Episode03-15 戦う術を――


 俺はエハミ様に連れられて、「御池」の外周を元来た道を戻るようにして歩く。ただ、今歩いているこの場所は「神界」という、所謂いわゆる神様の領域だ。地形こそ先ほどまでの「現世うつしよ」に似ているが、雰囲気は全く異なる。


 まず、御池の周囲を取り囲んでいる林の木々が、どれも信じられないくらい古く大きな木々になっている。そんな古木巨木の林から吹き込むそよ風と、辺り一帯を包む空気には一種の張り詰めたような力が漲っているのが分かる。


 そしてこの「御池」。先ほど現世外の世界で見た時は「水の綺麗な池」だったが、今、「神界」の中で見ると、まるでガラスを敷き詰めたように澄んで見える。差し込む光の加減によっては、深い底の方まで見通せて、水中を泳いでいる魚の群れがまるで宙を飛んでいるように錯覚するほどだ。


「この池も、底の方で現世うつしよに繋がっているのよ」


 そんなエハミ様の不思議な説明も「なるほど」と納得してしまえるほどの神秘的な美しさがあった。


 そんな「御池」を横目に見ながら歩くうちに、俺とエハミ様は広い場所に出た。ちょうど、現世うつしよ側ではエハミ様の名前が彫られた「石碑」があった辺りだ。しかし、神界側には「石碑」は無く、代わりに小洒落た雰囲気の和風の四阿あずまやが建っていた。


 その四阿の茅葺かやぶき屋根の下に、じっと動かない人影があった。離れていても「ソレ」と分かる、とても大きな人影だ。


(アレが、エハミ様の友達?)


「そうよ――」


 またも、俺の思考を読みとって答えるエハミ様は、そう言うと四阿の人影に向かって、


「お~い、諏訪すわさ~ん」


 と呼びかける。「すわさん」というのがエハミ様の友達の名前なのだろう。それにしても――


(すわさん? って、諏訪湖の諏訪?)


 と疑問が浮かぶが、


「詮索しちゃだめよ。お忍びで来てるんだから」


 との事。


 とにかく、俺はエハミ様の隣で、諏訪さんの反応を待った。そんな俺の視界の先で、四阿に居た大きな人影がゆっくりとこちらへ振り向いたのが見えた。


*******************


「そこのヒョロいおのこが、エハミ殿の仰る男か?」


 とは、対面した「諏訪さん」のお言葉。しわ枯れた低い声だが、妙に威厳がある。ちなみにこの「諏訪さん」、身の丈が2メートルを超すような大きなご老人だった。服装は……仙人が着るような白っぽい着物で、片手にあかざで作ったような節くれた杖を持ち、腰には真っ直ぐな剣が吊るされている。


「そうよ。権蔵の孫ね」


 とはエハミ様の答え。ちなみに「権蔵ごんぞう」という渋い名前は俺の爺ちゃんのものだ。


「なるほど――」


 それで、諏訪さんはもう一度俺を頭の先からつま先までジロリと睨みつけてから、


「確かに、権蔵の孫だ……それにしてもエハミ殿、分け身を与えなさったのか?」


 と言う。「分け身」とは多分「エミ」の事だろう。この御池の前にたどり着いてから「エミ」の存在が見えなくなっているが、エハミ様曰く「私が出てきたら、隠れちゃった」とのこと。


「随分と肩入れされているような?」


 続けてそう言う諏訪さんに、エハミ様は


「そうねぇ……まぁ見込みはあるからね。でも、元々は権蔵が『孫を守って』とお願いするからした事なのよ」


 と答える。そして、


「秦角の家の人達って、妙に私に遠慮してあんまり物事を頼まないから。たぶん、百年ぶりくらいのちゃんとした中身のある『お願い』だったから、ちょっと気合が入っちゃったのね」


 とのこと。妙に言い訳がましい口調だったが、それを聞いて俺は「なんだか分かったような」気になる。普段から神様(エハミ様)をまつっているからこそ、なんでも「ホイホイ」とお願いする事はしないだろう。その辺は神様に近いからこそ生まれる「節度」的な匙加減なのだろうと思った。


「それに、自分の血脈・・・・・が途絶えるのを『見ているだけ』というのも、楽しい話じゃないからね」


 え? と思う。今、エハミ様は「自分の血脈」と言ったけど、それって、俺のご先祖様的な事だよな。という事は、つまり、


(エハミ様って……俺のひいひいひいひい……婆ちゃ――)


「そこ、聞こえてるから!」

「あ、すみません」


 そんなやり取り。一方「諏訪さん」の方は、この遣り取りを聞いて少し表情を和ませると「エハミ様らしいお優しいことで」と小声で言った。


「とにかく、諏訪さん、この子をちゃんと戦えるようにしてあげて。このままだと、そう遠くない将来、この子は死んじゃうから」


 俺は思わず顔を「え?」という表情にしたまま、エハミ様の方を見る。


(俺、死んじゃうの?)


 という気持ち。対してエハミ様は「何を当然の事に驚いているの?」的な顔で、


「そりゃそうでしょう。今はエミが与える加護で何とかなっているけど、その内……そう遠くない将来、確実に『その時』が来るわよ」


 と言う。


「だから、そうならないように、諏訪さんからしっかりと戦い方を勉強しなさい。大丈夫よ、この神界の時間の流れは私が思うように出来るから、そうね……百日分くらい頑張りなさい」

「え? ひゃくにち?」

「別にお腹が空く訳でも、眠くなる訳でもないから、こゆ~い百日ね……あ、でもいきなりそれだと心が壊れちゃうか……そうね、現世の時間ではもう夕方前だから、今日は二十日分くらいね」


 俺としては、夕飯前にちょっと裏の御池に行ってエハミ様に「顔見せ」のつもりだった。ちょっと思った感じと違う成り行きになったけど、それでも「友達」を紹介してくれる程度だと思っていたのに、それが、気が付いたら20日分の長期合宿(飯なし宿なしだけど)をするハメになった。


(いったい、どうしてこうなった?)


「ブツブツ言わないの。じゃぁ諏訪さん、お願いね」

「……承った」


 その遣り取りで、エハミ様はお堂の方へすたすたと歩いて行く。一方、四阿あずまやの場所に残された俺には、


「ということだ。迅と言うらしいな……どうせ何もせねば死ぬ身だ。死ぬ気で励め」


 先ほどから打って変わって厳めしい表情になった大きなお爺ちゃん(諏訪さん)が、白い髭の生えた口元にニヤリとした笑みを湛えて語り掛けてくる。


「そうじゃな……手始めにエハミ殿の分け身が与える加護が邪魔じゃな。それを取り払って真裸になった状態でやろうか」


 そう言うと、諏訪さんは節くれだった杖を俺に向けて、まるで邪魔な枝葉を払うように小さく左右に振る。次の瞬間、


「うっ?」


 思わず声が出た。なんだか、身体の力が一気に抜けた気がする。


「それが、お前の『素』の力だ。どうだ、心許ないじゃろ?」


 確かに、この状態だと、八等穢界の「穢界の主」に勝てるかどうか、覚束ない気持ちになる。


「それだけ、与えられていた力の上に胡坐をかいていた、ということじゃ。先ずはそれを思い知ってもらおうかのう――」


 この後、俺は20日間「地獄のような」修行をするハメになる。


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