の魔竜などと呼ばれたあやつが間抜けなことよ。よほど油断したのか、汝が強かったのか、強運に恵まれたのか……いや、まあ全てであろうが』

「北滅の魔竜!?」


 コウを心配そうに見ていたエルフィナが、驚いて声を上げる。


「知ってるのか?」

「知ってるも何も……それこそ、このキルセアと並ぶ、最強の代名詞、この大陸に三体いるとされる竜、そのうちの一体です。名前こそ伝わってないですが、別名を夜の王とも呼ばれ、神々と同等という人すら。かつて、帝国よりも遥か以前に、大陸北東で栄えたある国が驕り、その神域に踏み込んで竜の怒りを買い、その国全てが消滅したという伝説があります。確か北東部辺境に神域を持つと云われてますが……」

『ははは……その話は盛りすぎだな。確かにあやつは自分の領域に入ってきた者には容赦がないが、それで国を一つ焼き尽くすほど節操なしではない。おそらく、あやつの怒りに触れて国の中枢が滅び、それで国が崩壊したのであろうよ』


 まあ、伝説なんてものは誇張されて伝わるものだから、おそらくキルセアの言う通りなのだろうが、だとしてもヴェルヴスはそれほどに強大な竜だったらしい。

 となればなおさら、まだ法術も使えなかった――使えたからといってどうにかなったとは思いにくいが――自分が討ち果たすことなど可能なのだろうか、という疑問が出てくる。

 だがそれを聞くと、キルセアはありえる、と断言した。


『おそらく汝は、竜命点を破壊したのだろう。もともと我らはこの世界の存在ではなく、本来ならこの世界に現れることはできぬ存在なのだ。故に、この世界に我らが在るためには、この世界と我らをつなぎとめるくさびを作る必要がある。それが竜命点と呼ばれる、いわばこの世界における我らの急所だ。それを破壊されると、我らはこの世界にとどまれなくなる』

『じゃあ、俺があの時、僅かに違和感を覚えて貫いたのは……』

『おそらくそれが、ヴェルヴスの竜命点であろう。そこだけが、この世界の理に縛られる部分。それ以外に、この世界の理の外にある我らを傷つける術は、ほぼ存在しない。一時的に傷を負ったようになることはあれど、瞬時に復元される』


 あの時、僅かに感じた違和感は、その世界の在り様の違いだったのだろうか。

 確かにあの時、ヴェルヴスの目を傷つけたはずだが、その後彼の目が傷を負っていたようには見えなかった。


『だが、竜命点を見極めたというのは驚きだな。あれは、到底見分けられるものではないはずだが……』

『それは俺にもよくわからないが……じゃあ、ヴェルヴスは死んだわけではないのか?』

『無論だ。我らは不死不滅の存在。滅ぶことなどありえぬ。ただ、一時的にこの世界へのよすがを失ったので、この世界に現れることが出来ぬだけだ。まあ、あやつも気にしてはいないだろう。それに……』


 キルセアは、手に持っていたコウの刀を抜くと、刀身を見つめて目を細めた。


『あやつ、この刀に自分の力をしみこませていっておる。つまり、この刀とヴェルヴスの間に繋がりがあるということだ。おそらく、やつはこの武具を基点に、この世界に再び戻ってくるつもりだろう』

『……この刀が竜に化けるのか!?』

『ははは。違う違う。単に現れるための基点になるだけだ。まあ、出て来るときは前触れくらいあるだろうし……それに現れるのも、明日かもしれんし、百万の夜ののちかも知れん。それは我にも分からん』


 明日でも困るが、百万日後、つまりおよそ二千七百年後などコウはもちろん、エルフィナでも生きてはいないだろう。


『……気にしてたらどうしようもない、ということは分かった』

『ただその影響で、その刀、ある意味ではこの世界における最強の武具になっている。何しろ、この世界の理の外の存在である竜の力を宿しているからな。あらゆるもの、それこそ、我らですら例外ではなく傷つけることが可能だ。ありとあらゆるもの、それこそ実体のない我らの吐息ブレスなどすら断つことが出来よう』

『なるほど、道理で……』


 かつて一度、法術すら切り裂いたことがあるが、それもヴェルヴスの力の恩恵だったということか。

 そうなると、学院祭で死に掛けた時、実は刀なら法術を切り裂けたという事になる。

 最初に法術を目にしたときは反射的に刀で防いだが、あのあと法術のことを知って、刀で防げるはずはないと思い、法術の相殺を試したのだ。

 そうと分かれば、戦い方も広がってくる。


 ただそういうことなら、もし元の世界に帰る時は、この刀だけは置いていく必要があるだろう。そうしなければ、地球にヴェルヴスが現れてしまう。パニックどころでは済まない。話の通りなら、竜は次元が異なる存在らしいので、ここと地球のどちらでも関係がなさそうだ。


『まあ、あやつが認めたからこそ、力を宿したのだろう。既にその刀、汝以外には使えない、ある種の呪いがかかっておるからな』

『呪い?』

『汝以外ではまともに使うことは出来なくなっている。奪おうとでもしようものなら、おそらく全身が石化するだろうて』

『だが、城などで預ける場合、特にそんな問題にはならなかったが……』

『それはその者も預かるだけで、奪う意志はあるまい?』


 要はエルフィナの持つ細刃ティスレットに付与された法術と似たような力のようだ。ただ、それよりはより強力な力になってる。


『加えて、呼べばその刃、いかなる場所であろうとお主の手元に現れるぞ』


 言われてから、試しに少し離れた場所において、それから手元に来るように念じ――手を握った時、そこに刀があった。

 いつ移動したのかすらわからなかった。


『これは……すごいな』

『ヴェルヴスからの勝利の祝福でもあるのだろう。まあ、雑に扱ったところでまず壊れることはないが』

『雑に扱うつもりはない。大事にするさ』


 この世界を生き抜くにおいて、何よりの贈り物だったわけだ。

 《意思接続ウィルリンク》とこの刀は、この世界で生きていくために本当にたすけになった。

 いずれ復活した時はぜひ感謝したいところだが、話の通りなら生きている間に会えるかどうかも分からないのが残念なところだ。


『しかしお主もいきなりヴェルヴスの領域に入るとは、豪胆な真似をしたものだな』

『いや、入りたくて入ったわけではないのだが……』


 キルセアが不思議そうな顔になる。


『俺がこの世界に来た時、ヴェルヴスの目の前だったんだ』


 キルセアになら別に話してもいいかと思い、コウは自分がこの世界の人間ではないこと、突然この世界に呼ばれて、ヴェルヴスに襲われたことを説明した。


『なるほど。ということはお主は我らと同様、この世界の存在とは違うという事か。しかしそれで討たれるとは、ヴェルヴスも本当に間抜けよな』


 それに関してはヴェルヴス自身もそう言ってたな、などとコウは思い出していた。


『ちなみにだが、俺の様な存在……要は人間がいる世界は他にもあるのか?』

『汝の様な人間がいる世界は、ここ以外は我は知らぬ。汝の世界には汝の様な人間が多いのか?』

『ああ。エルフィナの様な森妖精エルフはいなかったが、俺の世界も基本的に人間の世界だった。法術……魔法めいた力や、竜の様な言葉を操る人間以外の存在はいなかったが』


 すると今度はキルセアは、コウを見定めるかのように鋭い眼光を向けてきた。


『少なくとも汝は、この世界に存在する人間と何ら変わるところがないな。ただ――ふむ』

『なんだ?』

『いや、何でもない。正直に言えば、汝の話があってもなお、汝がこの世界の人間ではないというのは俄かに信じがたいほど、汝はこの世界の人間と変わらん』

『そう、か……』


 それがこの世界に来た時に自分の体が変わったのか、それとも元々この世界の人間と地球人が同じ存在なのかは分からない。

 ただ、地球には法術はない。それに、魔力もなかったはずだ。

 その程度の違いは、キルセアからすれば違いにならないのかもしれないが。


『ちなみに、自分ではなく他者に世界を超えさせるような存在はいるのか?』

『我は知らぬな。仮に我と共にあろうと、世界を渡ることはできぬ。そもそも我らのように世界を超える力を持つのはごく一部のみで、それでも世界に在るためには依り処を必要とする。お主の場合、お主自身がこの世界の人間と同じ存在であるから特に依り処を必要としないのかも知れぬが、それは我にも分からぬな』


 キルセアでも世界を移動できるのは自分自身のみということらしい。

 言い換えれば、コウが地球に帰るすべは、少なくともキルセアは知らないということを意味した。もっともここでいきなり帰還方法が手に入るというのは全く期待していないし、少なくともやるべきことを放り出して帰るつもりもない。


『ありがとう、キルセア。色々参考になった』

『そうか。よくわからぬが……まあ良い。それではこの世界の存在に迷惑をかけるのはほどほどにしよう。我は夜になる頃には去るが、もし機会があれば我が領域に来るが良い。汝らであれば、我が領域に立ち入ることも許そう』

『分かった。機会があれば、ぜひ』

「お話、ありがとうございます」


 かつて踏み込んだヴェルヴスの領域とは違い、今度は穏やかな訪問になってくれるだろう。

 何より、竜の知己というのは、おそらく相当に得がたい『縁』だ。


 そうしてから、ふと一つ思い出した。

 キルセアなら、あるいは。


『そういえば、一つ……もし知っていれば聞きたいのだが。エルスベルという存在について知ってるだろうか。一万年ほど昔の存在なのだが』

「コウ?」


 竜は悠久の時を生きる。ならば、一万年前のことについても何か知ってるかもしれない。


『ふむ――いや、知らぬな。我がこの世界に来るようになったのは、この世界の暦にすれば六千年ほど前だ。そのような存在は覚えがない』

『そうか……』

『ヴェルヴスはもう少し早くこの世界に来ていたと思うが、それでも千年ほどしか違いはなかったはずだ。たった千年で先達を主張しておったが』


 仮にヴェルヴスに再会できても無駄らしい。

 少し残念だが、この出会い自体が奇跡の様な偶然なのだ。


『では、今夜にはここを去るとしよう。なかなかに楽しかったぞ』

『こちらこそありがとう。では失礼する。キルセア』

「失礼します、キルセアさん」


 そのエルフィナの言葉に、むしろキルセアは少しだけ驚いたような顔になる。


「あ、あのすみません、気安すぎましたか」

『いや、存外悪い気はしないものだと思ってな。次にまみえることがあれば、その呼び方を許そう。では壮健であれ、コウ、エルフィナよ』


 キルセアはそういうと、ふわ、と浮かび上がり、直後には元の巨躯に戻って、再び溶岩に身を浸した。

 あれでよく火傷しないものだと思うが、そもそも、この世界のことわりで傷つく存在ではないのだから、火傷などしないのだろう。

 うっかり寝入って立ち去り忘れる……ということは、さすがにないか。


「さて、では戻るか」

「はい」


 コウとエルフィナは、法術と精霊の力で飛行し、南へと飛び去った。

 その姿を、キルセアは瞳だけ動かして見送る。


(仮にも竜たるヴェルヴスを倒したか。あの男、ただの人ではあるまい。あのわずかに感じたあれは、我らすら拒むこの世界の力に似ておる。それにあの娘も尋常ならざる力を纏っておった……。もう少し人の世を注視しておくべきかも知れんな)



――――――――――――――――――――――――

やっとヴェルヴスが何者か分かりつつ、伏線を最後の一言でばらまきました(ぉぃ

というわけでヴェルヴスの力は刀には宿ってますが、コウ自身には何の影響もありません。

意思接続ウィルリンク》と雑に知識くれただけだったりします(w


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