第139話 ドワーフの商人

 ガルズと名乗った洞妖精ドワーフは、席に座るなり大ジョッキの酒を頼む。

 ここの酒は米を発酵させて作ったもの――つまり日本酒に近い――だが、あまり強くはないのだろうか。

 人の頭ほどもある木製の大ジョッキに、なみなみと注がれた酒を、ガルズは一気に杯を傾けて飲み始めた。

 途中で止まるかと思ったら、なんとそのまま全部飲み干し、「おかみ! もう一杯だ!」と言ってから、やっとコウ達のほうに向き直った。


「ぷはー。仕事上がりの一杯はたまらん。そうじゃろ?」

「いや……俺はあまり飲まないので……」

「私も、お酒は今はいいです」


 実のところ、コウは橘老に付き合って酒を飲むことは、たまにあった。

 その時はたいていは日本酒だったが、酒の良し悪しはなぜか色々語られたせいで、結構詳しい。

 ついでに醸造方法もある程度は知っている。

 これも法律違反だったが、橘老は家で酒を造ることもしていて、コウも手伝わされていたのだ。

 橘老に言わせると、コウは相当強い部類らしいが、一応日本人的には二十歳になってないから程々にしておきたいのが本音だ。


 一方のエルフィナも、お酒はあまり飲み慣れていない。

 この世界において『子供は飲むな』という程度の良識は存在するが、エルフィナはもちろん子ども扱いされる年齢ではない。

 なので飲んでもいいのだが、お酒がそれほど好きというわけではないので、無理に飲むことはない。コウに誘われたら一緒に飲もうと思ってはいるが、コウが滅多に飲まないので自分だけ飲もうとは思わないのだ。

 故郷にいた時は、樹液から造られたお酒があり、百二十歳くらいの頃から飲ませてはもらっていて、あれは好きだったが、人間社会には似たようなお酒がないというのもある。


「んー。まあいいか。しかし珍しいのぅ。こんな辺境に旅人なんざ」

「そりゃそうだろう。この人ら、東から来たらしいよ」


 追加の大ジョッキを置いたおかみの言葉に、ガルズが驚いて顔を上げる。


「東から?! てーと、まさか、ロンザス越えてきたってことか!?」

「そうなるな」

「冒険者つったって、普通やるヤツいないんだが……しかも冬に。たいしたもんだ。そもそも大陸東側からの客なんて、滅多に会えんしな。気に入った! メシ奢るから、東の話を聞かせてくれ!」


 ガルズはコウの返事を待つことなく、立て続けに料理を注文した。

 一応食事を済ませていたコウは、これ以上いらなかった上に、その量はどう考えても三人には多すぎるのでは、と慌ててコウは止めようとしたが、すでに遅く、ほどなくテーブルの上には大量の料理が並べられる。

 次々に運ばれてくる料理は、どれも非常に美味しそうだったが、コウはいくらかつまむだけで済ませた。


 が。


 頼んだガルズは、後からさらに注文を追加する羽目になる。

 既に食事をしたはずのエルフィナが、予想を遥かに上回る量を食べたのだ。


「……森妖精エルフってのは食が細いって聞いてたし、実際国許の連中は誰もそんな食べないんだがなぁ……やるなぁ、嬢ちゃん」

「あ、いえ、その……と、とっても美味しかったので、つい」


 大食漢として知られる洞妖精ドワーフであるガルズすら呆れるほどの量であり、つい、で済まされる量ではなかったのだが、コウはそこはスルーした。

 エルフィナは食べるのに夢中になっていたからか、ようやく満足してから、恥ずかしくなってきたらしい。

 なお、食べながら、というかコウはほとんど食べてないので、その間に簡単に東のアルガンドから来たことや、バーランド経由できたことを話している。

 知ってるかどうか分からなかったので、バーランドでは王都で騒動があった、とだけ話したが――。


「ああ、それ継承権者の一人が叛乱を起こしたって話じゃなかったか? アルガンドと戦争になりかけた、とも聞いたが」


 グライズ王子のあの騒乱からは、まだ二ヶ月も経っていない。

 にもかかわらず、ガルズが知っていたことにコウは驚いた。


「……よく知ってるな。そう前のことではないんだが」

「商人同士の情報網ってヤツだ。たとえはるか東のことだって、数日でだいたいこっちにも伝わるぜ」


 考えてみれば、冒険者ギルドや法術ギルドが長距離通信の手段を持っているのだから、商人でも持っている者がいるのかもしれない。それに法術ギルドは有償で通信法術を使わせてくれるサービスもある。

 この世界における情報伝達の速度は、見た目の文明レベルでいつも騙されそうになるが、地球ほどではなくても相当に早いのだ。


「二十年前の戦争以後、東側は結構落ち着いてたところに、アルガンドの公爵領での内乱やら、バーランドの王子の叛乱と立て続けだからな。バーランドがアルガンドの王都で騒ぎを起こした、とも聞いたが、その辺りはあんたの方が詳しいんじゃないか?」


 詳しいどころか当事者だ、とはさすがにいえない。

 しかしパリウスの内乱の話まで知っているとは驚いた。

 あれも一触即発までいったが、戦端は開かれなかったというのに。

 それに、王都の騒ぎは、バーランドの仕業であることは伏せられていたはずだが――さすがに情報は幾分洩れるのは仕方ないとしても――知っているのは驚かされる。


「実際のところ、特にバーランドの騒乱はまだ情報が錯綜しててな。冒険者ギルドが、『災厄』認定までしたってことで、こっちでも結構騒ぎになっていたんだ」

「そうなのか」

「冒険者ギルドの『災厄』認定といえば、国一つ滅びかけるほどの事件が起きたときくらいしか出ないからな。ただ、バーランドはこっからは距離は近くても実際には一番遠い場所のひとつだ。だから、情報がさっぱりでなぁ。だが、この時期に東から、しかもバーランドから来たってことは、なんか理由ありだろ? 教えてはもらえんかねぇ。タダとはいわんよ」

「というと?」

「わざわざロンザス越えてまで帝国に来たんだ。何かしら理由があってのことだろう? 情報か、人探しか、あるいは遺跡目当てか分からんが……それに俺ができるだけ協力してやるよ。そうだな……例えば、ドルヴェグの入国は、保証してやる」

「……なるほど」


 ドルヴェグの入国審査が厳しいことは有名で、たとえ冒険者であっても、審査には長い時間がかかるという。それでも、入国できないことがあるほどらしい。

 それを保証してくれる、というのなら、それはこちらとしても願ってもない条件だった。


「どうしても話せない内容もある。それでもいいか?」

「もちろん、かまわんさ」

「分かった。まあ、災厄認定された理由は、つまるところは国が、つまりバーランドが滅びうるほどのことをしようとしたからなんだが……」


 人造『天与法印セルディックルナール』のことは、公になっていない。

 コウが無理矢理全員治癒したが、それでもレヴァルタの長期投与の影響が出ている者は、今もいるらしい。

 今回、対外的には特殊な法術具による、強化法術士の計画が存在したというのが公式発表だ。

 ただしそれに致命的な副作用があったので、中止し、現在も一部の被験者に後遺症が出ていて、治療が継続されているとなっている。

 正しくはないが、真実は明らかにできない。

 もしあの技術が他に流出してしまえば、新たな火種となる恐れがある。

 今回バーランドでは欠陥がある技術だったが、その欠陥が解消された場合、法術を用いた用兵が根本から変わる恐れもあるのだ。


「はー、そんな危なっかしいことをしたのか、バーランドは。で、国民が強引に兵隊にされそうになった、と。なるほど。『災厄』認定されるわけだ」


 ガルズは、何杯目かもう分からなくなったジョッキを空にする。

 洞妖精ドワーフは酒樽と揶揄されると聞いたが、これはそういわれても仕方ないと思えてくる。


「で、そんな争乱が終わった直後に、わざわざロンザス越えてまで東に来たのがお前さんら、というわけだ。察するに、その争乱に……多分帝国が関わっているかも、という疑惑があるってところかい?」


 類推可能なこととはいえ、あっさりとそこまで推測されたことに、コウは思わず息を呑んだ。


「……そこは伏せさせてもらう」

「ふむ。あんちゃん、腕は立つようだが、交渉事は苦手っぽいなぁ。そんなこといったら、俺の言葉を肯定したのと、ほぼ同じだぜ?」

「ぐっ……」

「はは、まあ気にすんな。こちとらそれが本職だからな。しかしそうか……ただ、現状帝国が東側に手を出す可能性はないとは思うがな。余裕がないっていうか」

「そうなのか?」

「帝国内のあちこちがきな臭いからな。よく分からん武装集団もいるらしいし」


 アルガンドでも、キールゲンが帝国は少なくとも表面上はまったくこちら側に手を出してはいないということを言っていたし、コウも地理的な観点から手を出してくる可能性はないと考えてはいた。

 ただそれ以上に、どうやら、内憂を抱えているということのようだ。


「ドルヴェグはまだ被害は無いんだが、最近『真界エルラト教団ヴァーリー』とかいう連中が、それこそ帝国はもちろん、西側諸国のあちこちで騒ぎを起こしているらしい」

「『真界エルラト教団ヴァーリー』? 初めて聞く名前だな」

「東側にはまだ出没してないんだろうな。こっちじゃ、数年前から少しずつ事件を起こすようになってきた連中だ。名前が出て来たのはごく最近だが。組織の規模が読めない一方、活動が広範囲にわたることから、実は相当大規模な組織じゃないかって話もある」


 地球に当てはめれば、国際テロ組織、というところか。


「その対応で、西側は水面下ではともかく、表向きは各国ともその対策に追われている感じだ。おかげで戦争が減って、こちらとしては商売しやすいんだがな」

「戦争があったほうが、物資が回るものじゃないのか?」

「そりゃ一部の駆け出し連中はそうだろうが、戦争なんて商売上はないに限る。無論、まったく緊張がなければそれはそれで一部の商売は成り立たないが、商売なんてのは基本的には争いがない状況の方がやりやすいし、儲かるもんだ」

「違いない」


 少なくともガルズは、死の商人的な商いはしていないようだ。


「と、ある程度話してもらえたし、さっきの約束は果たさせてもらうが……ドルヴェグはいつ頃行くんだ?」

「ああ……ガルズは、今後の予定は?」

「俺はここで最後だ。色々仕入れつつ、ほぼまっすぐドルヴェグには戻る予定だ」

「なら、同行させてもらいたい。帝国は初めてだから、道は不慣れだ。なんなら、護衛として雇ってくれてもいい」

「護衛か……確かに東から来るようなやつなら、実力は申し分ないだろうが……あまり給金は出せんぞ?」

「かまわない。そうだな……道中の食事も込みなら……」


 コウは、この手の護衛の相場の、およそ半分程度の額を提示する。

 道案内にドルヴェグの入国まで世話してもらうことを考えれば、そのくらいでいいと思ったのだが、ガルズはそれに、驚いたように目を丸くした。


「また……交渉するのがばかばかしくなるなぁ。いいぜ。あー、一応、『証の紋章』を見せてもらってもいいか? 冒険者なら、ランク持ちだろ?」


 コウとエルフィナは揃って紋章を出し、ガルズはそれを見てさらに目を丸くする。


「ちょっ、なんだこれ……本当か、このランク……すまん、さっきの提示額の倍だ。せめて相場で雇わせてくれ」

「別にいいんだが……」

「ついでに一つ助言だ。頼むからそのランクで安売りするな。他の冒険者が泣くぞ」

「……分かった」

「ったく、ランク黒とか、初めて見たぜ……」


 この辺りはコウもエルフィナもあまり自覚がない。


「若く見えるが……まあ、森妖精エルフの嬢ちゃんの年齢は分かったもんじゃないが……」

「む。私そんなに年増じゃないですよ」

「い、いや、そういう意味じゃないんだが……でも、絶対俺らより年齢上だろう」

「……それはそうでしょうけど」


 ちなみに、洞妖精ドワーフの年齢は、人間とあまり変わらないらしい。

 ただ、老境に入ってからが長く、百五十歳くらいまでは生きるという。

 たまに二百歳という人もいるらしい。

 肉体の衰えも、人間のそれよりは遅いという。


「出発はいつ?」

「ここらで品物の買い付けは終わってるから、明日には出るが、かまわんか?」

「ああ、それでいい。早朝からか?」

「いや。出るのは日が十分昇ってからでいい。この季節は、朝は凄まじく冷えるから、馬が嫌がる。次の街までは、四日というところだ。馬車は三台。あんたら以外にも護衛がいるが、今は出てるからな。顔合わせは朝でいいだろ」

「分かった。ちなみに、ドルヴェグまでの行程はどのくらいなんだ?」

「途中で仕入とかもあるからなぁ。すんなり行けば半月ちょいというところだが……」

「いや、それでいいよ。俺達もこっち側は初めてだから、色々見て周る時間が欲しかったくらいだ」


 コウとエルフィナにとっては、世界めぐり、という目的もあるのだ。


「おぅ。じゃあまあ、俺はもう少し飲んでるぜ」


 すぐ横では、エルフィナが欠伸を堪えるように口を抑えている。

 もう夜も深いはずだが、酒飲みにとってはまだ宵の口という事だろうか。


「じゃあ、俺たちは失礼する。また、明日」

「おぅ、じゃあな」


 言葉の最後に、酒を呑む音が重なる。

 一体どれだけ呑めるのか、気になりはしたが、コウとエルフィナはあてがわれた部屋に上がっていった。

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